はじまり-2
彼が目を覚ました。
その報せを受け取ったリヒトは、居ても立っても居られず転移魔法を行使した。
はっと目を開けば、そこはリヒトの家の前だった。蔓草模様の門扉を押し開けば、季節の花々に彩られた前庭がある。クリーム色の外壁の上、橙色の屋根瓦の向こうには、小高い木々の立ち並ぶ森が見えた。
玄関先に立つと、リヒトは扉へと手をかざした。中空に光る魔法陣が浮かび、やがてかちゃりと鍵の開く音がした。
脱ぎ散らした靴や上着を放り出して、リヒトは2階への階段を駆け上がった。
彼の居る寝室のドアを勢いよく開いて、室内へと転がり込む。
はぁはぁと息を切らしながら、リヒトは満面の笑みを浮かべて顔を上げる。そこで始めて異変に気がついた。
窓際に設えたベッドの中、彼は恐怖に目を見開いていた。頭の上にある立派な耳は折り畳まれ、尻尾は足の内側へと仕舞い込まれ。シーツは乱れて毛布は床に落ちて、まるで彼が、怯えて後ずさりしたかのようで。
リヒトはその意味を理解できず、無頓着に一歩二歩と彼に近づいた。彼を気遣うために、容体を案じるように、当たり前のような親切心で。
その途端、彼は弾かれたようにベッドを飛び出す。そのままリヒトの前に跪き、額を床板へと擦り付けんばかりに頭を下げた。
「も、申し訳ございませんっ、旦那様」
「えっ、え? どうしたの、急に……」
戸惑うリヒトの足元で、彼は切羽詰まった声を上げる。
「主の許可なしにベッドに寝たこと、また貴重な薬や包帯を私などに使わせてしまったこと、まことに許されざる失態です。仕置きは何なりと受けます。どうか、お許しを……」
そう早口でまくしたて、それきり彼は黙ってしまった。土下座の姿勢から動こうともせず、重たい沈黙が辺りを包んだ。
「えーっと。まず、落ち着いてね」
リヒトはそうっと彼の元に歩み寄った。側にかがみ込んで、額に手を当てる。やっぱり、熱がある。それに汗をずいぶんかいている。震えもひどい。
「まだ休んでた方がいいよ。ほら、こんな床に座ってないで、ベッドに戻ろうよ」
獣人の彼は訝しげに顔を上げた。形のよい眉がひそめられる。
「……? それは、命令でしょうか」
今度はリヒトの顔にも疑問符が浮かんだ。
「? どういうこと。命令なんてしないよ」
ほらほら、ちゃんと休まなきゃダメだよ。リヒトの勢いに押されて、彼は戸惑いながらもそれに従った。寝台に横になると、リヒトが毛布を丁寧に被せた。
「あと数日は休んでいてね。水や食事はそこの机に置いておくから、食べれたら食べてね。ときどき様子を見にくるからね」
それじゃ、お大事に。そう言い残して、リヒトは部屋を後にした。
一人残された彼は、そろそろと毛布を肩まで引き寄せる。不安げな表情を浮かべたまま、天井を見つめていた。
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