第53話 桃色の彼方へ

 〜SideView Momo〜


 ◇



「──えっと、大蔵さん、オレと放課後どこかに遊びに行かな、」

「いえ、お断りします」



 とある学校、ある日の放課後。


 校舎三階、喧騒が漂う教室の廊下にて。


 パッツン前髪のボブカットが似合う高校二年生の女子、大蔵桃香おおくらももかは、表情筋をピクリともせず、陽気に声を掛けてきた男子生徒、いかにも女子受けしそうなイケメン君の横を、そのまま何事も無かったかのように素通りして行く。


 白セーラー服のプリーツスカートを揺らしながら、周囲の好奇な視線も気にせずにスタスタと。


 彼女にとって、あくまで男子という存在は、決して恋愛対象に成り得ないのだから──。



 ◇


 そして桃香は、学校帰りに制服のまま電車を乗り継ぎ、スマホの地図を確認しながら、急ぎ目的地である某スタジオビルに向かう。


 スクールカバンの中に入っている台本を改めて確認してから、恐る恐るビルの自動ドアをくぐり抜ける。今日は来期新作アニメ『負けヒロインだった私、闇落ちして魔法少女に進化したので、これから勝ちヒロインたちを排除しようと思います』の初収録だった。


 そう、大蔵桃香は学生ながらも現役のアイドル声優として活動している。


 こうした背景から、仕事のために初めて来る慣れないスタジオビルの廊下をキョロキョロしながら進んでいると、


「あふぅ……」


 そのとき突如、神々しくも禍々まがまがしいオーラを感じた桃香は、思わず恍惚こうこつなため息を漏らす。


 薄暗い廊下の向こうから、カツカツとヒールを鳴らし歩いてくるのは、ワインレッドの英国風お嬢様ワンピースを華麗に着こなす美女──東雲綾乃しののめあやのだった。ついしばらくボォーっと見つめてしまう。


「──ぽわぁあ……、し、東雲センパイ、また収録をご一緒出来て、も、ももは感激です!」

「え、えぇ……。そそ、そうね。せ、せいぜい大根演技で私の足を引っ張らないでいただきたい、わ」


 こっちに近寄って来ないでくれる、的なフィールドを物ともせず、ハアハアと子犬のように擦り寄ってくる大蔵桃香に対し、口角をヒクヒクとゆがませながらも、そんな桃香からじわじわと後退を余儀なくされる綾乃。吐いた毒舌もイマイチ語尾が弱々しい。


「あ……、し、東雲センパイぃい、待ってください!」


 そして、早々に桃香のもとから立ち去ってしまう。


 その華麗なる後ろ姿を名残惜しくも見送った後、はかなくも愛しい綾乃の残り香をじっくりと堪能した大蔵桃香は、あたかも何事もなかったように、また暗い廊下をひとり歩き出す。


(……えーと、収録ブース、こっちであってるよね?)


 不安になって一旦立ち止まり、辺りをキョロキョロしていると。


「──こっちよ、さっさと来なさい。全くなんてどんくさい子かしら?」

「あ……、は、はい!」


 廊下の向こう側で壁に寄りかかり、心底面倒くさそうに綾乃が手招きをしていた。


 

 ◇


 収録が終わってから外に出ると、辺りはすっかり真っ暗になっていた。


 都内とはいえ、スタジオビル周辺は人通りも少なく、店が立ち並ぶ繁華街と違って、建物の明かりや街灯も仄暗ほのぐらい。だから桃香は、怖々ながらも急ぎ足で最寄りの駅方面に向かおうとする。


「ちょっと待ちなさい」


 するとその時、背後から聴こえてきた、凛々りりしくも透明感溢れる声で呼び止められる。


 この美しい女神のような風の調べは、紛れもなく、ついさっきまでわたしが演じてた美樹谷みきやあおいと殺し合い……、いえ、白熱した空中魔法バトルを繰り広げた挙句、最期に葵のキラキラレボリューションマックスビームで、夜空の彼方に吹っ飛んでいった、けど、今後はラブラブな百合展開を向かえる……かもしれない、真行寺麗華しんこうじれいかお姉様を熱演してた東雲綾乃センパイの美声──と、桃香は慌てて後ろを振り返った。


「あ……」


 果たしてそこには、両腕を組み、何故かそっぽを向いた綾乃の姿が。


「──ぜ、ぜひ一度貴方の演技について、物申したいことがあるわ。こ、これから駅までご一緒出来るかしら?」

「はい、喜んで!」


 そんな彼女に向かって、大蔵桃香こと、現役女子高生アイドル声優、小倉ももは、とびっきりの笑顔を浮かべた。

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