この足跡は何かがおかしい

しろしまそら

紳士たる者、死んでも靴下を履け

 私は田中太郎。しがないサラリーマンだ。


 私は気が付いている。一週間前に越して来たこの部屋に、目に見えない同居人がいることに。


 家賃月々一万円に惹かれて入居したこの部屋では、しばしば妙な音がする。

 カタカタ、ギシリ、トントントン。

 日々をホラーに彩ってくれるラップ音であるが、なんせ築数十年のアパートだ。経年劣化によるものであると初めは楽観的に考えていた。


 しかし、真夜中になると決まって、生々しい足音がするのだ。これにはなかなか慣れない。

 ひたり、ひたりと、布団の脇へ、耳元まで近づいて来たかと思うと、そこで暫く音が止み、再びひたり、ひたりと、今度は離れていく。


 誰かがこの部屋で彷徨い歩いているかのような音だ。そして、今日、それが確信に変わった。

 床に足跡があるのだ。

 居間から寝室へ向かい、布団の横まで来て、戻った痕跡。思わず息を呑んだ。


 しかしそこで、ふとその足跡の違和感に気がつく。

 所謂ゲソ痕のような靴跡でも無ければ指の形が残る裸足の跡でもない。靴下を履いた者の足跡である。


 夜、ついにその時は来た。恐る恐る目を開けて見ると、何者かが私の枕元に立っていた。


「……ひとつ質問させてくれ」


 暗がりに慣れた目でその何者かの全体像を把握して、私は頭を抱えた。


「どうして裸で靴下だけを履いているんだ」


「紳士たるもの、いかなる時もネクタイを締め靴下を履いていなくちゃダメだろう」


 その地縛霊は変態だった。その男、全裸だというのに、何故かきっちりと首元にネクタイを締め、靴下を履いている。


「紳士なら全身着なさい」


 寺生まれの私は、その男の胸の前に手をかざし、印を結んだ。


「やめろ、成仏してしまう、成仏してしまう」


「しなさい」


 霊力を見れば、大したことはない、弱い霊だ。このぶんならすぐにでも祓うことが出来るだろう。


「待ってくれ、俺の未練を聞いてくれ」


 弱々しく必死に縋る男が哀れになり、私はいったん除霊の手を止めた。


「俺はずっと一人で、一人でこの部屋で死んで、誰も覚えていてくれなかったんだ」


 男は膝から崩れ落ちてわんわんと泣く。全裸なので客観的に見れば最悪の光景だ。


「せめて霊としては目撃者に覚えていて欲しかったんだ。強いキャラでインパクトを残したかった」


「癖のある足跡を残そうとしなくて良いんだよ」


 大丈夫、私は寺生まれの被用者除霊師サラリーマン。祓った魂のことは、ちゃんと一人一人覚えている。だから、安心して行きなさい。


 そう伝えると、霊は満足したように天へ登って行った。

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この足跡は何かがおかしい しろしまそら @sora_shiroshima

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