第29話 アストニア領内の治療院で(前編)
長期休暇に入ったが、兄は三日間ほど学園へ行っていた。
「休みなのに、学園で何をしているの?」と尋ねたら「大事な仕事だ」と言っていたから、きっとボラ部関係のことだったのだろう。
その後、兄は父の右腕として本格的に経営に参画し、私はそんな二人を以前のようにサポートしていた。
兄からは、休暇明けにある孤児院の訪問へ持っていくお菓子作りを手伝うようにと言われた。
店で買うよりも材料を購入し作ったほうが、同じ予算内でも持参できるお菓子の量が増えるのだとヒース様たちへ提案をしたそうだ。
お菓子作りは好きだし、身代わり生活が終わっても研究会活動の手助けができることが嬉しい。
アストニア家の厨房を借りるそうなので、テレサさんたちと再会できるだろうか。
試験があったので、結局ダンスパーティー以降は一度も学園には行かなかった。
身代わり生活中はほぼ毎日ヒース様と会っていたが、それが無くなって初めて当たり前の日常ではなかったのだと痛感させられた。
( 一目だけでも、ヒース様に会えるといいな……)
「そういえば、来週アストニア領へ買い付けに行くが、おまえも付いてくるか?」
「アストニア領……」
ヒース様のご実家であるアストニア領は農業と観光業が盛んで、領地の真ん中に大きな湖がある。
私たちは、幼い頃父に付いて行っているらしい。
「行けば、何か思い出すかもしれないだろう?」
兄は、あの頃の記憶を取り戻すことを望んでいるようだ。
「……わかった。このまま記憶があやふやなのは嫌だから、私も行く」
ヒース様のご実家のアストニア領を、一度きちんと見ておきたいと思った。
『初恋の君』に会ったときに、領地の話もできるように。
◇
王都から馬車に揺られること半日、アストニア領のケルンという町に到着した。
宿を取ったあと、商会と商談をするという父と兄に付いて行き町の繫華街を歩く。
領主様のお屋敷があるこの町は王都に負けず劣らずの賑わいで、きちんと統治がなされ領民が穏やかに暮らしている様子が見てとれた。
次の日、私は二人とは別行動をしていた。
ケルンから辻馬車に乗り、着いたのは観光地として有名な大きな湖のある町ラックだ。
今日は久しぶりに兄の服を借り、髪を一つに縛って日除けの帽子の中へ入れているので、周囲からは男の一人旅のように見えるだろう。
町の治安は良いそうだが、女の一人歩きのため一応の用心だ。
まあ、私は魔法が行使できるので、いざとなれば防衛手段はいくらでもあるのだが。
さすが国内有数の観光地だけあって、避暑に訪れている観光客らしき姿が多く見られる。
その客目当てに様々な飲食店や土産物を扱う商店が軒を連ね、こちらも昨日の町と同様に活気に包まれていた。
私は湖が臨める公園のベンチに座り、冷たいデザートを食べていた。
この地方特産の芋のデンプンから作られた見た目はゼリーのような物の上に、果物のソースがかかった涼しげなデザートは、この暑い時期限定の商品なのだとか。
食感は柔らかめのわらび餅のようで喉越しがよく、ソースも数種類から選べるようになっていて、店はかなり繁盛していた。
デザートを食べながら、ぼんやりと湖を眺める。
湖底までの深度の違いなのか湖面の色に濃淡があり、濃い部分はヒース様の瞳の色を彷彿とさせた。
今は漁船や観光船が何隻も走行しているが、寒い季節になると湖面が凍結し、氷上スポーツが楽しめるのだそう。
食べ終えると、容器とスプーンを返却しに店へと戻る。使い捨てではなく店へ返却するとその分のお金が戻ってくるので、とってもエコな良いシステムだと思う。
店に容器を返却し、さて次はどこへ行こうかと歩き出した私の前を、男の子が男女二人の従者を連れて歩いていた。
『じい、そなたは口うるさくてかなわぬ』
『ムネスエ様、××であればこそ、家名に恥じぬ行動をお願い申しあげ──』
(えっ!? なんか、日本語っぽい!)
聞こえてきた言語に、思わず反応してしまった。
三人とも黒髪でこの国の平民のような恰好をしているが、よく見ると上等な布で作られているのがわかる。おそらく、他国のお金持ちのお坊ちゃんが観光に来ているのだろう。
所々知らない単語が入り交じるが、概ね話している内容は理解できてしまった。
私は途中で目についた店へ入り、三人組はそのまま真っすぐ歩いていった。
町を散策をしながら昼食も食べたので、そろそろケルンの町へ戻ることにした。あまり帰りが遅くなると、父と兄に心配をかけてしまう。
明日は、もう王都へ帰る予定となっている。
昨日・今日と町を歩いてみたが、記憶を揺さぶられたり何かを思い出すようなことはなかった。
やはり、前世の記憶に上書きされてしまったのかもしれない。
辻馬車の乗車場がある広場へ向かっていると、気になる看板が目に留まる。
『無料治療院』と書かれたそこは、簡易テントで作られた臨時の治療院のようだ。
中を覗いてみると治癒士らしき人たちが治療にあたっており、患者は観光客から地元の人まで様々いて、中には子供たちの姿も見える。
私は病院での慰問活動を懐かしく思い返していた。
「こんにちは! 今日はどうされましたか?」
受付をしている若い女性から声をかけられたが、顔に見覚えがあるのはなぜだろうか。
彼女とは今日初めて会ったはずなのに、以前にもどこかで会ったような気がする。
「あっ、すみません。患者ではなく、見学をしておりました。『無料治療院』とあったので、どんなことをされているのか気になりまして……」
「もしかして、あなたも術士の方ですか?」
「術士を
「そうでしたか」
私の話を聞いた女性は、詳しい説明をしてくれた。
ここは領主様が領民や観光客のために年に数回開設される治療院で、治療にあたっているのは領主様お抱えの治癒士とのこと。
治療代は全て領主様が負担されているので、患者は全て無料で受けられるのだとか。
(ここの領主様って、ヒース様のお父上だよね)
「とても素晴らしい領主様ですね」
ヒース様の誰に対しても真摯に心を配る姿勢は、お父上から受け継がれているのだと納得してしまった。
女性に礼を述べ、仕事の邪魔にならないよう帰ろうとしたとき、治療院の中に壮年の男性が駆け込んできた。
『どなたか、至急我が主を診ていただきたい!』
壮年の男性は、先ほど日本語っぽい言葉を話していた男の子の従者だった。
よほど慌てているのか、あちらの国の言葉のままで、受付の女性が目を白黒させている。
「……えっと、申し訳ありません。今、何と仰いましたか?」
『ムネスエ様が、急病なのです!』
この治療院に、彼の国の言葉がわかる人はいないのだろうか。
どの術士たちも顔を見合わせ、困惑の表情を浮かべている。
「あの……この方の主が急病で、診察をしてほしいと仰っています」
「あなたは言葉がおわかりになるのですね。恐れ入りますが、通訳をお願いできないでしょうか?」
「わかりました」
通常は常時待機している通訳の人が、今日は別件でいないのだとか。
ケルンの町へ行く辻馬車はまだあるので、特に急ぐ必要はない。
私は従者へ話をして、彼の主をこちらに連れて来てもらうよう伝えた。
女性従者に支えられるようにやってきたのは、やはり先ほどの男の子だった。脂汗を流し、苦しそうにしている。
『今日は、どうされましたか?』
『は、腹が痛うてかなわぬ……』
『いつから、この症状がありますか? 原因に心当たりは?』
『…………』
私が見たときは、男の子は元気に歩いていた。ということは、あの後症状が出たことになる。
決まりが悪そうに私から目を逸らし急に無言になった男の子の代わりに、付き添っている女性従者が口を開く。
『若様が、意地汚くあれやこれやと召し上がるからですよ。それなのに、このようにみっともなく騒ぐのは、名門トヨマツ家の××に×××が──』
こちらの女性は、彼の教育係のような人なのだろうか。幼い彼に対し、なかなか厳しい言葉を投げかけている。
心配そうにこちらを見ている受付の女性へ「食べ過ぎによる、腹痛のようです」と伝えると、彼女は奥からポーションを持ってきた。
『こちらを飲めば、治まるそうです』
従者を通して渡してもらおうとしたのだが男の子は受け取らず、『腹が痛いと言うておるのに、このような水が飲めるか!』と拒否されてしまった。
毒草混入事件のときのユーゼフ殿下と同じようなことを言っている彼に、思わず笑いがこみ上げる。
『其方は、何を笑ろうておる?』
男の子にギロリと睨まれ、慌てて表情を取り繕う。
『い、いえ……その、治癒魔法を希望されるのでしたら、順番にお待ちいただくことになりますが……』
『待てぬ! 一刻も早く治療せよ!!』
『若様! 我が儘を言うてはなりませぬ!!』
今、治療を受けている人が終われば診てもらえるのだが、それが待てないほど痛いのだろう。
男の子は本当に苦しそうで、従者もかなり困っている様子が見てとれた。
『あの……私でよろしければ、治療をさせていただきますが?』
『其方で構わぬ。早う治してくれ……』
従者の方からも許可が下りたので、遠慮なくやらせてもらう。
治療に邪魔な帽子を脱ぐと、私を見た男の子と従者たちが目を見張った。
『その白い髪に、赤い目。魔術が使えて、我が国の言葉を話す。其方……もしや、
(メカンナギ様?)
何の事だろうと思いつつ、まずは治療を優先させる。
お腹に手を当て治癒魔法を掛けると、男の子はすぐに元気になった。
『では、治療も終わりましたし、私はこれで失礼します』
従者二人からお説教を受けている男の子にガンバレ!と心の中でエールを送り、お世話になった受付の女性へ挨拶をすると治療院を出た。
(まだ、夕食の時間には十分間に合うね)
アストニア領は農業が盛んな土地だけあり、新鮮な野菜を使った料理が名物なのだとか。
昨夜、宿の夕食で出た、温かいソースに野菜を付けて食べるバーニャカウダとか、野菜に衣をつけて揚げたフリット。
とにかく美味しい物がたくさんあるので、私は今日の夕食も非常に楽しみにしているのだ。
帽子を被り足取りも軽く乗車場へ向かって歩き出したところで、急に後ろからグッと引っ張られ思わずのけ反る。
驚いて振り返ると、あの男の子が両手で私の腕を掴んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます