第7話 そういえば獣人がいた

 泉の精霊を残し、僕とレノはボーラに乗って屋敷への空路を戻る。

 精霊にかけられた呪いは解いたし、衰弱も癒した。あとは本人が泉の周りの環境を戻してどうにかするだろう。

 最後まで疑うような目をしていたが、別にそれでいい。変に良い人だと思われて言いふらされる方が、僕にとっては危険だ。


「そういえば、その恰好のまま戻られるのですか?」

「その恰好……」


 レノの言葉に、僕は自分の恰好を見下ろした。

 服には槍を刺されたときの穴があき、その周りには血がべっとりとついている。

 回復魔法で癒したとはいえ、大きな傷を受けたことが明らかだ。確かにこんな格好で戻って父上に見つかったら、どんな風に思われることやら。


「――市場にでも行って、買い物してから帰るぞ」


 しがみついているフワフワの毛を軽く叩いた。


「キョン!」


 小鳥のような声で返事をする。ボーラはまん丸でふわふわで、間抜けな雰囲気を持つ巨鳥だ。けれど見た目と裏腹に、知能はとても高い。

 聞こえていた会話と、僕が触れたことだけで要求を理解し、市場に向けて高度を下げた。


 ミゲルが着ている服は、とても市場で買えるような質ではない。大幅に質の下がる服を着ていれば、それはそれで見とがめられるかもしれない。だが、穴の開いた服と安物の服なら、安物の方がまだ言い訳がしやすい。

 ちゃんとした店に行けばいいのかもしれないが、そういうところは大体貴族と繋がりを持っている。どんな経路で家に情報が行くかわからない。


 指で宙に十字を切った。

 きらりと光の粉がこぼれ、水晶のカードが宙に生まれる。手に取ってみれば、硬質な感触がした。


 半透明な板に幾何学的な文様が刻まれたこのカードは、プライベートカードと呼ばれている。

 誰しもが生まれたときから持っており、お金のやり取りなんかもこのカードを通してすることができる。


 神は人間に取引を与えた。争わせないために。


 前世でよく目にした訓言だ。カードに表示される謎の数字。これを動かすことで、人は富の概念を手に入れた。

 争い奪い合うのではなく、謎の数字のやり取りをすることで、食料や様々なものを分け合ったのだ。


 このプライベートカードが出るということは、この世界にも神様はいるらしい。

 そして、僕がミゲルだというのも間違いのないことのようだ。カードの表面には、はっきりと「ミゲル・カルロス・オルテガ」と記されていた。


 カードをつまむ指に力がこもる。

 ずるり。

 カードがズレる感触がした。


 思わず目を疑ってしまった。

 ミゲルのカードの後ろから、もう1枚カードが姿を覗かせたのだ。手汗がにじむ指で、慎重にカードをずらしていく。

 後ろから出てきたのは、この世界に来る前の僕の名前が記されたカードだった。


 どくん、と心臓が強く鳴るのを感じた。

 ――レノには見られていないよね?

 こっそりと様子を窺うが、レノは平然としている。どうやら見られていないらしい。


 僕はそっとカードを重ね直して、それから消した。

 悪人にもなれず、氷冷魔法も使えず、ましてやミゲルじゃないカードを持っている。こんなこと、この世界の誰にも言えるはずがなかった。


 なお、ミゲルのカードには庶民の年収×25くらいの金額が入っていた。よほどとんでもないものでなければ、どんな買い物にも耐えられる。流石は侯爵家の嫡男だ。


 僕らはきょんきょん鳴くボーラに導かれるまま、市場の近くに降り立った。


 オルテガ領の市場は、昔に災害が起きて更地になった場所に、勝手に人が集まり作り出したものだ。

 雑然と手作り感あふれる建物がそこらにぽつぽつと点在する。都市計画なんて欠片も感じない建物の隙間に、テントや屋台や露天商がみっしりと軒を並べていた。


「久しぶりに市場に来ました」


 僕にぴったりと寄り添うレノが言う。

 多くの人間が行き交う狭い道。なんとなく埃っぽくて、そして変な臭いがする。

 獣の臭い。下水の臭い。果物の臭いとアルコールの臭い。あと、歯を磨いていないおじさんの臭い。


「臭いな……」

「ええ。私もあまりここに来たことがないので、正直驚いています」


 貴族っぽい人間が来たからか、それともミゲルの顔を知られているのか。あるいは、ダークエルフのレノが珍しいからか。

 周囲の人の視線を集めているのを感じた。


 なんとなく治安が悪そうだ。


「早く適当な服を見繕って、さっさと帰ろう」


 弱気が出たのか、ちょっとだけ言葉尻が柔らかくなってしまった。


「ええ。それまでは私がお守りいたします」


 レノはそれを気にした様子もなく、僕により体を近づけた。

 教会には女っけは一切なかった。女性に全くと言っていいほど耐性のない僕は、両手両足を揃えて歩き出す。

 レノは小さく笑いながらも、何も言わずについてきてくれた。

 頬と首が熱い。


 ようやく見つけたそれらしい服を扱っている店。そこで布を眺めていると、向かいにあるテントから大きな声が聞こえてきた。


「いいから寄越せ!」

「し、しかし、旦那様のような方にお譲りできるようなモンでもないんすよ。どうせすぐにおっ死んでしまいますわ!」

「それに合わせた使い方をするから構わんと言っている」

「えぇ……苦情も返品も無しっすからね、旦那」


 偉そうな男の声と、鼻にかかった小物臭い男の声。

 僕とレノは顔を見合わせた。


「すぐに死ぬって……」

「奴隷でしょうか?」


 レノの答えに僕ははっとした。

 オルテガ侯爵家は、国全体では違法とされている奴隷を、そこかしこで堂々と取り扱っている。

 ペットか何かと考えていた自分が恥ずかしい。


 サーカスでも出来そうな大きなテントの入り口が開いた。

 まずは偉そうな太った中年男性が出てくる。その後ろに、身長2メートルはありそうな瘦せ型の男。大男の手には、襟首を掴まれて運ばれる女性の姿があった。


 ガリガリの細い体。頭に生える黒い猫耳、切れ長の目。そして細長い尻尾。

 猫の獣人奴隷。原作に出てきたヒロインの1人だった。

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