第38話 見知った訪問者
ドアの外には、エプロンを身に纏う見知った少女が立っていた。
帰ってから一度お風呂に入ったのだろうか?下ろした髪の先をシュシュで束ねているのが目に入った。
その姿は普段の朝比奈さんとは違う完全にオフな姿で、どこか見てはいけないような気がしてしまう。
エプロンを着けている姿はさながら旦那の帰りを待つ新婚の奥さんのようだ。
もちろん彼女は人妻ではないし、なんなら帰りを待つどころか押しかけて来てるわけだが。
女神とすら呼ばれる彼女の容姿に家庭的象徴装備であるエプロンの着用は破壊力は凄まじく、ある種不健全な男子高校生である俺でもドキドキしてしまう程に可愛らしい。
「こんばんは、一ノ瀬くん。夜遅くにすみません」
「こんばんは...朝比奈さん。なにかありましたか?」
外に出ることができない格好なのでドアをほんの少し開けて問いかける。
「....あの、プリンを作って来たので、よければ召し上がってください」
「プ、プリン?」
あまりにも突拍子のない話が飛び出したせいで思わず耳に入った言葉をそのまま復唱してしまう。
プリンは勿論好きではあるが何故にプリンを?しかも今作ってきたと言ってなかったか?
俺の思考が一瞬にしてパンクしそうになった。
そんな俺の様子を察したのか朝比奈さんが言葉を続けて補足してくれた。
「一ノ瀬くんは気にしなくていいって言ってくれたんですけど私的には少し引っかかってしまって、迷惑になってしまうと思うんですけどそれで作ってきました...プリンなのはその...好きそうでしたので」
付け加えられた理由でなんで朝比奈さんが俺の家に来たのか理解した。
人には毎度律儀な人と言っておきながら自分も同じではないだろうか。
俺は本当に気にしてなかったんだけどな....
かと言ってこの行為を無下にするほどそこまで無礼な人間ではない。
そうなれば俺が取る行動は一つである。
「あの...やっぱりご迷惑でしたよね?ごめんなさい、私もう帰りますので...」
そんなふうに俺が色々考え込んでいる間に向こうはどんどん暗い方向に考えてしまっていたようで、ドア越しでも今の姿が想像できるくらいに朝比奈さんの声は弱々しくなっていた。
「待っ、待ってください!ありがたくいただきます!」
慌てて呼び止めるためにドアを開けると朝比奈さんと目が合ってしまった。
きゃっ、と短い悲鳴をあげた後、朝比奈さんは固く目を瞑った。
「な、なんて格好してるんですか!?」
朝比奈さんの声は抑え気味とはいえ夜のマンションで出すにはそれでも大きく、誰もいない廊下によく響いた。
ごめんなさい...!思わず飛び出してしまって...!あんまり大きな声出すと通報されかねないのでもう少し声量抑えてください...!」
「もう!なんでも良いからなんか着て来てください!」
「すぐに着てきます!ちょっと待っててください!」
朝比奈さんに声をかけ俺はすぐに部屋に戻り、洗濯したのは良いものの畳むのが面倒でその辺に放置している Tシャツを一枚適当に掴み着る。
それと同時に、他の衣類やあれから再び増えた空き箱をまとめて自分の寝室に放り込むと慌てて玄関に戻った。
幸い他のゴミはここ最近しっかり捨てていたおかげで部屋には溜まっていない。
「お待たせしました....」
そう口にすると朝比奈さんは瞑った目を少しずつ開いて確認していく、服を着たことを確認するとほっと息をついた。
「まったく。なんて格好で出てくるんですか」
確かに朝比奈さんの言うことに間違いはないが反応があまりにも清純と言うのかピュアというか。
今時の高校生なら男の半裸くらいなら見慣れてそうだとも思うのだが流石に偏見が過ぎるだろうか。
なんにせよ自分が半裸だということを忘れて外に出た俺が悪いし、流石に非常識すぎた。
「それでなんですけど...二個あるみたいなので、せっかくだし一緒に食べませんか?コーヒーくらいなら入れられますので」
そう朝比奈さんに提案すると目の前の少女はあっけらかんと立ち尽くしていた。
....あ。
そこで自分が今ナチュラルに朝比奈さんを家に招き入れようとしていた事に気づいた。
「違うんです!せっかく二つあるみたいだから一緒に食べようと誘っただけで、危害は一切加えるつもり無いですし!変な事も考えてないです!」
焦って早口に言い訳をすると却ってやましいことがあるように受け取られかねないのだが、こういう時に冷静に対応出来るほど経験値を積んでいないので仕方がない。
「さっきまで半裸だったのにですか?そう言っておきながら襲いかかるつもりでしょう」
「それを言われると...何にも言えないですね...」
ごもっともだ、あんなことがあった後なら警戒されて当然だろう。
それにこんな時間に特別親しくもない女性を自分の部屋に招き入れるというのは、いくらやましい気持ちがないとは言え、流石に行き過ぎた行動だったかもしれない。
そんな頭を悩ませている俺をよそに、突然朝比奈さんは鈴を転がすような声で笑った。
「ごめんなさい、意地悪言って。様子があまりにもおかしかったのと....ちょっとほっとしてしまって」
「いや、意地悪でも何でもないよ。さっきの件含めて俺が悪いんだし。ほっとしたってのは?」
「いえ、いつも通りの一ノ瀬くんだなぁと思って」
「そりゃあいつも通りの俺だよ。特別何か変わるような事もないんだから」
「....実は今日の一件で一ノ瀬くんには嫌われたと思ってて、受け取って貰えないどころか、出てすらくれないと思っていたので」
....彼女は一体俺のことをどんな目で見ているんだか。
今日の帰りにも伝えたが、俺からしてみればあの一件は朝比奈さんにはなんの責任もないし、関係ない。
だからあの一件で朝比奈さんを嫌う事はないし、むしろあのままならずっと人が集まらなかったであろうリレーに立候補してくれた分を考慮するのなら、どちらかと言えばプラスの方だ。
それに....
いや。
自分の中で思っている事はしっかりと言わないと伝わらないよな。
「朝比奈さん今回の事は本当に気にしてないからこれで終わりにしよう。それに
俺の言葉の後に朝比奈さんは微笑んだ。
その様子を見るからに俺の言葉は上手く伝わったのだろう。
「そうですね。ではご一緒に頂きます。それからあなたが気にしていることは大丈夫ですから」
その言葉の後に朝比奈さんはエプロンのポケットから笑顔で防犯スプレーをとりだした。
「...それいつも持ち歩いてるんですか?」
「さぁ...どうでしょうかね?」
....これ多分持ち歩いてるよな。
「さすが女神様、用意周到ですね...」
「使わなくて済むならそれに越した事はないんですけどね。そう思いませんか、
どこかぎこちなかった朝比奈さんは、気がつけば悪戯っぽい笑顔を見せていた。
学校で見せる慈悲深い女神のような笑顔ではなく、良く2人の時に見せていた、どこか小悪魔めいたいつも通りのあの笑顔だ。
俺たちは条約を結んでいる。
お互い嫌いな存在になったとしても不利益な情報をまき散らさない人間性ではあるであろうが、この条約は好感以前に今この時に置いてはお互いにとって大事なのだ。
脅しジョークには最適解だろう。
「使わなくて済むのでその恐ろしいスプレーはポッケにしまってください」
そう言いながら朝比奈さんを部屋に招くようにドアを大きく開いた。
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