第1話 第1章 『調査開始』
航空機墜落の第一報を受けた三十分後。捜査官テオドラ・アルムニア・イリバルネの姿は当該事故機の残骸を遠巻きに眺めていた。
墜落地点である平原一帯はテオドラら警察官の働きにより非常線が張られ、関係者以外の立ち入りを厳しく制限している。防火服姿の消防士や救急隊員らが忙しく行き交う中、テオドラは警察車両にだらりと寄りかかって煙草を噴かしていた。見るからにやる気のないテオドラの姿に、その傍らにいた新人警官がやおら食って掛かった。
「先輩、俺らはどうしてここに呼ばれたんですか!?寒空の下儀仗兵の真似事をやらされに来たわけじゃないですよね!?」
活きのいい新米の突き上げに、テオドラは心底面倒くさそうに対応する。
「そーだよ。私たちの今の仕事は、この現場に要らん人間を入れさせないこと……それだけだ」
「『それだけ』って、俺たちゃ警察官ですよ!?こんな仕事、酒場で飲んだくれてるゴロツキにでもできる!市民から巻き上げた金を使ってお高い用心棒を雇うなんて、上のジジィたちは正気なんですか!?」
一瞥もくれずにあしらわれた彼は更に激昂する。しかしテオドラは変わらず空を流れる雲を眺めながら適当な応対を繰り返した。
「正気も正気、ちゃーんと全部わかってるからこうやって私たちがここにいるんだ。あいつらもムダに金を突っ込んでるわけじゃない」
「これのどこが『ムダ』じゃないってんです!?ここにボーッと突っ立って通り過ぎるやつらの顔を眺めてるだけで給料と手当が発生する!これの、どこが、『ムダ』じゃないっていうんですか!?」
テオドラがあしらえばあしらう程青年は激昂する。これ以上言葉を連ねるのは徒労だと判断したのか、テオドラは煙草をピンと弾いて背後の事故機を指さした。
「なら、今からでも捜査に行くか?」
「当たり前です、許可が出ればすぐに!!」
「で、何をするんだ?まだ生存者の救助も終わってない飛行機に乗り込んであっちこっちひっくり返すか?」
「それは――」
言い淀んだ青年の隙を逃さず、テオドラはたたみかける。
「それともデリケートな機器の山を突いてハイジャックの証拠でも探すか?それこそ正気じゃないだろう」
「……でも」
「でも、何だ?『警察官の本分は云々』と講釈垂れるか?いいぞ、今からでも聞いてやる。席料は煙草ひと箱でどうだ」
「……」
怠そうな顔で繰り出される棘の一つ一つに、まだ純朴さの抜けきらない青年は押し黙ってしまった。
痛烈にやり込められてうつむいてしまった彼の面持ちにいたたまれなくなったテオドラは、心ばかりのフォローをすることにした。
「……まぁ、お前の向こう見ずなところは正義感によるものなんだろう。それほどの正義感は私にも無い。その点は誇っていいぞ」
沈んだ彼の顔を直視できなかったテオドラは視線を外したが、彼女の言葉に頷いたであろう様子は息遣いで理解した。
「……それに、私たちはただガードマン役を仰せつかったわけじゃない。一応他に目的もある」
「目的……ですか?」
彼にとってその言葉は予想外だったのだろう、先ほどまでの沈痛な面持ちから打って変わって訝しげな色を顔に貼り付けていた。
テオドラは今日何本目かもわからない煙草を取り出しながら、こちらにやってくる車の一台を目で追う。
「そうだ。――とはいえ、その『目的』も我々の本分から外れたものであることに変わりはないがな」
「――何すか、それ」
「混乱するのも当たり前だろう。まぁ、平たく言えば『餅は餅屋』ということだ」
頭の上に疑問符を浮かべる彼をよそに、テオドラは車両から背を離して歩き出した。
バンの扉を開けると、都市部のそれとは一線を画すような冷気が吹き込んできた。容赦のない寒風に、しかしユスティ・アレクシーウは自宅の玄関をくぐるような軽やかさで外に躍り出た。
「うわぁ、さっむぅ!!」
彼の後ろではあまりの寒さに耐えかねた悲鳴が聞こえる。一面の銀世界をその髪を写すようなブロンドを跳ねさせるその少女は、その美しさに似つかわしくない俗っぽい仕草で悶えていた。
「ユスティすっごい薄着だけど大丈夫なの!?私なんかダッフル着てても寒くて死にそうなんだけど!!」
「全く寒くないわけではないが、寒さに備えた装いだけあってあまり寒さは感じないな。サルトの仕立てさまさまだ」
そう宣う彼の装いはレザーコートにスリーピースのスーツにループタイ。おおよそ寒風吹きすさぶ雪原にそぐわぬ格好だが、それでも彼は特に寒がることもないゆったりとした様子で歩いていた。
そんな対照的な二人の前に、テオドラは歩みを進めた。
「久しぶりだな、ハンナにユスティ。葵は?」
テオドラはバンから降りてきた面々と面識があるのか、その場にいないであろう人間の名前を発した。
「車の中だよ。葵の現場はここだけじゃないからな」
「なるほど、もう資料とにらめっこか。相変わらず生真面目な奴だ」
口では褒めつつも明らかに顔を顰めて苦手意識を露わにするテオドラ。彼女の後ろをついていく青年警官は、彼女のその姿を物珍しく眺めていた。
テオドラとの挨拶もそこそこに、ユスティは本題を切り出した。
「状況は?」
「事故機はサテライト航空保有のDC-9-81M型機、
「なら事故機の周囲はごった返しているな。機を直接調べるのは後回しか」
「だね。無事だった人や軽傷者からの事情聴取を早めにやっちゃった方がいいかも」
「同感だな。ユスティ、警察から人員をいくらか割く。自由に使え」
「助かる。ハンナは救護テントを頼む。俺は機の外観と周辺の調査だ」
「了解。あんたたち!――ついてきて!」
あれよあれよという間に、青年警官の周りの状況は一変した。ついさっきまで呑気に煙草を噴かしていた上司は遅れてやってきた銀髪の青年の傍らで指示を飛ばしているし、自分と同じように手持無沙汰していた同僚たちは既に人員として駆り出されている。
テオドラの言っていた「目的」とはこれの事なのだろうか。
状況を上手く呑み込めずにいる警官の存在に気付いたユスティはテオドラに目配せした。
「ああ、こいつはうちらの新人だ。今日が初の現場だそうだ」
彼女の言葉を受けて青年警官は自己紹介をする。
「――ジャック・ジョーダン。宜しく」
「ユスティ・アレクシーウ。さっきの女性はダニエラ・リーゼロッテ・ハンナヴァルト」
彼の自己紹介に続き、ユスティらも自らの名を名乗る
彼はは自分と同じかそれより年下であろうユスティの顔をまじまじと眺めていた。こんな若い男が上司と対等の立場で話をしているのが不思議でならなかったのだ。
そんな彼の疑問を、ユスティは自らの立場を明かすことで晴らした。
「俺たちは『航空機事故調査委員会』、そして俺はその主席調査員です。今後とも宜しく」
ユスティらの姿を遠巻きに眺めながら、ジャックは深くため息を吐いた。
「ハァー……俺より三つも下で、お国の組織の代表かぁ……」
彼らは今、事故当時の詳細な天候情報を待っている。受け取った情報は事故調に回し精査と更なる調査の進展を待つ――早い話が「窓口役」だ。おおよそ警察官の仕事とは思えない役回りだが、彼らの存在を知って以来ジャックは自らの役回りに特に疑問を抱かなくなった。
「なんだ、嫉妬か?嫉妬深い男は私は嫌いだぞ」
意気消沈するジャックを明らかに面白がっているテオドラはそう茶化す。
「嫉妬なんてしてられませんよ……ついさっきまでは『こんな若い奴らに何ができる』って思ってましたが、あんなの見せつけられちゃ何にも言えませんや」
彼のいう「あんなの」とは、今しがたユスティらが発揮した航空機事故調査の手際と知識だろう。現場に到着するや彼に全く理解できない文字列を発し始め、嵐のように周りの捜査官を巻き込んであっという間に事故調査に入っていった。現状では救命活動が終了していないが、それも見込しての調査を行っているであろうことは人の動きから理解できた。
「それがお前の嫌いな『上のジジィ』直々の任命と辞令によるものだとしてもか?」
テオドラが言っているのは、彼の見せた身分証だ。そこには、彼らにとって最高位に位置する上司の名前があった。
「『ラエヴネ都市連合大統領』――ですか。あいつの事見てると、さっきまでのモヤモヤもどっかに行っちまいましたよ」
総合するに、事故機の前に佇むあの青年は「大統領直属の公的機関を代表する」「大統領から直接指名された」青年調査員だということだ。平たく言ってしまえば、ジャックのようなヒラの警官など目じゃないほどのエリートなのである。
「何をどうしたらあんな若さで組織の頭を張れるようになるのか……よっぽど能力があるか、はたまたよっぽどトんだ奴なのか……」
ジャックの漏らした呟きに、テオドラは少し俯く。
「……」
「――?どうしました?」
彼女のいつもと違う様子に、ジャックは敏感に反応した。
「……いや、何でもないよ」
「そうですか?寒いんなら言ってくださいよ、俺の上着お貸ししますから」
「そうか……助かるよ」
いまひとつ彼女らしからぬ物言いに、ジャックは首を捻る。この件についてもう少し詮索すべく口を開こうとしたところ、警察車両の無線が微かなノイズを吐き始めた。誰かが無線に語り掛けようとしているのだ。
果たして、わずかな間の後テオドラの応答を求める文言がレシーバから吐き出された。
「……
「――了解です」
無線に応答しないわけにもいかず、ジャックはこの件の詮索を諦めて懐から手帳とペンを取り出した。
数分後、ジャックの姿はユスティのもとにあった。
「アレクシーウさん、天候情報……で、合ってますよね?コレ」
彼はとても不安そうに手に握ったメモを差し出した。
ユスティはそのメモを覗き込み、首肯した。
「大丈夫です。それで合ってますよ」
ユスティはそのメモを受け取り、手早く自分の手帳に書き写した。
「――ああ、それと呼び捨てで構いませんよ。俺の方が年下みたいですし、変に畏まられるのも困ります」
ジャックの内心を見透かしたかのようなユスティのセリフに、ジャックは一瞬言葉に詰まった。予想外の言葉だったというのもあるが、彼の真意を咄嗟には計りかねたのだ。ともすればこれはユスティからの挑発かもしれないと、そう考えたのだ。
――しかし、少し考えたのち彼は自分の考えが杞憂だと判断した。彼とて人生経験が豊富なわけではないが、直感的にユスティに他人をいびったり自分の権力を笠に着る趣味はないようだと感じられたのだ。
「……わかったよ。じゃあ他の人と同じように『ユスティ』って呼んでもいいか?」
「構いません」
ユスティは再び首肯する。ジャックを見つめるその目は歳の割にも純粋で、温かみこそないものの人間としての温もりは確かに感じられた。彼のその目を見て、ジャックは自分の判断が誤りでないことを確信した。
「それと、お前も敬語はナシだ。俺もお前に遜られるような人間じゃない。よくいる
「そうですか――いや、そうか。分かった」
ジャックの言葉に、ユスティは素直に従った。言葉が若干詰まったあたり多少の葛藤はあったようだが、拘泥する必要も無いくらいの些事と判断したのだろう。器が広いとでも表現するべきか、こういった判断に対する懐の深さは年不相応だなとジャックは感じた。
そんな彼の思考に、ユスティが読んでいるメモの文章が割り込んできた。先ほどユスティに渡したメモの文章だ。その紙面にはアルファベットやら数字やらがジャックには理解できない法則の下並べられており、彼はこの情報をメモするのに多少の苦労を要した。
「そういえばユスティ、その文章――METARっつったっけか?それ、何かの暗号か?」
何か別の考え事をしていたであろうユスティだったが、彼の疑問に特に不満も言わず応えた。――彼の顔は一切見ずに、ではあるが。
「暗号といえば暗号だな。数字とアルファベットの羅列だけで最低限の情報を伝える、いわば圧縮言語だ」
そう言い、彼は手に持つメモをジャックに向けた。
「最初のアルファベットが空港名、続いて日付と時刻。その次のひと塊が風向と風速だ。その次が風向の変動、更にその次が視程……といったふうに、決まった情報を決まった文法で決まった順番に書いているのがこの『
「なるほど、沢山の情報を効率よく伝えるためにこうなってるのか。読み方さえ分かればこの方が楽そうだな」
ジャックの言葉にユスティは頷く。
「で、この情報からは何が分かるんだ?」
「何も。――だが、さまざまにある可能性からあり得ない可能性を排除する助けにはなる」
ユスティの要領を得ない回答に、ジャックの頭は再び疑問符で埋め尽くされた。
「何も分からないけど、あり得ない可能性を排除する助けにはなる……??どういう事だ?」
ジャックの疑問に、ユスティは周囲の様子を指差しながら答えていく。
「例えば、そこの松の木。真新しい傷があるだろう?」
ユスティの指先を見ると、そこには先端近くが折れた松の木があった。その断面は、彼の言う通り真新しいものだった。
「この飛行機は不時着をする際あそこの木に触れながら降りてきたという事だ。右主翼が機体から分離していることと限定的な範囲で地表付近にも破砕痕があることから、機体は地表付近で右に大きく
さらに、とユスティ。
「不時着に際しては専用の手順を踏む必要があるため、少なくとも数十秒間は直線的な飛行経路をとっていた可能性が高い。その分の距離に天候情報から考えられる進路のずれを加味すれば、事故機が通らなかったであろう場所が大まかに分かる。空港からの距離から考えて、この機は上昇中に何らかの不具合を発生させた筈だからな。その間の飛行経路は概ね直線的な筈だ。……今やっているのは、そういった情報を考慮しての捜索範囲の絞り込みだ」
「……へぇー、この短い間にいろいろ考えてるんだな」
ユスティの説明にジャックは分かったフリをする。ユスティの手元にある地図を見ても、彼の言うことはあまり理解出来なかった。そんなジャックの様子を知ってか知らずか、ユスティは冷淡な反応をした。
「このくらい、知識があれば誰でも出来る。俺の場合ただ知識を得る機会が多かっただけだ」
ユスティのその言葉に、ジャックは答えるべき内容を思いつかなかった。
少しの間流れた微妙な静寂は、こちらに駆け寄ってきたハンナの声に破られた。
「ユスティ、救助活動終わったみたい!」
「そうか。ありがとう。――で、数字は?」
ぼかすでもなく「数字」という言葉を使ってのけたユスティに、ジャックはギョッとした。彼が言う「数字」とは恐らく死傷者のことだろう。失われた命や傷ついた人々を「モノ」として割り切って考えることが、彼なりの自衛だとでもいうのだろうか。
「飛行機に乗っていた百二十九人のうち乗務員まで含めて死者はゼロ、重軽傷合わせて九十二。死者が出なかったのはラッキーね」
「確かにそれは奇跡的だな」
ハンナの少し興奮した様子を咎める事もなく、ユスティはハンナに同意した。航空機の墜落事故において死者が発生しないというのは、それだけで十分奇跡に値する出来事だ。無学なジャックをしても理解できるくらい、今回の事故はかなり幸運な部類に入る事故だ。
「パイロットは?」
「両名共に軽傷。だけど二人とも頭部に傷があって病院での検査のため搬送されたみたい。客室に別便を担当するために乗り合わせていたパイロットもいたけど、彼も軽傷。意識もあるみたいだし、無事と言って良いでしょうね」
「そうか」
そこまで聞いて、彼の緋色の瞳に安堵らしき感情が覗いた。
「なら、先ずはパイロットから事情を聴く必要があるな。ハンナ、頼めるか。軽傷者への事情聴取はこっちで引き継ぐ」
「任しといて」
そう言い残すと、ハンナは駆け足で元来た方向へ去っていった。
「なぁユスティ、『頼む』って何をだ?」
警官であるジャックは、事故/事件当事者からの事情聴取の重要性を叩きこまれている。それ故パイロットからの事情聴取を最優先した理由までは理解できたのだが、それだけでは説明しきれない、どこか労いめいた響きを彼の言葉に感じたのだ。
ユスティは警官である彼の身分を前提に、「事情聴取」という大枠は省いて説明した。
「航空機事故の場合、パイロットが見聞きした情報や得た感覚は何事にも代えがたい情報となる。これを誰かに話してしまって何かしらの先入観を付けてしまう前に、パイロットを『隔離』しておく必要があるんだ」
「誰かに話してしまう前の『隔離』、か。まるで感染症患者だな」
身に馴染んだそれとは違う「事情聴取」の事情に、ジャックは思わず抵抗感を露わにした。ユスティはそれを指摘しなかった。
「実際のところ似てはいるな。感染症も情報も、広がり始める前に手を打つのが大事だ。違いがあるとするなら、それが『拡げないこと』を目的とするのか『変異を防ぐこと』を目的とするかの違いだけだ」
なるほどな、とジャックは彼の言葉に納得する。それと同時に新たな疑問がジャックの中に生まれた。
「……なら、お前は行かなくていいのか?一番大事な情報なんだろ、直接聞かなくていいのか?」
「俺はそういうのが得意なわけじゃないからな。ハンナを手伝いに行っても邪魔になるだけだ」
それに、とユスティは続ける。
「――俺は俺でやることがあるからな」
「やること?」
ジャックはユスティの手元を覗き込んだ。彼の手にあるのは使い込まれた手帳とペン、先ほどジャックが渡したMETARのメモとこの周辺の地図。先ほどから熱心にこれらに目を走らせているあたりユスティの「やること」はこれらに関係がありそうなものだが、ジャックにはそれが何なのか検討がつかなかった。
彼の疑問に対し、ユスティは勿体付けることもなくあっさりと答えた。
「現場の特定だよ」
「現場――って、ココ以外のどこのことを言ってんだ?」
ジャックには彼の言葉は到底理解できないものだった。
事故機があり、救助活動の最前線があり、状況の全てがここにある。そんな場所が「現場」ではないというのは、ジャックにとって理解しようのない発想だった。
そんな彼に対し、ユスティは淡々と事実を述べる。
「飛行機事故の場合、全ての証拠が一か所に集まっていることはまずない。飛行機は必ず特定の飛行経路を通り、何らかの証拠を残してその場所を通り抜ける。それが目撃証言か物的証拠かはともかくとしてな」
それに、と事故機の後端付近を指差しユスティは続ける。
「今回の事故機はエンジンを損傷している。破損の様子からして不時着の衝撃で破損したとは考えにくい。ならばエンジンの損傷は飛行中に起こったものである可能性が高い。エンジンを破損した状態で飛行すれば、飛行経路に破片の一つや二つ落ちていてもおかしくはない。そしてその破片を調べればエンジン破損の真相に繋がる証拠が見つかる可能性もある――と、そういう事だ」
ユスティの説明に、ジャックは納得と困惑のため息を漏らした。
「……ってことは、アレか、このだだっ広い雪原を小さな破片のために歩き回るってことか?」
「そのための『現場特定』だ。あてもなく彷徨うよりは断然マシだろう」
間接的な肯定に、ジャックは力なく項垂れた。
「――で、実際に調査に出る人間は誰だ?」
ジャックの悲鳴めいた言葉に、しかしユスティは無情に応える。
「もちろん
ユスティの無慈悲な回答に、ジャックは膝から崩れ落ちた。
そんな彼を哀れに思ったのか、ユスティはジャックの肩を叩く。
「そう落ち込むな。俺たちの本部に来ればコーヒーくらいは出してやるぞ」
「そういう事じゃねェ!」
数十分後。
今行える調査を全て終えたユスティは乗ってきたバンまで戻ってきた。
バンのリアドアを開けると、そこには書類の山に向かう小柄な男の姿があった。
「ん……ああ、お帰りユスティ」
男はサイズの合っていない眼鏡をしきりに押し上げながら戻ってきたユスティを迎えた。
「ただいま。資料の方はどうだ、葵」
「まだ十二分の一ってところ……なにしろ新鋭機だしね、今までの飛行機とは少し勝手が違くて苦労するよ……」
葵と呼ばれた男――安野葵は資料に格闘しながらそう言った。
ユスティの云う「どう」とは、葵に依頼していた事故機のマニュアル類の「把握」である。彼は生来暗記能力と記憶力に優れており、加えて航空技術への理解が深いことから航空機事故調査委員会に於いて「生き字引」的な立場を担っていた。
無論ただ暗記をするだけではなく資料の分析と計算も行っており、調査の進展には彼の活躍が大きく関わっている。
「一番の問題は『魔動機関』だね……ひょっとしたら、僕には手に負えない代物かもしれないよ」
「それほどまでに複雑なのか?」
「いいや、既存の――というよりかつて存在したターボジェットエンジンほどの複雑さは無いね。ただ、これが『遺産』に由来するものじゃないっていうのが一番の問題かな」
葵は資料を手繰る手を一旦止め、ユスティの方へ向き直る。
「『遺産』から見つかる技術や知識っていうのは、総じて似たような文法があるんだ。でも、『魔法』はそうじゃない。なにしろ『遺産』に記述の無い、いわばこの世界オリジナルの技術体系だ。そういう点が、僕にとって相性が悪いのかもしれないねぇ……」
「知識に『文法』――とは、どういう事だ?」
「そのまんまの意味さ。『遺産』から出てきた知識っていうのは、記述に特有のルールみたいなものがあるんだ。言うなれば作文ルールみたいなものさ」
葵は資料の束をいくつか引っ張り出し、それらを順番に重ねていく。
「例えば説明的文章を書くときに有効な記述法があるよね。
でも、と葵は書類の山を崩す。
「魔法学にはそれが無い。如何せん未成熟な学問みたいだからね、全体を俯瞰できるような解釈が難しいんだと思うよ」
「成程、相性が悪いというのはそういう事か」
葵は首肯する。
「こればっかりはどうしようもない。いくら僕が記憶力が良いからって、何でも理解できる天才ではないからね」
そう言いながら葵は書類を拾いなおし、再び書類の山に向かった。その言葉は、ユスティにとってはあまり歓迎できるものではなかった。
「だが――」
口を開きかけたユスティの機先を制し、葵は言葉を発した。
「でも、やれるだけの事はやるよ。僕に出来るのはこれくらいだし、僕に出来ることが役に立つなら僕は全力で自分の仕事をするよ」
「……そうか、助かる」
彼の言葉に、ユスティは肩の力を抜いた。
ユスティは手近なシートに腰かけ、軽く首を回す。
「お疲れ様。進展はどうだい?」
「微妙なところだ。外観からしてエンジンに深刻なトラブルが発生したらしいことは分かったが、そのエンジントラブルが不時着の直接的な原因なのか副次的な事象なのかはわからない。とりあえず事故機周辺数百メートルを捜索してもらっているが、何かしらの物証が見つからない事には何とも言えないな」
「そっか……まぁそうだよね」
ユスティの色好くない
「ともあれ、今のところ出来ることは少ないな。もう少ししたら乗客からの証言集めに協力するが、それ以外は時間が必要なものばかりだ」
「みたいだね。……そういえばハンナは?」
「パイロットから話を聞くため病院に向かった。重傷者の治療が終わって面会できる状態になったら俺たちも向かうが、一先ずハンナだけで十分だろう。――コーヒーは?」
「欲しい」
ユスティはバンに据え付けた電気ケトルのスイッチを入れた。こういった商品も『遺産』からの発掘品だ。
これから先、どこで休息が取れるかわからない。休める時間を見つけて積極的に体と頭を休ませることの大事さを、ユスティらは身を以て学んでいた。
束の間の休息も終え、ユスティは生存者が応急処置を受けているテントへ向かっていた。本当ならユスティ以外の人手も欲しいところだったが、警官の大部分は周辺の捜索に割り当てられ、残りは非常線維持のために駆り出されている。補充要員も考えると、おいそれと人手を借りるわけにはいかなかった。
医療テントに着いたユスティはあたりを見回す。そこかしこからうめき声やすすり泣きの声は聞こえるが、絶叫の類や切羽詰まった様子の指示は聞こえなかった。ハンナの言う通り、死者や死の危険がある重傷者はいなかったのだろう。
ユスティはテントのうち、特に落ち着いた様子の傷病者のいる一帯に向かった。治療中の人間はもとより、錯乱状態や混乱状態にある人間から話を聞くわけにはいかなかった。
テントの一角に到着したユスティは、その中で特に落ち着いている人に話しかけた。
「こんにちは。『航空機事故調査委員会』の者です。お話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか」
声をかけられたその当時、シュルヴィア・アイリ・サルメライネンは僅かな混乱を除いてとても冷静に自分の置かれた状況を観察していた。
飛行機が墜落――機内放送によれば「不時着」だったか――しても尚自分が生き残っていること、事故からいくらも経たないうちに消防と救急が殺到してきて救護テントに担ぎ込まれたこと、自分が五体満足で事故から生還できたこと。これらすべての体験はアイリにとって間違いなく「非日常」であったが、アイリはそれら全てをつぶさに観察していた自分に驚きを隠せなかった。
――ユスティ・アレクシーウと名乗る青年が話しかけてきたのは、まさにそんな折だった。
「――『航空機事故調査委員会』、ですか?」
「はい。今回の件の調査を主導する組織です。事故当該機に乗り合わせていたとお見受けして、お話を聞きに参りました」
歳はアイリとそう変わらないように見えるが、彼は救護テントの惨状を見ても眉一つ動かさない。よほどこういった光景に慣れているのだろう。そう考えると、アイリの胸中にはどこか哀愁めいた感情が湧いてくるのが感じられた。年に不釣り合いな筈のスリーピースがやけに似合っていたのも印象的だった。
身分証を呈示してはいたがその身分証の真贋はアイリには分かりようもなく、多少の不信感はあったが、アイリにとって事故の証言をすることは不利にはならない。彼女はそう割り切って聴取に応じることにした。
「私の記憶に頼ったもので宜しければ構いませんが」
「結構です。では単刀直入にお尋ねします。――何がありましたか?」
そう問われたアイリは、遠くない記憶を念入りに探る。
「……『何があったか』と問われましても一言には言い表せないので、順を追って説明させて頂きます」
アイリはふぅ、と呼吸を整える。その間に、青年はスツールをベッドの枕元近くに引き寄せ腰かけた。
「――まず、振動がありました。飛行機を何かが掴んで揺さぶるような、そんな振動でした。窓側の席だったので窓の外を覗いたところ、飛行機の後ろの方で何かか弾け飛ぶのが見えました」
「何か――とは、どんなものか分かりますか?」
「何かの破片のようでした。生き物などではなかったと思います」
「ありがとうございます。――それで?」
「その後飛行機の揺れが収まって、それと同じくらいのタイミングで浮遊感がありました。飛行機そのものがガクッと沈むような、そんな感じでした。その浮遊感はすぐに治まりましたが、飛行機が力なく落ちていく感じがして、その瞬間に『ああ、墜落するんだな』と考えました。」
「その後何か変化はありましたか?」
「一瞬だけ、最初にあったような振動がぶり返しました。その直後に一際大きな振動がして、その後不自然な揺れはありませんでした」
「成程……乗客の皆さんはどんな様子でした?」
「何かを喚く方もいれば一心不乱に祈る方もいて、まさに阿鼻叫喚といった感じでした。斯く言う私も取り乱していましたが……」
「そうでしょうね。心中お察しします」
「――それと、コックピットの方に向かう人もいました」
「コックピットに?」
「はい。その方は出張を予定していたパイロットの方、切羽詰まった状況の中『支援に行く』と言ってコックピットへ向かいました」
「その方が席を立ったタイミングや席の位置などは分かりますか?」
「席は私の隣です。席を立ったのは一番大きな振動の少し後です」
「その方のその後の行動などは分かりますか?」
「不時着の直前に戻ってきました。シートベルトを付けて衝撃に備える姿勢をとって……その後はわかりません」
「そうですか。――その他、何か気になったことや不審な点などはありましたか?」
「いえ、特には。……私の記憶の限り、ではありますが」
「それで構いません。――ご協力ありがとうございました」
そう言うと、青年はスツールから腰を上げた。
「今後もまたお話を伺いに来るかもしれません。構いませんか?」
「大丈夫です。私でよければご協力させて頂きます」
「助かります。――最後に、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「シュルヴィア・アイリ・サルメライネンです」
「ありがとうございます。……では、お大事になさってください」
そう言うと青年は礼をして去っていった。
「――以上が生存者の証言を纏めたものだ」
生存者からの事情聴取を一旦終え、事故調の面々は組織の本部オフィスにあった。
「現状証言から分かるのは、エンジンに何らかの不具合が発生したらしいことと、それが原因で不時着するに至ったらしいという事だけだ。今のところ話を聞けたのは軽傷者の四割ほどで、証言を纏め終えるにはまだ少し時間がかかりそうだ」
「四割……てことはだいたい三十人くらい?」
「そうだな。全体数でいえば三割にも満たない数だ。周辺の捜査に空港周辺での聞き取り調査、非常線の維持……警察も人手に余裕がない。俺一人ではこれが限界だろう」
ユスティの言葉に、ハンナがひとつの案を示す。
「なら、私が手伝おうか?こっちは手が空いちゃったし」
「いや、俺だけで大丈夫だ。生存者の話から大まかな捜索範囲は掴んだから、ハンナはそっちを頼む。警官の指揮も任せたぞ」
「らじゃ」
ユスティの指示に、ハンナは敬礼の
――と、ハンナの言葉に引っ掛かりを感じたユスティはハンナに質問をした。
「――そういえば、パイロットの方はどうなった?『手が空いた』と言っていたが」
ユスティの問いかけに、ハンナはかぶりを振った。
「――ダメだった。搬送先の病院に直接行ったんだけど、一足先に航空会社の方が手を回してたみたい」
「というと?」
「私たちが話を聞くより先に、メディアの方に出させたいみたい。事故を起こした会社とあってはイメージに響くし、今回の『奇跡』を大きく報道させてイメージダウンを回避する狙いがあるのかもね」
先に話した通り、事情聴取は誰にもその事を話していないタイミングで行うことが望ましい。自分の見聞きしたことをを誰かに話をしてしまうと、仮に話した内容が事実にもとる事でも「これは事実だ」という先入観が付いてしまい、正確な証言が得られなくなってしまうからだ。その点今回のケースは非常に良くない展開であった。しかも、その状況の渦中にいるのが最も重要な証言を握るパイロットとあっては具合が悪い。
「ごめんなさい。もっと早く手を回してればこうはならなかった」
肩を落とすハンナをユスティは慰める。
「いや、向こうの思惑を知りようが無かった点から言えば、現状ではこれが最善だ。過ぎたことを悔やんでも仕方ない」
「そうだよ、ただでさえ人手が足りないんだ。十割の捜査なんてどだい無理な話なんだから」
葵もユスティの言葉に賛同する。
実際のところ、事故調の人手不足は深刻である。司令塔であるユスティに資料の調査・分析を担当する葵、現地の調査などを指揮するハンナと臨時の調査スタッフが数名。テオドラの部下である警察官を臨時で借り受けることもできるが、それでも人手に余裕が無いのに変わりはない。この人数で調査を完遂させなければならないのだ、調査の過程での粗は推して知るべしだ。
「パイロットの行方はわかるか?」
「そっちもダメ。私が病院に着いた頃には全部終わっちゃってた。病院にいた人に話は聞いたんだけど、人目を忍んで病院を抜け出したみたいで目撃者はいなかった」
パイロットの人相もわからないしね、とハンナ。
「なら、今後の捜査は乗客の証言を中心に捜査することになるな。パイロットの判断や見聞きした情報が得られないのは少し痛いが……」
「計器類の表示なら
葵の言う「計器は後から読み取れる」というのは、ハンナに対するフォローや慰めではない。
彼の言った「FDR」というのは、俗にいう「ブラックボックス」のひとつだ。これらは飛行中の航空機の凡そ「全て」と言って良い情報を蓄えるデータロガーと、衝撃・炎・浸水などから内部のデータを守る機能を持つケーシングからなる。このブラックボックスは前述のFDRとコックピット内の音声を録音する「
余談ながら、これら「ブラックボックス」は名前に反して蛍光オレンジや赤のケーシングに包まれている。
「となれば、今後の捜査はブラックボックスの解析と事故機の分析待ちだな」
「飛行機本体のほうは僕がやるよ……ちょうど実機を見たかったところでもあるしね」
「なら葵はそっちを頼む。俺は生存者からの事情聴取、それが終わったら葵の手伝いだ」
「助かるよ、ユスティ」
「あーあ、私一人だけむさ苦しい男所帯で泥さらいか~」
「君に適任じゃないか……能力的にも」
「む、何よその言い方!」
「まぁ落ち着けハンナ。ハンナの能力は、俺も葵も認めるところだ」
「……嫌味かしら、全く」
むくれるハンナに構わず、ユスティは手元の書類を纏めて席を立つ。
こうして今後の捜査方針も決まり、第一回の報告会は終了した。
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