第8話 代償
サラ・リオンコラソン。
猫の獣人の少女で、原作では主人公の仲間になっていた。
奴隷にするための獣人狩りに遭い、全身に大きな裂傷を負う。表面的には治療されているが、体内に残された炎熱の付与魔法により、常に強い痛みに苛まれている。
最後には付与が脳にまで回ってしまい、高熱に苦しんで亡くなってしまう。
オルテガ家の犠牲者の1人とも言えるだろう。
僕は原作の知識を頭でなぞりながら、このあとサラがどうなるか予想する。
魔法研究狂いの貴族に買われたサラは、様々な魔法の実験体にされていたところを主人公に助け出される……という流れだったはずだ。
どれだけの苦痛があったのか。助けられた当初は廃人のようになっており、だんだんと感情を取り戻していく流れが描かれていた。
――助けるべきだろうか。
さっきは余計な首をつっこんだせいで、恐ろしい目に遭ってしまった。
命のやり取りをする覚悟なんてなかったんだと思い知らされた。レノの献身と、割り込んだカルメンの暴力に助けられただけだった。
手が震える。レノが心配そうに僕を見ているのがわかった。
ここで僕が何もしなくたって、いつか主人公が救ってくれる。そのあとにでも出会って、こっそり治してあげたらいい。
吊り下げられたサラの手がぴくりと動いた。やせ細り、手首の骨が浮いている。
食事も満足に与えられず、体内の熱に苦しめられて、ひとりぼっちで恐怖に耐えなければいけない。
「おい、そこの」
目頭が熱くなった。
気づけば手を強く握りしめて、声を出していた。
「その獣人は俺が買う。寄越せ」
中年男性と大柄な男が振り返る。
豪奢な服装の男――原作によるとセビリャ子爵は、僕を嘲るような表情をした。
「なんだ、強気なガキだ。どこぞの貴族のボンボンか?」
「ミゲル・カルロス・オルテガだ」
「ほーう?」
男は僕の頭のてっぺんから爪先まで値踏みをするように見る。
「――で、そのオルテガ家のガキが何か?」
この土地で、ミゲルの名前を聞いてもガキだと言う男。一瞬違和感を持つが、すぐに理由はわかった。
ミゲルは所詮は貴族の嫡男。後継者候補でしかなく、本人は無位無官の身だ。対して相手は貴族の当主だ。オルテガ家が大貴族だったとしても、世間的な立場は相手の方が上なのだ。
「その獣人を売ってくれ。金なら出す」
「金か……。だがこちらもようやく見つけられた被検体だ。これだけ
骨の深い位置にまで付与が食い込んで、生き残っているのも珍しい。魔法への耐性が高いのかもしれん。いや、単に生命力が高いからか? 肉体的に衰弱しすぎている以上、そこまで頑丈には見えんが……」
セビリャ男爵は僕に話している最中に関心が移ったのか、ぶつぶつとサラへの分析を口にし始めた。
「この通り、旦那は考え事に夢中だ。散れ」
背が高く人相の悪い男が、右手の指を鉤爪のように曲げる。ぱきぱきと骨の鳴る音がした。
おそらく護衛だろう。強者特有の恐ろしげなオーラがある。
「頼む」
護衛の目を真っすぐに見ながら言った。護衛は片方の眉を吊り上げて、なんともいえない表情をする。
「立派な根性だが、旦那はこういう人で、俺は旦那の邪魔をする者を蹴散らすのが仕事だ。悪いな。怪我したくなきゃさっさと帰れ」
「そこをどうにか曲げてくれないか?」
今この状況、悪いのは僕だ。
奴隷の売買があるのはオルテガ家が悪い。
サラが傷ついているのもオルテガ家が悪い。
成立した取引に横から口を挟んでいる僕が悪い。
それでも、サラを見ると放っておくことはできなかった。
「話にならねえな。失せろ」
「仕方がないか」
僕が魔力を高め始めたその瞬間、護衛の男が目の前にいた。握り固めた拳が振り抜かれる。
「がっ……!?」
首が折れそうなほどの衝撃。よろめいてたたらを踏む。
「魔法使う前に殴る。基本だろ?」
「ミゲル様!」
レノも魔力を高めるが、護衛は僕に密着するようにフットワークを活かしてくる。コンパクトなボディブローが、肝臓の位置を的確に抉ってくる。
「う……ぐ……、天にまします我らが主よ……」
僕も足を動かし、がむしゃらに殴り返した。
ミゲルの体はハイスペックだ。深刻なダメージを受けているはずなのに、思い通りに動いてくれる。
だというのに、護衛の男の動きに全くついていけない。
「天に? 回復魔法か?」
「我が痛みを糧に、あの者を癒し給え」
緑の光がふわりと広がり、宙に溶けた。
「あん? 何も起きねえじゃねえか」
ローキックが僕の内ももに当たった。まるで棍棒で殴られたような威力だ。膝が
ついでに顔面にジャブの3連射。鼻の奥につんとした痛み。目がチカチカする。
護衛の足元に白い霧がかかった。護衛は素早く跳び退り、距離をとる。直後、目の前の地面が凍り付いた。
レノが指先に魔力を集めながら、僕の前に出る。
「ミゲル様、すみません。ここは私が引き受けます」
「いや、これでいいんだ」
僕も前に踏み出し、レノを下がらせた。
技術も何もない大ぶりなパンチを放つ。護衛は軽く頭を振るだけでそれをかわし、カウンターの肘で返してきた。
鎖骨が折れる音。痛みと同時に、右腕が上がらなくなる。
護衛はつまらなそうな顔をした。
「弱いな。筋肉は引き締まってるが、飾りかよ」
「飾りさ」
痛みで汗がびっしょりになっている。それでも強がって、僕は言った。
「飾りぐらいでちょうどいいんだ」
「うわぁ、なんだこいつ!?」
僕の言葉に重なるように、セビリャ男爵の悲鳴が聞こえた。
いつの間にか立ち上がっていたサラが、長く伸びた銀色の爪をセビリャ男爵に突きつけている。
――効果が出てくれた、か。
魔法の発動方法は大きく分けて3種類ある。
1つ目が、単純に魔力を集めて神に祈る方法。
2つ目が、魔力に儀式を加えるもの。詠唱なんかがこれにあたる。
そして3つ目が、代償を捧げるというもの。
今回僕は、自分自身に与えられる痛みを代償に、サラへの癒しを願った。
骨折するほどの痛みをもって、この魔法は完成したんだ。
「形勢逆転だな。雇い主を殺されたくなければ、退け」
僕の言葉に、護衛は舌打ちをした。
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