第33話 記憶の片鱗


 話し合いが終わった頃には、もうすっかり日が暮れていた。もちろん、ケルン行きの辻馬車はない。

 私はエルシア様のご厚意で、今夜一晩アストニア家の別邸でお世話になることになった。

 こうなることを見越していたのか、すでに父と兄へは連絡済で、私の荷物は別邸で預かっていると告げられる。

 行きと同じように、ヒース様の馬車に乗せてもらった……ところまでは記憶があった。



 ◇



 目を開けると、外が明るい。もうすでに、朝になっているようだ。

 自室でも宿屋でもない、見慣れない天井が見えた。


(ここは……どこ?)


「おはようございます、ルミエラ様。ご気分はいかがですか?」


「テレサさん……」


 寝ぼけていた私だったが、瞬時に昨日の出来事を思い出す。


「もしかして、私は馬車のなかで……」


「ええ、あんなことがあったのですからお疲れになって当然ですよ。坊ちゃまが、起こすのは可哀想だからと仰って……」


「も、申し訳ありません! 皆さまに、大変ご迷惑をおかけしました!!」


 別荘から別邸まではそれほど距離は離れていないと聞いていたので、馬車が動き出してすぐに寝てしまったようだ。

 全く起きない私を、アストニア家の従僕の方が運んでくださったのだろう。


(子供じゃあるまいし、恥ずかしいよ……)


「いいえ、ルミエラ様。迷惑どころか坊ちゃまのあんな姿が拝見できましたので、こちらがお礼を申し上げたいくらいです」


「?」


「余程、他の者には触れさせたくなかったのでしょうね……ふふふ。さて、エルシア様が『ぜひ、朝食を一緒に』と仰っておりますので、急いで準備をいたしましょう」


 嬉しそうに微笑んでいるテレサさんに急かされるように、私は自分の私服に着替える。

 寝ぐせでボサボサだった髪はテレサさんが綺麗にまとめてくれたので、エルシア様に失礼のない恰好にはなっていると思う。


 朝食会場は外ということで庭園に案内された私は、中央にある大きな噴水に目を留めた。

 あれ? この噴水、見覚えがあるような……と思ったところで、ふっと脳裏に光景が一瞬だけ浮かんだ。



「あの、今日はありがとう!」


 緑髪の男の子が、私へ笑いかけている。

 彼の後ろに、青い屋根のお屋敷と噴水が見えた。



 私は、思わず後ろを振り返った。


(!?)


「ルミエラ様、どうかされましたか?」


 ハッと気づくと、テレサさんが私を心配そうに見つめていた。


「……いいえ、何でもありません」



 ◇



 噴水そばにあるガゼボには、エルシア様とヒース様がいらっしゃった。

 まずは、何をおいても御礼を言わなければならない。


「この度は、アストニア侯爵夫人様とご子息様には大変お世話になりました。ありがとうございました」


「ルミエラさん、今回のことはどうかお気になさらないで。わたくしが領内の大事なお客様をお守りすることは、領主の妻として当然の務めですから」


「母の言う通り、君が気に病む必要はない」


 優しい言葉をかけてくださるお二人に、ふっと肩の荷が下りる。


「それに、うふふ……ヒースの成長した姿を見ることができたのよ。こちらこそ、あなたへお礼を申し上げたいくらいだわ」


「「?」」


 先ほどテレサさんも同じようなことを言っていたが、どういうことなのだろう。

 エルシア様の言葉に、私だけでなくヒース様も首をかしげた。


「それより……『アストニア侯爵夫人』だなんて、他人行儀で寂しいわ。わたくしのことは『エルシア』と呼んでくださらない? それにヒースだって、ふふふ……いつものように名で呼んでもらいたいわよね?」


「……母上、あなたはいつも・・・一言余計です」


「あらあら、それはごめんなさいね……」


 扇子で口元を隠したエルシア様は、とても楽しそうだ。

 眉間に皺を寄せ険しい顔をしている息子をからかうような仕草はとても可愛らしく、まるで、姉と弟のようにも見える。


「ところで、ルミエラさんはいつ王都へお戻りになるの?」


「予定では、今日家族と共に帰るはずでした」


 今朝、従者の方から受け取った手紙によると、父と兄は『仕事の都合で、今日の午前中にはケルンを発つ』と書いてあった。

 つまり、私は二人に置いていかれたのだ。


「こちらのラックから王都行きの馬車があれば、そちらに乗って帰ります」


「まあ、女性のあなたがお一人で辻馬車に乗られるの? それは心配だわ……」


「兄の服を借りておりますので、帽子と合わせて変装をすれば大丈夫です」


 学園でも、墓穴を掘らなければシンシア様やカナリア様にもバレなかったはずなのだ。

 私は自信をもって答えたが、エルシア様は首を横に振られた。


「……ヒース」


「はい、母上。わかっております」


 エルシア様からの問いかけに頷いたヒース様は、私を見る。


「俺が、君を王都まで送る」


「えっ?」


「そうね、それが一番安心だわ」


 戸惑っている私に、ヒース様は言葉を続ける。


「帰りの道中で、君が言っていた話ができれば……と」


 ヒース様へ前世の記憶のことを打ち明けるために、時間が欲しいとお願いをしたのは私だ。

 王都へ戻ってからわざわざ予定を空けてもらうよりも、迷惑にならないとは思うが……


「ご領地でのお仕事は、よろしいのでしょうか?」


「ヒースは予定があり、もともと今日王都へ戻るつもりだったの。だから、ルミエラさんは遠慮しなくてもいいのよ」


 エルシア様はにっこりと微笑み、ヒース様は「そういうことだ」と同意を示した。



 ◇



 朝食を頂いたあとは、すぐに帰り支度を始める。

 荷物といっても一人分しかなく、鞄一つの身軽なものだが。


 エルシア様へご挨拶にいくと、「今度は王都で、夫も交えて夕食でも……」と誘われてしまった。

 今回、アストニア侯爵様は王都で職務があり、こちらには同行されていなかったのだ。

 気さくなエルシア様を前にしたときでさえ緊張で朝食があまり喉を通らなかったのに、その上侯爵様までいらっしゃれば、落ち着いて食事などできないだろう。

 母からの提案にヒース様がまた渋い顔をしていたので、彼が説得してくれることに期待したい。



 ◇



「途中で、寄りたい場所がある」


 動き出した馬車の中でヒース様がそう言い、お屋敷を出て程なくしてすぐに馬車が停止する。

 ヒース様にエスコートされて降り立つと、そこは周囲に畑が広がる長閑な場所だった。


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