第3話 不浄の泉

「あー、そうだ。我らがオルテガ領に勝手に居座る不届き者に、地獄を見せてやらねばな。だが、お前は邪魔だ」


 ついて来てしまっては、僕が氷冷魔法を使えないのがバレてしまう。

 出来るだけ突き放す言い方をした。この体は、意識さえすればとんでもなく冷たい声が出る。

 流石は原作で『氷の貴公子』だなんて表現されていただけはある。


「お兄様はいつもそうですわ。いつでもどこでも1人で……なんかそこの虫、近くないこと?」


 カルメンの目が訝し気に細められ、レノをロックオンした。

 レノは心なしか背筋を伸ばしながら「気のせいかと」と短く答える。硬い声だった。


「ふーん。でも、その虫が良くて、私がダメな理由がわかりませんわ、お兄様?」


 カルメンがレノに人差し指を向ける。それをくいっと下に振りながら言う。


「従え、大気の精。圧せ」


 短い詠唱だ。それなのに効果は絶大。

 真上から風が吹きおろし、それが廊下に吹き抜け荒れ狂う。

 レノが押し潰されるように、床に這わされた。


 強い風に煽られながら、僕はカルメンに指を突きつける。


「俺を巻き込むな。殺すぞ?」


 治癒魔法にしか使えない魔力を指先に練り上げていく。この魔力が人を傷つけられないことを知っているのは僕とレノだけ。

 傍目には屋敷丸ごと氷漬けに出来るほどの魔力が指先の1点に凝縮された。


 カルメンの頬に冷汗が伝う。


「流石はお兄様……」


 風がぴたりと止んだ。

 僕も指をぴっと横に振って魔力を霧散させる。


 この世界の魔法の使い方は、僕がいた世界と全く同じだ。

 だからこそ、このミゲルの体のバカげたスペックを実感する。無限と勘違いするほど体から湧き出る魔力に、それを過不足なく繊細に運用できる器用さ。魔力を集めるも散らすも自由自在だ。


 僕はレノを助け起こしたい気持ちをぐっとこらえ、本人が自力で起き上がるのを待つ。

 レノは生まれたての小鹿のように震えながらも、しっかりと自分の足で立ち上がった。内心でほっと息をつく。

 体感的には出会ったばかりのレノだが、なんとなく情が芽生えていた。


 カルメンを置き去りに、そしてレノを付き従えるようにして、僕は屋敷を出た。





 大空の空気を翼が掴み、打ち付けて前に進む。

 僕とレノは大きな鳥の背中にいた。


 まん丸でふっくらとした、白い鳥。柔らかくふわふわで体高3メートルはある巨大なこの鳥は、ボーラという種族だ。

 温厚で人になつきやすく、長い羽毛にしがみつくようにして背中に乗れる。この世界では馬よりもメジャーな騎乗動物だった。


 既に遠くなったオルテガの領都を振り返れば、上空に幾つも白い点が飛んでいるのが見えた。


 僕らが目指しているのはオルテガ領を貫く山脈の最高地点だ。

 最も高い地点はカルデラのように抉れた構造をしている。そこには大きな泉があり、澄んだ美しい水をたたえている……はずだった。


 まるで山が火山になってしまったかのように、山頂からは黒煙が立ち上っている。

 あそこに疫病のプレイグがいるはずだ。


「不吉ですね」

「黒い煙か」


 それにしても、おかしいぞ。

 疫病のプレイグは呪いや病気、それらを媒介する使い魔を操るタイプの魔人だ。炎や煙に関するは持っていないはず。あくまで原作知識だけど。

 もしかして、プレイグじゃない魔人がいる?


 そんな僕の疑問は、近づいたことで嫌な感じに解消された。

 黒煙だと思っていたのは、空に解き放たれていく羽の生えたネズミの群れだったのだ。触れれば数日間苦しんで死ぬ必殺の呪いが、空を埋め尽くす勢いでバラ撒かれている。


 ――こんなものが人里に行けば、恐ろしいことになってしまう。


 右手の人差し指を立てた。

 先端に丁寧に丁寧に魔力を凝縮していく。


 氷冷魔法が使えなくなったから、戦うのは難しいと思っていた。けれど、この相手ならあるいは。

 今この瞬間は、回復魔法が得意だったことが上手く働くことを願う。


「天にまします我らが主よ。我の信仰、そして人々を守る願いに応え給え。世を人を慈しむその御心にて、悪しき呪いを打ち祓い給え」


 強い願いを込め、指先を真っ黒に染まってしまった泉に向けた。

 緑の閃光が迸る。

 真っすぐに伸びた光が泉に突き刺さり、強い輝きを放った。


「……すごい」


 レノが呟く。僕も同じ気持ちだ。ミゲルの魔力がこんなに凄かったなんて。

 光に飲み込まれた呪いが一気に霧散する。けれど、すぐにまた黒く染まってしまった。


「あっ……」


 小さく声が漏れる。

 もう一度魔法を放つが、結果は変わらない。

 どうやら呪いの根源――疫病のプレイグを断たなければいけないらしい。

 疫病と呪いを司る魔人になら、回復魔法も攻撃として効果があるだろうか。


 目を皿のように広げ、プレイグを探す。泉の上をぐるぐると旋回しながら飛んでいると、ボーラが「きゅぅ」と苦しそうに鳴いた。

 ぐらりと空中でバランスが崩れる。

 弱弱しく羽を動かすボーラの足に噛み付くネズミが見えた。


 ――しまった。いつの間にか近づきすぎてしまっていた。


 慌てて解呪の魔法を使う。呪いはすぐに解けたが、失った体力までは戻らない。なんとか回復魔法を重ね掛けしたときには、地上はもう目と鼻の先だった。

 ぼふ、と軽い衝撃を感じたあと、僕らの体は地面に投げ出されてしまった。


「いたたたた」


 打ち付けられた体を起こす。

 目の前にはタールのようにねっとりと黒くなってしまった泉。足元には無数のネズミが這いまわっている。

 どうやら泉のほとりに不時着したようだ。


「ハッハーン? ようやく落ちたかあ! ギャハハハハハッ」


 下品な笑い声が響く。

 泉の中央には、上半身裸の細身の美男子が水面に浮かぶように立っていた。逆立てた白い髪の中から、ヤギのような巻き角が生えている。

 手に握る鎖の先は、水色の髪をした女性につけられた首輪に繋がっていた。


 いかにも悪魔然とした姿の男は、鎖をぐいと引いて女性を吊り上げる。

 にやりと口元を歪めれば、肉食動物のように尖った奥歯が見えた。


「どうせ泉の精霊を助けに来たってとこだろ? させねーよ、ギャハハハ!」


 男の背中からずるんと虫の羽根が生える。


「その『偽りの黄金』、オルテガ家のガキだろ。遊んでやるよ、この『疫病のプレイグ』様がなァ!!」


 僕たちは魔人と対峙した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る