第35話 クラスの日陰者

 突然の出来事に教室が一瞬静まり返った後、程なくしてそこかしこでヒソヒソとした声が聞こえ始める。


僅かに聞こえる会話はいずれも、突如名指しされた『一ノ瀬柊』が何者かと言った会話だった。


普段影薄く過ごしている俺の名前にクラスメイトはあまり聞きなじみがないのだろう。


それはあたりまえの事であり、俺が望んでいたことでもある。


「みんなわかんないかぁ!薄情だなぁ、同じクラスメイトなのに。窓際の一番後ろのあいつだよ、あいつ!」


クラスメイト達がきょろきょろしている様子があまりにおかしかったのか、俺を推薦したうちの一人が俺を指差してゲラゲラと笑う。


その言葉を皮切りにクラスメイトの視線がどんどんと俺に集まっていく。


周囲を見渡せばこの席の場所が一番後ろの角の席と言うことあり、教室中のほぼ全員から視線を向けられているのを感じる。


好奇の目に晒されているこの状況はまるで全員と敵対しているみたいだ。


まぁ....今置かれている状況を考えればあながち間違いでもないだろう。


 なんせ昨日から揉めている奴らはこのクラスでのカーストが高い人物なのだ。


その中のリーダー格が発言すればこうなるのは必然だろうし、その仲間たちも一緒に声を上げれば、下手に口出しするのも憚れるだろう。


これはめんどくさいな....


こうなってしまった以上俺が動かないと収拾つかない所まで来てしまった。


ふと、朝比奈さんと目があった。


先ほどまでムスッとしていた彼女はどこへ行ったのか、少し前の不安げな表情に逆戻りしていた。


 彼女の感情はいつも顔に出ていてわかりやすく、よくもまぁこれまで女神様として偽って来れたものだと思う。


それでも...この状況の中で俺に心配してくれる人がいることに俺は驚いた。


まぁ、同じマンションのよしみだからなんだろうが....


俺は不安げにしている迷子の少女みたいな朝比奈さんに大丈夫だよと口を動かし伝えた。


なぜ、ここまで人に対して執着するのか、それも外道なやり方で。


 考えた所でどうせ分からないしとりあえずこの状況を早く終わらせよう。


彼らの望みは俺がリレーに参加することなのだ。


俺が発言しようとした寸前に前の席の廣幸が勢いよく立ち上がった。


「てめぇら良い加減にしろよ!それに他の奴らも黙り込んで流石にどうかと思うぜ!」


廣幸が柄にもなく声を荒げる。


その様子は普段の温厚な廣幸とはかけ離れており、周りの席の人達は萎縮してしまっていた。


「落ち着けよ神宮寺。俺はただ推薦しただけだろ?」


「推薦だぁ!?柊の事なんて碌に知らなかったくせに何が推薦だよ!」


「そうは言ってもさぁ、俺達だってさっさと部活に行きたいんだよ。教室の奴らが何も言わないのもそういう事だろ?」


その言葉と同時にクラスメイトの何人かが顔を伏せる。


すでに放課後になってから二十分近く経っており、朝比奈さんが言っていたようにそれぞれがそれぞれに予定がある中残っているのだ。


誰かに押し付けたとしてもさっさと終えて帰れるならそれでいいと思う気持ちは充分理解できる。


その上で言い出したのがクラスのカースト上位とくれば、声を上げられなかった自分も正当化できる訳だ。


俺が傍観者側でも同じ事をしているだろうしクラスメイトを責める気は起きなかった。


「お、お二人とも落ち着いてください!そもそも体育祭の競技決めに推薦なんて制度はないです!」


突然聞こえた廣幸の怒号に呆気に取られていた清水さんも我に帰って仲裁に入るものの、流石にこの状況は想定外だったであろう清水さんには先程までの冷静さはなかった。


「ですから、しっかりと話し合って――」


「話し合っててさぁ....そもそも清水さんが統率できないから話し合いが進まないんじゃん。そんなんなら朝比奈さんに代わってもらった方がいいんじゃない?」


「そ、れは....」


リーダー格の言い掛かりに清水さんは言い返すことができず、言葉を詰まらせてしまった。


進行しないのは連中含め他の生徒が協力的ではないからだというのに責任転嫁も甚だしい。


それにこの状況で仮面が外れかかった朝比奈さんは役に立たないだろう。


もっとも普段の朝比奈さんでもこの段階まで来てしまったらどうしようもないように思える。


「清水さんのせいじゃないだろうが!てめぇらがくだらない事始めたせいで――」


「ありがとう、廣幸。大丈夫だよ」


 ヒートアップしていく廣幸を止めるべく、会話に割って入る。


俺の為にここまで怒ってくれる人がいるなんて思ってもいなかった。


気持ちは非常にありがたい、俺みたいな奴の為に怒ってくれて。


でも、それは悪手だ。


いつも温厚で馬鹿をやっている廣幸が大声を出せばそれだけでいつもとギャップがあり皆に恐怖心を植え付けてしまう。


これじゃあいつらよりも廣幸が悪者になってしまうし、俺も大声を上げるやり方は好きじゃない。


「そうは言っても柊これはなぁ!」


考えてみれば真剣に怒っている廣幸を見るのは初めてだなと思う。


....本当に自分にはもったいない存在だ。


「清水さんもありがとう。俺も早く帰りたいし参加する事にするよ」


首を振り廣幸の言葉を止めた後、俺は教壇に立ち尽くしていた清水さんに参加する旨を伝えた。


「一ノ瀬さん、本当に参加するんですか...?」


「参加しちゃ駄目だったかな?結構走るのは好きだし、たまには運動するのもいいなって思ったんだけど....」


なるべく心配をかけないようにいつもと違い明るく冗談めかして清水さんに返答した。


「い、いえ。そうではないのですが、これは...あまりにも...」


 なにか言っているように見えたがその声は俺には聞こえなかったが顔を見ればおおよそ言いたいことが伝わったので安心させるように微笑んでおいた。


「....それでは一ノ瀬さんが参加しますので残り四人参加したい方はいらっしゃいませんか?」


ひとまずは解決したのだがこの後が問題だ。


この状況下の中で他に参加したい人など居るのだろうか....。


俺が送ってきた学生生活を考えればこの状況を助けてくれる人は....


そう思っていた矢先廣幸が勢いよく立ち上がり参加表明を出してくれた。


「ありがとう。廣幸すげぇ助かる」


素直に感謝の言葉を伝えると一瞬廣幸から鋭い視線が飛んできたが「当たり前だ。馬鹿野郎」と照れ隠しなのか本当に怒っているのか難しい返答が返ってきた。


「神宮寺さんも参加ということであと三人です。参加したい人いませんか?」


黒板に廣幸の名前が追加され残り三人となった。


正直ここからが難問だよなぁ...


俺と関係性があるのは廣幸くらいでありこの先は本当に参加してくれる人に見込みはない。


 教室を見渡しても先ほどまでは視線を送ってきた人たちも今となっては目が合わないように逸らされている。


まぁ、そうだよな...俺だって逆の立場ならそうする。


めんどくさいことに関わりたくないからな。


廣幸も参加してくれないかと声をかけてくれているがどれも断られているみたいだ。


どうやら、今の俺たちは教室で浮いている存在らしい。


そんな状況を楽しんでいるようで俺をはめた奴らはニヤニヤとしており非常に不愉快だ。


 いっそ殴ってやろうかと思った所で今の自分は冷静ではないと思い深呼吸した。


それじゃああいつと同じだ。


俺が一番嫌いで....憎いあいつと。


「い、一ノ瀬くん」


俺の思考を遮るように朝比奈さんから声をかけられた。


「あ、あの走るの苦手なんですけど....ごめんなさい」


 いきなり走るのが苦手な事をカミングアウトされて首を傾げる。


これが漫画なら俺の頭上には?マークが出ている事だろう。


まぁ、最後にごめんなさいとついていたので運動が苦手だから参加できないって事だろう。


「あぁ、うん。大丈夫だよ」


とりあえずこの事で朝比奈さんに気を使わせたくないから大丈夫と返したつもりだったのだが....


日本語って難しい...話がすれ違ってしまっていたらしい。


「あのっ...!」


次の瞬間には朝比奈さんが手をあげてリレーに参加していた。

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