オレンジボイス 〜底辺声優(♂)ですが、美少女《ヒロイン》の声を演じています〜
乙希々
第一部 序章
第1話 この度、メインヒロインの声に抜擢されました神坂登輝です。
「──そう。貴方は逃げられない、これからもずっと、一緒だから……」
『はーい、オッケーです。お疲れ様でした〜』
都内某所のスタジオ。
音響監督の声が響き渡り、張りつめていた空気がゆるやかに解けていく。僕は、
ガラス貼りの調整室に一礼し、早足でマイクの前から離れる。まあ、いろいろと思うことはあるが、本日の収録はこれで終了だ。
(……けど──)
そのときふいに、誰かの視線を感じた。
ディスプレイに映る、クラシックなセーラ服に身を包んだ、長い黒髪の少女。
その氷のような冷たい眼差しが、まるで僕の心を
「お疲れ様でしたー」「お疲れ〜」
そうこうしていると、座っていた椅子から次々と声優たちが、立ち上がり──、
そう。
ここは新作アニメのアフレコ現場。
たった今、記念すべき第一話の収録が終わったばかり。
(──って、こうしちゃいられない)
僕は先輩方を追うべく、慌ててブースから
「お、お疲れさまです! 今日は何度もリテイク(
真っ先に駆け寄ったのは、この作品で主役の男子高生を演じる
「いやいや、仕方ないって、なにせ難しい役どころだしね。オレは君のこと、応援してるよ?」
高身長の
「あ、ありがとうございました! 今後もどうかよろしくお願いしま、」
「そ、そうだね、じゃ、じゃあ、頑張って!」
妻夫木さんは、ふいと僕から目を逸らし、そのまま急いでスタジオから出ていってしまった。
(ええっと……あ、うん、何かと忙しい人だしな)
ってことで、気を取り直し、他の声優陣のもとへ向かう。この業界では自分の立場をわきまえた礼儀こそが必要不可欠なのだ。
「頑張ってね。くふふ」「お、おう、今日はお疲れさん」
「時代だなー」
で、結果的に皆が僕を
……いや、違った。
ただ一人──彼女だけは、顔を合わすなり、形の良い
「ふん、どうして貴方がメインなのかしら? 断固として私の方が適任だと思うわ」
ツンツンした台詞に反して、透明感溢れる清楚ボイスで。
一見、どこの令嬢(悪役)ですか? と思わせる
「座りなさい」
「あ、はい……」
僕は素直に東雲が座る隣に腰掛ける。それでも若干距離をとって。
同じ声優養成所出身だからとはいえ、デビューは彼女の方が先だ。いちおう事務所の先輩にあたる。ゆえに敬語はもとより、決してその意に反してはならない。実に理不尽だ。
「貴方、本当に分かっていて? 今なら降板って選択肢もギリギリ間に合うわよ」
その刺々しい口調はともかく、こいつ……いや、東雲パイセンが言ってることも一理ある。意外と本気で心配しての忠告かも知れない。
……が。
「まぁ……、正直色々と思うことはあるよ。でも僕自身初のメインだし、実際このチャンスを活かしたい、とか思ったりしてる……かな?」
その時だ。
突如、彼女は立ち上がると、その
「ちょ、ちょちょっと、し、東雲ぇええ──」
ぐらぐらぐるぐる揺れる視界の向こう、ぼんやりとアフレコスタッフの姿が映った。この状況は実にマズい。どう見ても共演者どおしのいざこざだ。
「そう、そうよ! メイン、メインっ! 作品の主要人物ぅ!」
「ううう、わわ、わか、分かって……」
「まぁったくぅ分かってないわぁあああ!」
そんな周りの視線なんかなんのその、声優、東雲綾乃は清楚系ボイスにあるまじき怒声を僕に浴びせ続ける。
「──っ、だいたいオトコのあんたがメインヒロインを演じてどうすんのっ!?」
だよね……。
それに関しては僕も同意見だ。
僕こと──声優、
なんで?
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