第34話 女神様の代償
俺の願いも虚しく教室はどんどんと騒がしくなっていき、まともに種目を決められる状況下では無くなっていった。
できる事なら早く帰りたいのだが、俺も人任せにしている以上口を挟むのは憚られ、大人しく終わるのを待つ事にした。
寝て終わるのを待とうと机に伏してみるも、教室内は非常に騒がしく流石に寝れそうにも無いので諦めて身体を起こした。
教室を見渡せば、放課後ということもあり一部クラスメイトが自由に座席移動していた。
まぁ、そりゃあ収拾付かなくなるよなと先ほどまで頑張ってくれてたであろう清水さんに同情してしまう。
俺が机に伏している間も清水さんの声は聞こえており、最初はどうにか進めようとしていた清水さんも最終的には諦めて自分の席に着席していた。
こうなってしまったらいくら清水さんでもどうしようもないだろうし、担任が戻ってくるのを待つのが賢明な気もするがあの担任の事だから戻ってくる気もあまりしないが....
「あの皆さん、そろそろ残りの種目決めませんか?」
そう思った所で隣の朝比奈さんが席を立ち上がりクラス全員に呼びかけた。
先程まで騒がしかった教室が一度静かになったタイミングで朝比奈さんは言葉を続けた。
「予定がある方もいるでしょうし、先に体育祭の事を決めてから放課後を過ごしましょ?」
言葉の最後にこてんと可愛らしく首を傾けた朝比奈さんに、男性陣は謎の団結力を生み出しては騒ぎ出し清水さんに司会をお願いしていた。
こんな状況で清水さんに都合よく司会を頼むのはいかがと思うが、清水さんはそんなそぶりを見せずまた教壇に立った。
確かに朝比奈さんの言う通りで全員が全員この教室に残りたいわけではないのだ。
アルバイトや部活、家の手伝いや遊びの予定だってあるかもしれない。
どちらにせよ早くこの教室から解放される方が皆にも都合がいいであろう。
もちろん俺だって予定はこれと言って特に無いが早く帰りたいのだ。
高校生になってから放課後に予定があった試しがないが、俺は今の現状に満足しているので全く問題はない。
そんな誰に聞かせるわけでもない言い訳を考えながら俺は教室内の動きをぼーっと眺めていた。
教壇に立った清水さんは深々とため息を吐いてから両手で頬を叩いてから種目決めを再開した。
清水さんからは怒っている様子が感じられないどころかむしろかなり落ち着いており、もはや呆れているのではないかというレベルだ。
まるで話を聞かなかった癖に進行役をもう一回押し付けられたりすれば思う所もあるだろう。
その上朝比奈さんが言った途端にようやく団結し始めるのだから現金な奴らだとは思うが。
とはいえ残っていた項目も一つは決まり、二つ目も決まりそうと言った所まで進んでいる。
今は女子生徒のみで行われる応援合戦に参加する人を決めている最中だ。
こればっかりは活気づいた男子陣には何もすることが出来ず待っているしかないのだが、彼らが朝比奈さんが参加する事を期待しているのは誰の目から見ても明らかだった。
残り二枠を決めようとしているのだが、この状況ではその内の一枠は朝比奈さんと言われているようなものだ。
朝比奈さんもこの教室の空気感を感じ取っているだろうが未だに参加の意思は出していない。
その後も話し合いは難航していき、だんだん教室がピリピリとしてきた。
この空気感では他の女子達も立候補したくはないだろう、何せ皆が望んでいるのは朝比奈さんなのだから。
「あの、私も参加しますので後1人、どなたかよろしくお願いします」
このままでは先ほどの様な二の舞になってしまうと思った所で教壇に立っている清水さんが手を上げて参加表明をした。
教室の空気をものともしないかのような堂々とした態度ではあったが、彼女の手は小刻みに震えているのがわかった。
清水さんが立候補すると、教室の至る所でひそひそとした話し声が聞こえてくる。
朝比奈さんに期待していた奴らはお前じゃないと言わんばかりの態度だが、一枠を埋めてくれた清水さんには感謝の言葉をかけるべきだろう。
清水さんが立候補してくれたものの、結局後一枠残ってしまっているため、却って朝比奈さんに対して半ば圧力のような期待が更に高まってしまった。
朝比奈さんがこの状況下でも参加の意思が見えないのは運動が苦手だからだろう。
これが違う分野であるなら、おそらく朝比奈さんは秒で参加意思を出すはずだ。
「月ちゃん、せっかくだし出たら?」
「朝比奈さんに応援してもらいたい人多いみたいだしどうかなー?」
しばらくしても話が進展しない事に苛立ちを覚えたのか、教室の女性陣から朝比奈さんに対して、肯定しているような圧をかけているとも取れる言葉が飛び交うようになった。
彼女達からすれば、立候補しようものなら針の筵にされる上に朝比奈さんと比べられる為絶対に出たくないのだろう。
さらに女子の意見に乗じて下心丸見えな男子からも声が飛び交い始め、益々断りづらい状況になっていく。
「皆さん落ち着いてください。朝比奈さんの意見を聞いてからじゃないと....」
「そうそう、俺も見たいけど朝比奈さんが嫌なら断っても良いんだぞ」
清水さんと廣幸が必死に教室の空気をどうにかしようとするものの、まるで聞く耳を持たず気がつけば教室には朝比奈さんの味方は誰もいなくなっていた。
八方美人の女神様として振る舞っていた代償にしてはあまりにも重すぎるような気もする。
「え、えっと....その....」
困りきったように言葉に詰まっている朝比奈さんと目が合う。
彼女は憔悴しきった様子で涙ぐんでおり今すぐにでも泣いてしまいそうな表情をしていた。
俺はこの状況で彼女と話すのを避けるべく、シャーペンを持ちノートの端を見るようにジェスチャーし『女神さまは大変だ』とペンをはしらせた。
それを見た朝比奈さんは目を大きく見開いて次の瞬間にはムスッと表情を変えた。
俺は逃げるように顔をそっぽ向けた。
「わたしなんかでいいのか分かりませんが、参加します....」
次の瞬間には朝比奈さんが参加表明を出して教室中が歓喜の声で溢れかえっていた。
それと同時にクラスの中から僅かにため息を漏らす声や舌打ちも耳に入ってくる。
恐らくは事前に応援合戦に立候補していた女子達だろう。
同性では無い俺はよくわからないが女性陣も朝比奈さんに思うことがあるのだろう。
「朝比奈さん....ありがとうございます」
半ば強制的に決まったことにあまり納得していないのか、清水さんはあまり釈然としない様子で進行を続けた。
廣幸もまた望んでいた結果だったものの、素直に喜べないのか複雑な表情を浮かべている。
ちらっと横目で朝比奈さんを見れば、先ほどまで泣きそうだったのが嘘みたいな怒りが現れた表情でこちらを睨んでいた。
「一ノ瀬くんの....ばか」
表情とは裏腹に大分可愛らしい言葉で俺にだけ聞こえるような声量で朝比奈さんが呟いた。
そう言われても、俺にあの状況を変えるような力はないのだからどうしようもない。
これは仮面を被った代償だよ、朝比奈さん....
弱みを見せず完璧な人間のふりを続け、女神様であり続ける事を選んだ以上は避けては通れなかっただろう。
どうにか二つ目も決まり、残りはこの体育祭の大本命クラス対抗リレーである。
この調子ですぐに決まってくれると俺としても嬉しいものだ。
男女混合でクラスから5人選出されて行われるこの競技は体育祭の最後を飾る種目なのだ。
一番注目されるであろうこの競技は目立つのが好きな人が立候補したり、体育祭として勝ち点が高い為実力で選出されたりもあるだろう。
もちろん三学年ともここに力を入れて来るだろうと考えたところで、他学年も含めどこまで高校生活の体育祭は本気で行われるのだろうかと少し気になった。
気になっただけで俺としては自分で立候補した借り物競走をそれなりに頑張るだけなのだが....
それ以外にも応援する気持ちは持ち合わせているので激しい種目に参加する人達は是非頑張ってほしい。
誰に伝えるわけでもなくそんな事を心の中で呟きながら、清水さんの進行を見届けていると後ろを振り返る一人と目があった。
別に目を合わせるつもりは無く自分の視界の中で動く人影がに対して目線を追ってしまった結果なのだが。
目線を外そうとすると一瞬わざとらしく笑みを浮かべる表情が表情が見えた。
次の瞬間には教室中が静寂に包まれ視界が俺に集まった。
「クラス対抗リレーの参加に一ノ瀬柊くんを推薦します!!」
それに便乗し数名が俺の名を推薦した。
・・・一瞬理解が出来なかったが、一度冷静になり最初に声を上げた一人を見ると非常に不愉快な笑みを浮かべていた。
小さな衝突からまさかこういう形に繋がってくるとは思わなかった。
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