第32話 母の教え


 別荘に連れてこられた私は、応接室へ通された。

 テーブルへそれぞれの国の者が横並びに席につく。

 こちらは、上座からエルシア様、ヒース様、私の順に。あちらはムネスエ殿下の母親、ムネスエ殿下、そして通訳の方が。

 そして、従者たちは後ろに控えている。


 緊張で渇いた喉を潤そうと、出されたお茶を一口飲んだ私は目を見張った。


(この香ばしい香りは、もしかして……お茶?)


 あれほど渇望していたお茶がこのような場で飲めるとは、何という皮肉だろう。

 懐かしさと美味しさで一気に飲み干してしまった私を、母親が目を細め見つめている。


『これは、我が国ではよく飲まれておる穀物から作られた飲み物じゃ。其方は、お気に召したようじゃの』


『はい、とても美味しいです』


『それは、上々……』


 嬉しそうに微笑んだ彼女は私のカップへおかわりを注ぐよう侍女へ指示すると、再び私へ向き直った。


『わたくしは、ユキノ・トヨマツと申す。其方の名は?』


『ルミエラと申します』


『今は男子おのこのような恰好をしておるが、ルミエラ殿は女子おなごで間違いないのだな?』


『はい』


 ここまで、私とユキノ様の倭東国語でのやり取りだけで、他の人は黙って成り行きを見守っている。


『母上、このようにルミエラ殿は倭東国語も堪能で、魔術も使えます。是非とも、私の伴侶に迎えたいと存じます』


『ムネスエはこのように申しておるが、ルミエラ殿のお気持ちはいかがかな?』


『…………』


『遠慮はいらぬ。言いたいことを申してみよ』


『……おそれながら、わたくしはこの国を離れる気はございません』


 不敬と言われようと、私の気持ちは変わらない。

 これが観光で行くのであれば、とても興味がある。

 倭東国には、前世の日本と同じような文化や料理があるかもしれない。国では、お米を栽培しているかもしれない。懐かしい風景が広がっているかもしれない。

 それでも、永住する気はないのだ。


 私の返答に頷いたユキノ様は、隣のヒース様へ視線を移す。


「ヒース殿へ、お尋ねしたいのだが?」


「何でございますか?」


「そちらのルミエラ殿とは面識があると聞いたが、関係を伺ってもよろしいか?」


「ルミエラ嬢は、私が通っております王立学園の後輩の妹君でございます」


「エルシア殿からは、二人はかなり親しい間柄だと聞いておりますが?」


「それは……」


 言葉を詰まらせたヒース様の隣で、私は首をかしげる。


(『かなり親しい間柄』って、どういうことだろう?)


 今日初めてお会いしたエルシア様が、ユキノ様へそのように説明をした理由がわからない。


『ユキノ様、おそれながら……わたくしからムネスエ殿下へご説明させていただいてもよろしいでしょうか?』


 ずっと沈黙を貫いていたエルシア様が、初めて口を開いた。

 ユキノ様の許可を得て、エルシア様は微笑みを浮かべながらムネスエ殿下を見つめる。


『ムネスエ殿下、今わたくしが身に着けております首飾りと耳飾りは、婚儀の折に夫から頂いた物でございます。わたくしはこれらを、息子の伴侶となる方へ受け継ぎたいと常々申しておりました。そして先月、王妃殿下の誕生会で同伴する女性へ貸与したいと、ヒースが初めて申し出てきたのでございます』


 ムネスエ殿下はエルシア様の話に静かに耳を傾けていて、ユキノ様はそんな彼を温かいまなざしで眺めている。


『夫とわたくしは、残念ながら領地対応のために会へ出席はできず、その方とお会いすることは叶いませんでした。……が、ヒースとその方は二人揃って王妃殿下へ挨拶をいたしました。その女性こそ、こちらにいらっしゃるルミエラさんなのです』


『……ということは、ルミエラ殿はヒース殿の許嫁なのか』


『まだ、正式に決まっているわけではございませんが……』


 エルシア様は、はっきりと断言はされず、言葉に含みを持たせたまま話を終えた。


(まさか、そんな大切な物を借りていたなんて……)


 目まぐるしく変わっていく状況と初めて知る事実に、私の頭の中はパンク寸前。

 くらくらと眩暈めまいを覚えるほどだ。


『そういうわけじゃ。ムネスエ、今回のことは諦めよ』


『わかりました……母上』


 何だかよくわからないうちに、話がまとまっていた。

 どうやら、エルシア様が機転をきかせて私がヒース様の婚約者であるかのように説明をしてくださったおかげで、無理やり倭東国へ連れていかれることはなくなったのだ。

 

 絶対に不可避と思われた『家族と離別エンド』が、あっさりと消滅する。

 ホッとしたと同時に、今度はどっと疲れが押し寄せてきた。


『さて……ヒース殿、ルミエラ殿』


 ユキノ様から声をかけられ、ボーっとしていた頭をすぐに切り替える。


『この度は、愚息の暴走により其方たちへ多大な迷惑をかけたこと、母として詫びをいれたい』


 この通り……と、ユキノ様が頭を下げられた。

 後ろに控えていた従者たちが息を呑む中、息子の非を謝罪する彼女は一国の王の隣に立つ女性ではなく子を思う母親の顔をしていた。


『ムネスエ、なぜ其方はルミエラ殿から承諾を得られなかったか、その理由がわかっておるのか?』


『私は彼女へ「我が国へ来れば、金も地位も××も手に入る」と伝えたのですが……』


『それだけか? 他にないのか?』


『これ以上、私が提示できるものは……ないと存じます』


 ユキノ様からの問いかけに、ムネスエ殿下は自信なさげに答えた。


『だからじゃ!』


『はっ?』


『ルミエラ殿に対し、真摯に心を尽くさなかったことが其方の敗因じゃ』


 言葉の意味を理解できていない息子に対し、母は言葉を続ける。


『なぜ、心を尽くし、言葉を尽くして、我が国へ来てほしいと伝えなかった? 其方の父上は婚儀が決まる前、わたくしへ真心のこもった言葉を贈ってくださったぞ。それは、どんな贈り物より心に響くものであった……』


 一瞬遠い目をしたユキノ様は、フッと柔らかい笑みを浮かべた。


『民の上に立つ者として、権力や金だけで人を動かそうとしてはならぬ。相手の立場に寄り添った上で、心を尽くしなさい。さすれば、おのずと結果はついてくるはずじゃ』


『はい……母上』


『うむ、わかればよい』


 満足げに頷いたユキノ様は、大仰に息子と従者を見回す。


『……では、ムネスエとムネスエの暴走を止められなんだ従者らは、国へ戻ったのち再教育が待っておるからのう、フフフ……楽しみにしておれ』


『『『!?』』』


 先ほどまでの穏やかな微笑みは影を潜め、最後は、最高権力者の妻としての顔を見せたユキノ様だった。


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