第5話 妹

 氷漬けにされたプレイグはぴくりとも動かない。透き通った氷の塊の中で、大きく目を見開いていた。

 先手必勝で疫病と死の呪いをまき散らす、搦手からめてが得意なタイプの魔人だ。至近距離から放たれた魔法の直撃には耐えられなかったのかもしれない。


 僕はふらつきながら後ろに下がり、氷で固定された槍を体から抜いた。刺さるときも痛ければ、抜くときも痛い。

 すぐに回復魔法を唱えて傷を塞いだ。


 足から力が抜ける。汚泥のような泉に膝をついた。ぬめった感触が気持ち悪い。

 水面に乗るように横たわる泉の精霊と目があった。


「貴方は……貴方は一体……」


 泉の精霊の首にかかった鎖は、いまだ氷漬けにされたプレイグの手に繋がっている。

 僕は精霊の質問に答えず、震える指を向けた。


「天にまします我らが主よ、この者を縛る呪いを解きたまえ」


 緑の光が鎖に絡みつき、溶け合って消えていく。

 続けて回復の魔法もかける。


「天にまします我らが主よ、この者を蝕むものを打ち祓い、癒しと活力を与え給え」


 青ざめていた精霊の肌に血の気が戻った。

 はっとした表情の泉の精霊から視線を外し、立ち上がってレノに振り返る。


「レノ、助かった」

「ミゲル様、ご無事ですか!?」

「怪我は直せたが……」


 もう膝をつく姿を見せてしまっている。今さらカッコつけても仕方ないか。

 僕は続きを言葉にせず、震える手を見せて苦笑いする。

 レノの目に涙が浮かんだ。


「私なんかのために……いえ、ミゲル様ですものね。本当にありがとうございます」


 レノは深々と頭を下げた。

 何か含みのある言い方だったが、触れずにおく。なんて言えばいいのか分からなかった。


「逆に、魔法の属性……大丈夫か?」


 レノは樹木魔法が得意だった。ダークエルフ――エルフの氏族であるレノにとって、魔法の属性は重要なアイデンティティのはずだ。

 あんな願いの仕方で氷冷魔法に属性を変えていいはずがない。


「大丈夫です」


 レノはハッキリと言い切る。その表情に迷いはなかった。

 魔法の属性は1度変えてしまうと、もう戻せないはずなのに。


「今日このときから、私にとっては氷冷魔法こそが誇りですので」


 レノは綺麗な笑みを浮かべる。

 そんな僕らの空気を壊すように、ピシリと硬いものに亀裂が入る音がした。

 恐る恐る振り返る。僕らの目の前で、氷が派手に砕け散った。


「ハッハーァ!! 死ぬかと思ったぁぁあ!!」


 大きく仰け反るようなポーズでプレイグが叫ぶ。

 セリフに反して、やたら元気に見える。


「いやー土壇場で属性を変えるなんて思い切りが良い!」


 プレイグはハエの羽根を振るわせて浮かび上がる。

 片手で槍を回しながら、空中で一回転した。


「だが、死ね」


 槍を投擲する構えをとった。

 その姿に影がかかる。思わず視線がプレイグの上にいった。

 ボーラから飛び降りる小柄なツインテールの人影が、太陽を背に宙に浮かぶ。


「虫けらはっけーん♡ 従え風の精、あいつぶっ飛ばせ♡」


 横殴りの突風がプレイグを吹き飛ばした。空中で錐揉み回転するその上から、ダウンフォースがぶち当たる。プレイグは泥沼に派手に着水した。


「お兄様、虫相手に手を抜きすぎですわ! 虫は地べたに這いずっとけ♡」


 屋敷に置いてきたはずの妹――カルメンが魔力の渦巻く腕を、音楽隊の指揮者のように振り回す。それに合わせて生まれる風に、プレイグは荒波に揉まれる木の葉のようになった。


 プレイグを翻弄するカルメンの頬は紅潮し、目は爛々と輝いている。幼い残酷な喜びが全身から滲み出していた。


「手を使う必要もなかったかも♡ ザコには足でいいや♡」


 カルメンの手から足に魔力が移動し、踏み潰すような動作をする。

 プレイグは泥濘に叩き込まれ、空気を求めるように藻掻いた。その努力も空しく、どんどん強くなる風に、ついには全身を沈められてしまった。


「弱すぎ♡ 魔人やめちゃえ♡」


 強風が水面を揺らすこと数分。

 ついにプレイグは力尽きたのか、泉の水が透明に透き通っていく。

 カルメンはふわふわと宙を漂って僕の前に来た。


「お兄様、あのクソ雑魚魔人相手に遊びすぎですわ」


 原作でも描かれていたけれど、やっぱりオルテガ家の攻撃魔法は異常だ。強すぎる。

 背筋に冷たいものが流れるのを感じた。


「なぜ来た」


 あえて強気な姿勢を崩さずに言う。カルメンは僕がもう氷冷魔法を使えないと知らないからか、少しだけ怖気付いた表情をする。


「そのー、楽しそうだったので……つい」

「ついじゃない。俺の遊びを邪魔するな」

「やっぱり遊んでましたのね! 何度も何度も希望を与えて立ち上がらせては、そのたびに無力を思い知らせて心をへし折る……そういうことですのね!?」


 そういうことだったんだ。そういうことにしよう。


「そうだ」

「流石お兄様ですわ!」


 正解だったらしい。カルメンはうっとりした表情を浮かべた。

 ほっと胸を撫でおろす。


「申し訳ございません。で、この弱ったカス精霊はどうなさいます?」


 カルメンは魔力を集めた指を精霊に向けた。精霊の表情が固くなる。


「やめろ。それはもう、俺のものだ」

「お兄様、あんまりゴミを抱えても邪魔になるだけではありませんか?」


 ゴミは処分するとばかりの言い方に、精霊も魔力を高め始めた。一触即発の気配に、僕はわざとらしい大きなため息をつく。

 足元の小石を蹴りながら言う。


「このような価値のない石だって、積み上がればこの山のようになる。ゴミの1つ1つが積み上がり、やがて俺の覇権を支えるのだ。お前が勝手に価値を損ねることは許さん」

「覇権――! お兄様はお父様を倒し、家督を獲るのですね! このカルメン、応援いたしますわ!」


 カルメンは魔力の高まりを消した。だが、話が変な方に向かってしまっている。


「ザコ♡ 死にかけ♡ カス精霊♡ ちゃんとお兄様の役に立たないと殺す♡」


 威嚇するような生ぬるい風を精霊に飛ばし、カルメンは自分のボーラに飛び乗った。


「ではお兄様! カルメンは応援しておりますわ~!」


 そう言い残し、カルメンは空の彼方へ飛び去っていった。

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