第9話 無慈悲な矢

 護衛の男は肩をすくめると、気怠そうな表情で言う。


「だから護衛を増やせって言ったのにな。俺が勝っても負けても、おっさんがその調子じゃダメだろうが」

「うーむ。体内に付与されている魔法の質と量からして、とても動ける状態ではないはずだが、こいつはなんだ? 余計に興味が湧いて来たぞ。本人の資質か? それとも外部的なもの? まさか精神力や根性の類ではあるまい。それとも付与の――」

「あー、マジでダメだこりゃ」


 呆れた顔で護衛はつかつかと歩み寄ると、セビリャ男爵の腹に拳を突き込んだ。


「――の性質からしてごふぁっ!?」


 白目を剥いて気絶したセビリャ男爵を肩に担ぎ上げ、護衛は僕をちらりと横目で見た。


「俺らの負けだ。この猫は譲ってやる」

「……すまない」


 勝ったはずなのに傷だらけの僕の様子に、護衛はにやりと笑った。


「面白いな、オルテガのガキ。噂とは全然違う。俺の名前はオミニド。いつか会うこともあるだろう」

「オミニド。覚えておこう」


 オミニドはくるりと背中を向け、そのまま雑踏に姿を消した。

 後姿を見守ってから、僕は大きなため息をつく。それから小声で回復魔法を唱え、自分の怪我を癒した。


「ミゲル様、今のは……」

「代償の魔法が上手くいったみたいだけど――」


 僕とレノは、ゆらりと幽鬼のように立っているサラを見た。

 荒く息をし、爛々と目だけを輝かせていたサラは、ゆっくりと白目を剥きながら地面に崩れ落ちた。

 慌てて駆け寄り脈をとる。まだ生きているけど、異様に心拍数が高い。それに体温が高いようだ。


「無理が祟ったか。急いで屋敷に連れ帰るぞ」


 僕とレノは頷きあった。

 布を吟味していた店で、目をつけていた服を素早く買う。ついでにサラの着替えも購入し、口笛を吹いてボーラを呼んだ。

 狭い道に降りるフワフワの球体。人々はボーラに慣れているのか、空から降りてくる影に慌てた様子もなくスペースを空けた。


 雑な感じもするが、サラはボーラに咥えてもらって空に飛びあがる。

 ボーラの背中には鞍のような便利なものはつけられない。不安定なのだ。つけようとすると嫌がって暴れる。無理につけると、拗ねて全く動かなくなってしまう。


「頼んだ」

「キョン!」


 ばさりと飛び上がり、真っすぐに屋敷を目指した。



 驚いた表情の使用人たちを置き去りに、僕らは屋敷の中を急いで移動する。

 レノの先導で自室に飛び込むと、すぐさまベッドにサラを寝かせた。


 肌が赤くなり激しく発汗している。指先が不定期に痙攣し、やや背中を反らした姿勢で固まっていた。

 熱中症、脱水、さらに筋肉の拘縮。非常に危険な状態だ。


「レノ、さらさらの氷は出せる?」

「はい!」


 サラの体を覆うように、細かな氷が注がれた。触れるそばから溶けていき、シーツに大きなシミが広がっていく。

 氷が振りかけられる中で、ぼろきれのような服を脱がせた。あばら骨が浮き上がり、細すぎる腰元は骨盤ばかりが大きく突き出している。

 女性だなんだと意識もできないほどの痩せ方だった。


 ハリのない肌はひどく乾燥していて、ところどころで皮が剥がれかけている。傷の周りに血か垢か分からないものが付着して黒ずんでいた。あまりにも痛々しい。


 サラに一度回復魔法をかけ、時間稼ぎの対症療法を施す。

 うっすらと目を開けたサラは、僕の顔をぼんやりと見た。意識はあるけれど夢うつつに近いだろう。


「今から君の治療方針を説明する。君の体を蝕む付与魔法は、骨の深部にまで食い込んでいる。おそらく、炎熱魔法を付与された剣の破片などが、骨に刺さってしまった状態で治療されたのだろう」


 これは前の世界でもあったことだ。

 刃物というのは、骨など硬いものに当たれば簡単に欠けてしまう。これを適切に取り除かず傷を塞いでしまうと、体がだんだんと異物を取り込んでしまい、付与された魔法の範囲が広がっていく。


「まずはこの破片の除去を目指す。外科的な手術が必要になる。そのために君の体を清潔にし、この空間ごと浄化する。その後は破片の位置を探り、それから切開して取り除く。傷を塞いだあとは、全身に広がった付与を除去していく流れだ。いいね?」


 理解できたかできなかったか。サラは僕の話を聞くと、再び目を閉じた。


「レノ、氷を多めに出したら、サラの体を清潔な布で拭いてくれ。僕は空間の浄化を行う」

「かしこまりました。お湯の用意は……」

「溶かした氷でいい。がっつり冷やしてしまおう」

「はい、ミゲル様がそう言うのであれば」


 部屋を少し漁れば小さなナイフが出てくる。装飾が過剰だが、切れ味は良さそうだ。それとペンを手に取る。

 ペンで部屋の四隅に聖印を書き込んだ。縦横に4本ずつ線を引いたような印だ。それから部屋の中央に移動し、ゆっくり丁寧に魔力を練り上げていく。


「天にまします我らが主よ……我が願いに応え、聖印で結ばれし空間に潜む、人類に仇なす小さき者を祓いたまえ」


 莫大な魔力がごっそりと消費されていくのを感じる。

 僕の体を起点として、部屋全体にうっすらと緑色の光が広がり、そして消えた。

 これでよし。病魔の大部分が駆逐されたはずだ。


 レノもサラの体をおおよそ清潔にし終えたらしい。黄土色に薄汚れた布が何枚も床に落ちていた。

 サラの体に手を当てる。癒されたばかりの肌が冷やされ、ひんやりすべすべしていた。


 瞬間的に指先から魔力を放つ。場所を変えながらそれを複数回繰り返した。

 不自然に魔力が消えるポイントがある。炎熱の魔法が付与された破片がそこに埋まっているのだろう。


「胸の前……肋骨が繋ぎ合わさるところ、胸骨の裏側に金属片が埋まっている」

「裏側、ですか?」

「恐らくは背中を見せて逃げようとしたところを攻撃されたんだろう。背中側から、肺と肝臓を傷つけながら突き刺さり、胸骨の裏側に当たって止まった……。即死していない辺り、恐らくは矢。抜いて治療魔法を使ったけど、矢じりが欠けて体内に残ったってところだと思う」


 この予想だけで、獣人狩りがどんな様子だったか想像が出来る。

 怒りで体が熱くなるのを感じた。


 ――この子だけは救ってみせる。

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