第49話 危険なサイン会 ①

「──ええっと……それってつまり、僕だけの参加、ってことですか?」

「そうですね。スケジュールの関係上、神坂かみさか君しか空きがないので……、それに来るお客様もきっと喜んでくれますよ?」

「……うーん、そうかなぁ──」


 というような、仕事の打ち合わせというか、結果的に柏木マネージャーの口車にまんまと乗せられた翌日。


 本日、アニメ『ヴァルキリーレコード』、略して〝ゔぁるれこ〟のBlu-ray BOX並びに原作ラノベの最新刊発売日。


 かくして僕は、朝からその販促イベントのため、池袋の大型アニメショップに訪れていた。


 当然、〝女性〟アイドル声優の橙華とうかとしてだ。



「──橙華ちゃん、オレずっとファンです! これからも頑張って下さいっ!」


「わ〜、ありがとう♡ これからも応援してね! カキカキ──」


「──押忍っ、アニメ見ましたっ! 自分、その声に惚れ込みました! 応援するっス!」


「えー、嬉しいな、ありがとうございます〜、あとBlu-rayBOX(豪華特典付き税込み33,000円)のお買い上げありがとうございましたー。でも流石にシックスパック(腹直筋)へのサインはちょっと……、えっ、どうしても? しょうがないな〜、カキカキカキ(うげぇ……我慢だ、我慢せねば──)」


 てなわけで、『人気アイドル声優、橙華とうか来店記念サイン会』という、かどうかは若干疑問が残るポップなポスター(盛りまくった女装写真は出所不明)をバックに、店内の壁際に用意されたイベント席に朝からスタンバっていた僕は、開店と同時に結構な人数のサインをいそいそと応じている。


 アニメキャラの影響もさるところだが、意外と新人? アイドル声優、橙華目当ての客もチラホラといて、これは今まで不人気声優だった自分としては嬉しい限りだ。とはいえ、少々複雑な心境。でも案外バレてない……いや、油断は禁物だろ。何しろこんな至近距離でのファンサは、より一掃女装バレのリスクが高まる……危険度マックスだ。ここらで一度、メイク直しを──。


 というような杞憂も虚しく、最初こそ盛況だった僕のサイン会も、開始一時間ほどで並びもほとんど無くなり、今では限りなくゼロとなった。


 うん……、所詮はこんなもんだ。幾ら〝ゔぁるれこ〟でメインヒロインをやったからといっても、まだまだアイドル声優としての知名度は無いに等しいしな。


 そんなこんなで黒髪ウイッグの毛先をくるくるしながらヒマをもてあそんでいると、


「……これは、いけませんね」


 僕の後ろでサイン会を見守っていた筋肉質な女性スタッフさんが、何やらブツブツと独り言を……かと思えば、グイッと目の前にその淡白な美人顔を寄せ、


「橙華さん」

「は、はい?」

「ちょっと今すぐこちらに来てもらっていいですか?」

「え? え? あのちょっと──、」


 と半ば無理やりグイグイ手を引っ張られ、有無も言わせず僕が連れて行かされた先は、従業員通路の片隅にある狭い個室。とりわけ殺風景な部屋だけに、大きな姿見の鏡だけがやたら目立つ。


「ここで少々お待ち下さい」

「えっと、……ぁ、はい……」


 女性といえど、流石はゲストの警備を任されるだけあるスタッフさんの迫力に圧倒され頷く僕。というか、こんな窓もない部屋にひとりポツンと残されても困るんだが……。


 とか思ってる間もなく、すぐに先程の屈強な女性スタッフさんが戻ってきた。


 大きな紙袋と共にらしきブツを脇に抱えて……。


 ──っ、イベント失敗の責任で僕は斬首刑? はは、そんなアホな。


 そして、バタンと扉を閉めた元アスリートみたいな彼女は言う。


「橙華さんには今からこちらが用意した衣装に着替えてもらいます」

「……へ、衣装?」

「では、早速お願いします」


 と、無造作に手渡されたのは、まさかの女子学生制服フルセット(ニーソックス含む)。


「……あのぉ、これを私が着るんですか?」

「はい。今すぐに」

「ええっと……その、流石にこれは事務所的にアウトかと……」


 セーラーブラウスとセーラースカート、ついでに真っ赤なスカーフ──いわゆる元祖セーラー服を見て即座に無理とアピール。この際だ、事務所NGを盾に訴えてみる。


「いえ、契約上では〝コスプレ可〟と記されていますので、何も問題ないかと思いますが?」

「え? そ、そうなんですか?」

「ですね。何なら書類を確認しますか?」

「ぁ……大丈夫、です」


(──くそっ、あの腹黒メガネ、後で覚えとけよ……)


「……橙華さん、もしやセーラー服の着方が分からないのでしたら、この私が着るのをお手伝いしますが」


 未だ着るのを躊躇ちゅうちょする僕に対し、若干苛立ちを見せる女性スタッフさん……っていうか、彼女自身、橙華が女装した男だと、たぶん気づいてないんじゃないかな?


「い、いえ、自分一人で大丈夫です!」

「なら急いでお願いします。イベントの時間も限られてますから」


 最後に彼女は、脇に抱えていた日本刀の精巧なレプリカを、ふんと乱暴に手渡し、一礼して更衣室から出ていった。


 そう、日本刀は自分が演じた〝八城雛月やしろひなづき〟のキーアイテム。


(って、あれこれ講釈垂れてないで、さっさと雛月のコスプレをしろってことか……)


 再現度が高い抜身の刀を構えてみた。


(……ま、まぁ、これも仕事の内だから仕方ないよな? それに今更だし……、私服の女子大学生から、セーラー服姿の女子高生にコスプレチェンジするだけだし──)


 と、渋々ながらも着ていた薄いベージュの春物ハイネックセーターを脱ぎ、履いていたフレアースカートを下ろす。


(──って、スカート短っ!? つうか、男物のトランクスに黒のニーソックスって、シュール感がハンパなくね?)

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