第4話 氷冷魔法

 ヴヴヴヴヴヴヴ。

 プレイグの背中に生えたハエの羽根が震える。不快な音だ。背筋を冷たいものが流れる。


 魔人。それはこの世界において人類に仇なす存在。

 魔王の配下として、気の向くままに人間を害する。その理由は原作では明らかにされておらず、誰もが「そういう存在」だと認識していた。


 プレイグに捕まった泉の精霊は、焦点の合わない目で苦しんでいる。山脈に清浄な水を供給する水の化身。それが穢されていた。

 ぼんやりとした顔で俺を見る。だんだんとその目がはっきりしてきた。


「オルテガ……?」


 掠れた声で言った。


「ああ、俺はミゲル・カルロス・オルテガ。オルテガ家の嫡男だ」

「オルテガ! まさか、貴様が手引きしたのか!?」


 精霊が吠えた。

 この泉の精霊は、山脈を無遠慮に開発しまくるオルテガ家と対立していた。わざと水の流れを絞ったり、逆に坑道に水を流したりと嫌がらせもしてきている。

 オルテガ家もオルテガ家で、泉に産業廃棄物を投げ込んだりと、小競り合いの応酬が続いていた。


「まさか。羽虫を駆除しに来ただけだ」

「信用できない……!」


 精霊が僕を睨む。

 その気持ちはわかる。敵対する相手がこんなタイミングで現れたのだから。

 ミゲル自身の悪名もあって、急に味方だから信用しろなんて言っても聞いてもらえないだろう。


「ミゲル様。ここは私が」


 レノが広げた手のひらの上に、絡み合った植物の球体が浮かびあがる。


「ハッハー! ザコ同士で手も組めねえか!」

「寄り添いたる草木の精よ、我が敵を数多の腕で縛り給え」


 あざ笑うプレイグを無視し、レノは詠唱を完成させた。

 大量のつる草が伸びる。緑の濁流はプレイグに巻き付き包み込んだ。


「圧し、潰し、土に還せ」


 レノが手をぎゅっと握る。草の塊はぎりぎりと締め付け押し潰そうとし――あっという間に茶色に枯れて千切れ落ちた。

 水面に枯草を浮かべ、中から出てきたプレイグが馬鹿にしたように笑う。


「『疫病』を植物で包むだって!? ハッハー、片腹いてぇや! 呪いっつーもんへの理解が浅ぇ!」


 プレイグが手を伸ばすと、レノに無数のネズミが襲い掛かっていく。それを僕の解呪の魔法で一気にかき消した。


「あァん?」

「魔法はイメージと概念の戦いだ。そんなことわかってるよ」


 それぞれの属性が持つイメージによって有利不利は変わる。

 概念をぶつけ合ったときに、食らい上回るイメージを持つ方が勝つんだ。


「だから、僕の勝ちだ」


 僕の周りに渦巻く緑色の魔力。

 範囲継続回復の魔法だ。この範囲内にネズミは入れない。癒しの力が呪いを分解し、使い魔の魔力をかき消して散らす。


「お前……本当にオルテガか?」


 プレイグは信じられない、といった声を出した。

 オルテガ家は攻撃性の高い魔法を使う。他人を癒すために魔力を消費する回復魔法なんて使わない。魔人にだって知れ渡る常識のようだ。


「紛れもなく、俺がオルテガだ」


 らしくないのはわかっている。

 僕だって自分自身がミゲルになったことを、未だに信じられていない。

 プレイグは使い魔を消し、口からぬるりと槍を吐き出す。


 錆びた金属の棒を3本、雑に捩じり合わせたような槍だ。螺旋らせんの先端が刺々しく分裂している。

 それを片手で脇に挟むように構え、僕に切っ先を向けた。


「笑えるぜ! 回復魔法じゃ敵は倒せない、止められない。そんなこともオルテガ家じゃ教えてねぇのか!?」


 プレイグが走り出す。伸びた鎖に引きずられ、泉の精は汚泥の水面でバウンドした。くぐもった悲鳴が聞こえた。


「くっ、私が」


 レノが右手の指を2本伸ばし、左手で手首を支えるようにしながら、プレイグに照準を合わせる。


「地を穿つ草木の精よ、贄を糧に成長し屹立せよ」

「ハッハー! 侵せ黒死の病魔ァ! 内より喰らい荒らし朽ち果てさせろ!」


 レノの指先から、矢のような木の枝が連射される。当たれば着弾点から木が根を張って伸びる、ほぼ必殺の魔法だ。しかし、怒涛の勢いで放たれたそれは、プレイグに触れる前に真っ黒に腐り落ちてしまった。


 プレイグの大きな踏み込み。ドパンと音を立て、水面に大きな波紋が広がる。

 大弓のように体を引き絞り、ねじくれた槍を振りかぶった。


 レノの目が見開かれる。


 どす。鈍い音がした。

 僕の体を、3本の細い槍先が貫いている。体の中を焼けるような痛みが駆け回る。


「な、なんで……」


 疑問の声は、僕の口からこぼれた。

 なんでこんなことをしたのか、自分でもわからない。痛みも、体に刺さる槍も、全てに現実感がない。


 レノと矛先の間に割り込ませた体は、当然のように全ての傷を引き受けていた。


「ばァか! 呪え黒死の病魔!」


 体に刺さる槍に魔力が集まる。咄嗟に僕も魔力を込め対抗した。

 槍と血肉の接触面で、ジリジリと痛みが生まれては消える。浸食しようとする呪いと回復の力が、互いに打ち消し合っていた。


 ぶわりと全身の毛穴が開き、汗が噴き出す。

 回復の魔法を垂れ流しながら、荒い息をする。


 なんで。

 疑問が脳を埋め尽くす。


 無理だって。

 なんで僕はいきなりこんな目にあっているんだろう。

 なぜこの世界に来て、何が僕を突き動かしたんだ。どうしてこんな危険なものに首を突っ込んでしまったんだ。


 目が回る。


 プレイグの凶悪な笑顔を前に、膝が震えた。


「おっと、血を流せば弱気も垂れるかァ!?」

「は、はは」


 戦いに慣れてなんかいない。この状況が意味不明で怖かった。

 怖がりで臆病なのに、いざ判断の場面になったら動いてしまう。そんな自分に笑えてしまう。

 プレイグの眉が吊り上がった。


「おかしくなったか?」

「天にまします我らが主よ――」


 プレイグの言葉をかき消すように、背後からレノの震える声がした。

 魔力が膨らむ。


「――どんなものでもいい! ミゲル様を救う力を!」


 研ぎ澄ました金属をぶつけ合うような音がした。

 冷気と霧が吹き荒れる。思わずつむってしまった目を恐る恐る開いた。


「……氷冷魔法」


 僕の目の前には、氷の彫像と化したプレイグがいた。

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