オレンジボイス 〜底辺声優(♂)ですが、美少女《ヒロイン》の声を演じています〜

乙希々

第一部 序章

第1話 この度、メインヒロインの声に抜擢されました神坂登輝です。

 

「──そう。貴方は逃げられない、これからもずっと、一緒だから……」





『はーい、オッケーです。お疲れ様でした〜』


 都内某所のスタジオ。


 音響監督の声が響き渡り、張りつめていた空気がゆるやかに解けていく。僕は、付箋ふせんと赤文字で埋め尽くされた台本を、そっと閉じた。


 ガラス貼りの調整室に一礼し、早足でマイクの前から離れる。まあ、いろいろと思うことはあるが、本日の収録はこれで終了だ。


(……けど──)


 そのときふいに、誰かの視線を感じた。


 ディスプレイに映る、クラシックなセーラ服に身を包んだ、長い黒髪の少女。


 その氷のような冷たい眼差しが、まるで僕の心をえぐるように睨みつけてきて……つうか、作画、妙に神がかってね?


「お疲れ様でしたー」「お疲れ〜」


 そうこうしていると、座っていた椅子から次々と声優たちが、立ち上がり──、


 そう。


 ここは新作アニメのアフレコ現場。


 たった今、記念すべき第一話の収録が終わったばかり。


(──って、こうしちゃいられない)


 僕は先輩方を追うべく、慌ててブースからい出した。


「お、お疲れさまです! 今日は何度もリテイク(り直し)を出しちゃって、本当にすみませんでしたっ」


 真っ先に駆け寄ったのは、この作品で主役の男子高生を演じる妻夫木渡つまぶきわたるさん。よわい三十にして、今まで数々の有名キャラを演じてきた超人気男性声優だ。


「いやいや、仕方ないって、なにせ難しい役どころだしね。オレは君のこと、応援してるよ?」


 高身長のさわやかイケメン。加えて性格も良いときた。まさに神。その圧倒的なイケボにゾクゾクしてしまう……が。


「あ、ありがとうございました! 今後もどうかよろしくお願いしま、」

「そ、そうだね、じゃ、じゃあ、頑張って!」


 妻夫木さんは、ふいと僕から目を逸らし、そのまま急いでスタジオから出ていってしまった。


(ええっと……あ、うん、何かと忙しい人だしな)


 ってことで、気を取り直し、他の声優陣のもとへ向かう。この業界では自分の立場をわきまえた礼儀こそが必要不可欠なのだ。


「頑張ってね。くふふ」「お、おう、今日はお疲れさん」

「時代だなー」


 で、結果的に皆が僕をねぎらってくれた。本当にいい人たちだ。


 ……いや、違った。


 ただ一人──彼女だけは、顔を合わすなり、形の良いまゆをひそめて言う。


「ふん、どうして貴方がメインなのかしら? 断固として私の方が適任だと思うわ」


 ツンツンした台詞に反して、透明感溢れる清楚ボイスで。


 一見、どこの令嬢(悪役)ですか? と思わせる艶々つやつやロングの派手な美人──東雲綾乃しののめあやのは、廊下の長椅子で黒タイトミニの中身が見えそうで見えない絶妙なラインで脚を組む。


「座りなさい」

「あ、はい……」


 僕は素直に東雲が座る隣に腰掛ける。それでも若干距離をとって。


 同じ声優養成所出身だからとはいえ、デビューは彼女の方が先だ。いちおう事務所の先輩にあたる。ゆえに敬語はもとより、決してその意に反してはならない。実に理不尽だ。


「貴方、本当に分かっていて? 今なら降板って選択肢もギリギリ間に合うわよ」


 その刺々しい口調はともかく、こいつ……いや、東雲パイセンが言ってることも一理ある。意外と本気で心配しての忠告かも知れない。


 ……が。


「まぁ……、正直色々と思うことはあるよ。でも僕自身初のメインだし、実際このチャンスを活かしたい、とか思ったりしてる……かな?」


 その時だ。


 突如、彼女は立ち上がると、その綺麗きれいな顔を僕の目の前に突き出した。そのまま胸ぐらをわしづかみにされ、首を揺さぶられる。


「ちょ、ちょちょっと、し、東雲ぇええ──」


 ぐらぐらぐるぐる揺れる視界の向こう、ぼんやりとアフレコスタッフの姿が映った。この状況は実にマズい。どう見ても共演者どおしのいざこざだ。


「そう、そうよ! メイン、メインっ! 作品の主要人物ぅ!」

「ううう、わわ、わか、分かって……」

「まぁったくぅ分かってないわぁあああ!」


 そんな周りの視線なんかなんのその、声優、東雲綾乃は清楚系ボイスにあるまじき怒声を僕に浴びせ続ける。


「──っ、だいたいのあんたがメインを演じてどうすんのっ!?」


 だよね……。


 それに関しては僕も同意見だ。


 僕こと──声優、神坂登輝かみさかとうき(♂)は、このたび来期放送予定の新アニメ『ヴァルキリーレコード』のメインヒロイン──八城雛月やしろひなづき(♀)の声を演じることになりました。


 なんで?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る