第10話 極悪人

 悲しいことに、回復魔法には「麻酔」という概念が存在しない。

 わざわざ体を傷つけるために痛みを消すことを、神は良しとしない。悪い部分があるなら研鑽と信仰を重ね、直接治せと望まれている。


 麻酔はどちらかというと、呪いの方が得意とする分野だ。相手の五感を奪うと表現すればわかりやすい。


「こういうときに薬品があればいいんだが――」


 なんでもかんでも、都合よく手に入るわけじゃない。

 僕はサラの口に布を噛ませ、両手両足をベッドに縛り付けて固定する。かなり荒っぽいが、無麻酔でやりきるしかない。


「死ぬほど痛いだろう。許せ」


 一時しのぎにかけた回復魔法の効果が切れたのか、サラはもう目を閉じて半分意識を失っていた。どうかこのまま手術が終わるまで意識を取り戻さないでくれよ。


 僕はでこぼこに肋骨の浮いたサラの肌に、ナイフの切っ先を入れた。




「お兄様ー! なにされてますのー!?」


 ドアが激しくノックされる。カルメンだ。


「レノ、壁を作れ!」


 ちょっと手が放せそうにない。

 ドア越しに何も見えなければ、カルメンは騒ぎ続けるだろう。病魔が入らないように薄い氷の壁で部屋を仕切った。


「もう、勝手にお邪魔しちゃいます……わ?」


 ちょうど肋骨を切断して胸骨を剥がし、裏面を見たところだ。一度目を覚ましてしまったサラは、あまりの痛みに気絶して白目を剥いている。


 あった、長さ1センチほどの金属片。想像よりも大きく、そして魔力を蓄えているみたいだ。

 ナイフの先端でそれを抉りとろうとした。思っていたよりもしっかり癒着してしまっている。


「ええ、生きたまま解剖してますの!? 噂だけじゃなくて、本当にしてますのね!?」


 カルメンが喜んでるのか怯えているのかわからない悲鳴を上げる。


「残酷ですわ! オルテガの中のオルテガですわーー!!」


 カルメンはきゃーっと楽しそうな声で叫びながら飛び出していった。騒がしいな。

 原因の金属片を取り除いた後、骨や皮膚を元の位置に戻し、回復魔法をかける。傷は完全に塞がったが、サラの体はまだうっすら熱をもっている。


「これで手術は終わり、あとは体内の付与魔法が薄れるまで、涼しい場所で過ごしながら回復魔法をかけ続けるしかないな」

「まずは手を拭いてください」

「ああ、ありがとう」


 レノから受け取った布で手を拭いた。いつのまに用意されていたのか、冷たいけれどきちんと濡らして絞ってある。


「また綺麗にしてあげて、服を着させておいてくれ。疲れているだろうが、頼んだ」


 市場で買ったばかりの服が血みどろになっている。

 薄い氷の壁を手で押して割り、僕は部屋を出た。扉の前で控えていた使用人の青年が、僕と目が合い小さく喉を鳴らす。


「入浴したい。手配しろ」

「かしこまりました」


 青年の後ろを歩く。すれ違う使用人たちはみな青い顔をして、目が合わないように床を見つめていた。

 少し距離が離れると、ひそひそ囁く声が聞こえる。


「何かしら、あの血は……」

「カルメン様が、人を生きたまま解剖しているとおっしゃっていたわ」

「なんて恐ろしい方なのかしら」

「しっ、聞かれたらあなた達も解剖されるわよ」


 ミゲルは耳もいいようだ。全て聞こえてしまう。

 思わずため息をつくと、使用人の青年はびくりと肩を跳ねさせた。

 いや、怯えさせるつもりはなかったんだ。


 元から悪人だとは思われているのだろうけれど、すっかり極悪人認定されてしまっている。

 ――この家で生きるなら、そっちの方がいいのかもしれないけれど!

 この世界に来てしまったことそのもの以上に、孤独を感じながら僕は入浴した。湯に薄まり足元を流れるサラの血が、いやに鉄さび臭かった。



 改めて部屋に戻ると、中はすっかり掃除されていた。

 ベッドに横たわり穏やかな寝息を立てるサラと、やり遂げた顔をしているレノがいる。


「仕事が早いな。流石だ、レノ」

「お褒めにあずかり光栄です」


 めちゃくちゃ得意げな顔をしている。ダークエルフのドヤ顔なんて初めて見たかもしれない。

 清潔なシーツ、清潔なガウンに包まれて眠るサラは、角のとれた柔らかい表情でぐっすり眠っている。痛みのない眠りは久しぶりなのだろう。ゆっくり休むといい。


「さて、これからどうしたものか」

「ずっとミゲル様のお部屋に置いておくわけにはいきませんものね」

「ああ、女性と同じ部屋なのは良くない」

「そうですね。女がミゲル様と同じ部屋にいるのは良くないです」


 そうだよな。

 それに、奴隷の女性を部屋に置いているというのも、対外的に悪印象を与えるだろう。


「一旦、私の部屋で面倒を見ましょうか? 同室が全員辞職しているので、今は私しかおりませんし。それに氷冷魔法で部屋ごと冷やすこともできます」

「それじゃあ頼んだ。俺は少し休む」


 僕は椅子に腰かけ、まぶたを下ろした。

 今日は色んなことが起こりすぎた。思考を整理することも許されない怒涛の1日。

 心も体も重たい。ゆっくりと無に落ちていく意識。

 どこか遠くから、故郷の気配がしたような気がする。ああ、いや。これは蝋燭の匂いか。夕方の匂いだ。

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