第46話 ソメイヨシノに導かれて。

 〜SideView Ayano〜 


 東雲綾子しののめあやこもとい女性アイドル声優、東雲綾乃しののめあやのの朝は、優雅に一杯のコーヒーから始まる。


 都心から少し離れた築云十年のワンルームアパート……いや、タワーマンションで、真っ赤なネグリジェ姿の東雲綾乃は、最近購入したばかりのコーヒーミール──には、一切目もくれず、某ネコキャライラスト入りマグカップにミルクと砂糖たっぷりのインスタントコーヒーを注ぎ、ちゃぶ台という名のテーブルにつく。


「──ふん、どれもつまらないニュースばかりだわ……」


 コーヒー片手にスマホで今朝のネットニュースを一通り閲覧し、ついでに唯一無二の女友達であるに今朝の一言(愚痴)を長文で送信した綾乃は、一向に既読がつかないことに多少苛つきながらも、早々に出掛ける準備をすませ、木造のボロアパート……いや、マンションを後にした。



 その後、東雲綾乃は通勤ラッシュが過ぎた山手線を乗り継いで、夏期テレビアニメ『とあるオッサン転生勇者の異世界奮闘記』のスタジオオーディション会場へと向かう。


 新作の春コートをまとい、肩の先まで伸ばしたセミロングの黒髪を揺らし、赤のトップス、黒ミニタイトスカート姿で、颯爽さっそうと会場入りした綾乃を待ち受けていたのは、今最も勢いのある若手女性アイドル声優の二人。


「あらー、偶然ね。東雲さんも今回のオーディションを受けるんだ」


 と、ふんわりショートボブのミルキー企画所属、水野秋みずのあき(代表作『わたしのことを妹と呼ばないでよね、お兄ちゃん!』如月花音きさらぎかのん役)。


「じゃあ、東雲さんとは役を取り合うライバルになるのかな?」


 黒髪のカチューシャ、アイループロダクション所属、鈴宮美波すずみやみなみ(代表作『氷の令嬢と呼ばれている私は何故かイケメン王子にモテモテです』イザベラ・フォン・ミラージュ役)。


 そして、ノエルプロ所属、東雲綾乃(代表作『オケ部にようこそ!』白鳥葵しらとりあおい役)は、そんな今をときめく女性アイドル声優の二人と廊下ですれ違い──無言でスルーした。


「──ちち、ちょっと待ちなさいよ!?」

「もう、ホント信じられない奴ね」


 そこでやっと面倒くさそうに歩みを止める綾乃。


「で、貴女方、私に何か言いたいことがあるのかしら? もしも、ただの傷の舐め合いだったら他所よそでお願いするわ」


 振り向きざまに腕を組み、目を吊り上げている彼女らに向かって言い放つ。


「き、傷の舐め合いって、あんた調子にの……ひっ、べべ、別にこれ以上はないけどっ、ね、鈴宮は?」

「わわ、わたしも特に──」


 いざカッとなって呼び止めはしたけど、東雲綾乃の鋭い眼光に尻込み、自然と言葉を濁す今をときめく女性アイドル声優コンビ。


 そんな彼女ら二人に対し綾乃は、「なら行くわ」と背中を向けた、かと思えば、すぐに振り返り、「ひっ」と逃げ腰である二人の顔スレスレまでグイッと詰め寄り、無言で彼女らに何かを握らせるや否や、そのまま何も言わずに立ち去っていく。


 もう何が何だか分からず、水野と鈴宮の両名は揃ってポカン顔。


「……、い、今の、何だったの?」

「さ、さあ……」


 そして東雲綾乃によって握らされた、のどあめの包みに眉をひそめ、顔を見合わせる──



 ◇


 午前中に行われたオーディションは、可もなく不可もなく案外すんなりと終わり、そして中途半端な午後の時間。


 これから特に予定がない東雲綾乃は、ひとりブラブラと桜が色づく公園を歩いていた。


 賑わいを見せる大勢の花見客を横目に、バッグの中からスマホを取り出す綾乃。時間を確認がてらカメラで公園の風景と共に八分咲きのソメイヨシノをフレームに収める。


 そのとき不意に着信があり、画面には最近登録したばかりの『神坂三鈴かみさかみすず』と表示。


「はい」


『──あ、東雲ちゃん、急にゴメンねー、今時間大丈夫かな? それとも仕事中?』 


「ええ、特に問題ないわ」


『なら良かった〜♪ ところで今日はすごく天気が良くてポカポカでしょ? これから登輝くんを誘って桜を見に行かない?』


「サクラ……」


『そう、桜だよ〜お花見だよ〜、営業のお仕事なんかしてる場合じゃないよね〜、丁度登輝くんのアパートの傍に大きな桜の木がある公園があってね、うーんとそこにお酒とおつまみを持ち込んでぇえ〜、だからね、東雲ちゃんも一緒に♪』


「……まあ、行かないこともないわ」


『良かった〜、だったらこれから登輝くんのアパートに突撃だねー、どうせ今の時間、間違いなく部屋に引きこもってると思うから〜』


「そうね……それでいい、わ」


『本当に? だったらね──』


 それから綾乃は、三鈴と打ち合わせをして、スマホをバッグにしまう。


「……し、しょうがないわね」


 そして、誰に言うでもなくそうつぶやき、薄手のロングコートをバサッとひるがえし、急ぎ足で駅方面に向かった。


 口角を思い切り上げて──。

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