第51話 恋する乙女心は難しい。

 突然のコスプレやら知り合いとの鉢合わせやらで紆余曲折がありつつも、何やかんやで無事に終わった某大型アニメショップのイベントから次の日。


 僕は朝から満員電車に揺られて、所属事務所──『ノエル声優プロダクション』に訪れていた。今後の仕事についての打ち合わせだ。


 普段の業務連絡だったら電話やメールで簡単に済ませることが多いのだが、今回のように直接事務所に呼ばれるのは珍しい。現にこうやって足を運ぶのも年に数回程度だったりする。だからか、自然と身構えてしまう。


 また仕事にかこつけて、あの腹黒メガネ……いや、柏木マネージャーに無理難題を押し付けられはしないかと。



「──ええっと……、所属声優の神坂です。今日は柏木マネージャーに呼ばれて来ました」

「神坂様? ……ああ、例の……い、いえ、こちらにどうぞ」


 ノエル声優プロダクション──通称〝ノエルプロ〟は、小さいながらも都内に三階建てのビルを構えている中堅どころの声優事務所だ。


 その入り口には、こじんまりとした受付けがあり、僕が名乗りを上げると直ぐさま妙齢の女性社員さんの案内で、事務所の小さな会議室に通された。


「ど、どうぞこちらでお待ち下さい……ぷく」


 と、あからさまに含み笑いをされながら……って、失礼じゃね? でもまぁ、理由は何となく想像がつくけど。


 テーブルで一人パイプ椅子にもたれ掛かり、ボォーっと天井を眺め暫く待っていると、重そうな段ボールを両手に抱えた柏木さんが「やあ」と言いながらバタバタと会議室に入って来た。荷物をドスンと床に置き、ふうと一息ついて僕の向かいに座る。


「──今日はわざわざ来てもらって悪いね……おや、神坂君、今日はどうしちゃったの? 外出時にスッピンとはいただけないな」

「……いえ、今日は特に収録ってわけじゃないので」

「おっと、それもそうですね。素の神坂君を見たのは久しぶりだったからつい、あはは──」


 あはは、じゃねーよ。


 ちなみに今の僕は、肌にファンデーションやチークも塗ってないし、目元にアイシャドウ、アイライナーといったアイメイクも一切していない。当然、薄い口元にはリップも塗ってないし、頭に艶々つやつやなロングヘアのウイッグも被っていない。着ている服もひらひらワンピースとかじゃなくて、黒パーカーにデニム……つうか、この腹黒メガネ、女装姿の僕がデフォだと勘違いしてないよな?


「──それで、神坂君には今後いくつかオーディションを受けてもらいます」

「あ、はい」


 わざわざ事務所に呼ばれたからには、どんな無茶振りをさせられるかと実にヒヤヒヤもんだったが、至って普通の打ち合わせみたいだ。


 それこそ声優を生業なりわいとする者にとってのオーディションとは、真っ当な仕事内というか、収入源を確保するための重大な活動の一貫だ。今は夏ごろ収録を控えている〝終末アオハル〟を除けば、実質一本(変態メイド役)しか、これといったレギュラーがない。ちなみにゲームアプリキャラの吹替は一度きりだったし。


 これは空白だらけのスケジュールを埋めるため……っていうか、今の貧乏生活を脱却するためにも、気合を入れてオーディションに挑まなければ。


「──じゃあ早速、テープオーディションの準備を……」

「いえ、それは大丈夫です。直接スタジオオーディションに参加してください。これらはすべてオファーですから」

「へ?」


 ……つうか、マジかよー。しかも三作品。


 またもや制作会社からのオファー(参加要請)か……となると、もう既に三本ともテープオーディション(音声データでの声優選考)は突破済ってこと? 男性声優、神坂登輝かみさかとうきの名義で活動してた時とは雲泥の差だ。


 と、何だかわからないうちにヌルゲーと化したテープオーディションに疑問を浮かべながらも、目の前に並べられたテスト台本をそれぞれ手に取る。


『悪役令嬢に転生した私は、いつしか敵国の王子に見初められました。第二期(ライバルヒロイン ソフィア役)』


『乙女ゲーでざまぁされる悪役令嬢に転生したけど何故か攻略対象全員に愛されてます。第二期(ライバルヒロイン アニータ役)』


『悪役令嬢の私は何故か腹黒王子に溺愛されてます。(メインヒロイン マルガリータ役)』


 ──って、まさかの悪役令嬢もの三連発。しかも皆、全然知らないタイトルばかりだし……ということは、男性向きじゃなくて女性層をターゲットとした恋愛異世界系か? これは僕にとって未知なる分野──つまりだ、お芝居の難易度が未知数……というか、もはや難易度激高だろ。


 たとえサブ的なヒロインとはいえ、少女マンガぽい(壁ドン的な?)恋する乙女心なんて、とてもじゃないがチンプンカンプン……てか、どさくさに紛れて、ヒロイン(主役)が混ざってるんだけど。


「あ、あの……さ、さすがにこれは男の僕じゃ役作りが困難──、」

「ん? あ、そうそう、これが各々のキャラ設定資料です。あと、この段ボールの中に原作本が入ってますので……おっと、もうこんな時間だ。じゃあボクはこれで──」

「ちち、ちょっと柏木さ、」


 と、止める間もなく、疾風はやてのごとく部屋から立ち去っていく柏木マネージャー。


 一人ポツンと狭い室内に取り残された僕は、口を開けたままで途方に暮れる。


(──って、このデカい段ボール箱(大判ラノベ云十冊)、アパートまで持って帰るの無理じゃね? )

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