第24話 始まる三学期

 三学期が始まった。二年生は一月末にスキー修学旅行があるので、授業に集中なんてできるはずもないよね。なんてタイミングだ。



 二泊三日のスキー修学旅行。初心者講習以外はほぼ自由行動で、地域の名物や伝統工芸の見学・体験などは一切ない。泊まるホテルは温泉郷にあり、天然温泉が自慢とパンフレットにある。


 「あれ?夫婦は同室じゃないの?」

 「あのね、学校の旅行だよ?」

 「むー、今からでも教育委員会に圧力かけてみようか」

 「やめなさい」


 旅行のしおりが配られて、持ち物やら日程やらで教室内はざわめいている。


 「保険証のコピーって?」

 「ああ、お前うちの養子になってるから、僕が用意しとくよ」

 「下着の替えって十枚もあればいいかな」

 「何泊する気だ」

 「厚手の靴下なんてあたし持ってないよ」

 「凍傷防止のやつかな、週末に買いに行こうか」



 粗い印刷のしおりを手に、興奮してあれこれ口走るセフィア。僕はとにかく冷静に、そして的確なツッコミに終始しようと心に決めていた。



 「ちょっと待って」

 「あん?」

 「一日目の午後と、二日目の午前中に初心者講習があるわよね」

 「頑張って練習するんだよ、全身運動で案外きついけど」


 ぐいっ、と身を乗り出すセフィア。


 「この時間、レイジは何してるの?」

 「ん?スキー経験者は自由時間だから、適当に滑ってるよ」

 「自由時間?」

 「好きに過ごしてていいんだ。まあくたびれるから、程々に滑るつもりだけど」

 「まさか、ナンパとかするつもりじゃないでしょうね?」

 「僕にそんな甲斐性があるとお思いですか」

 「質問に質問で返す……うう、レイジがあたしを裏切るなんて」


 さめざめと泣いたふりをするセフィア。レクリエーションですよ、レクリエーション。もう高山瑠奈も、こんなセフィアの言動を本気にはしない。


 「あーん、あたしも早く講習終わらせて、レイジとゲレンデデートしたいしたいしたい」


 ほらね、すぐに話題が切り替わった。


 「頑張って練習して、二日目の午後とかナイタースキーあたりで成果を見せてよ」

 「見てなさい、華麗なシュプールで惚れ直させて見せるわ!」


 むふー、と鼻息の荒いセフィアに僕は肩をすくめる。ここで浮気云々が冗談で済むようになったのは、たぶん二人の関係性が変化したからだと思う。



 まあ、僕としてはスキーよりも修学旅行の行先である温泉郷の方が重要だ。泊まるホテルの入浴時間は決められているけれど、自由時間に他所のホテルや旅館へ湯を借りに行くなら問題ないはず。有名な公衆温泉浴場にはゲレンデからちと距離があるので難しいけれど、スキー客目当ての宿泊施設は山ほどある。ああ天然温泉、その響きは僕を魅了して止まない。



 リフトのフリーバスは強制購入だから、その分の元は取りたい。だからそれなりに滑らないとだけど、しかしあくまで僕のメインは温泉だ。


 「うーす」


 のたのたと吉村がやってきた。こいつはいつでものほほんとしているな。


 「やっぱ修学旅行が気になるか」

 「まあ旅行があるだけマシだよなー」


 ちょっと前に、世界中で大規模な流行を見せた感染症のお陰で、その手のイベントがばたばたと中止に追い込まれた世代があった。その前までは海外にも出かける学校もあったというのに。


 流行の鎮静化と共に、イベントも再開されたとは言うけれど……卒業した人たちのためにもう一度修学旅行、なんてあるはずもない。


 僕たちの修学旅行がほぼスキーだけなのもその余波という話で、ようやく細々と一般の観光客向けに再開できた体験施設などに、言う事聞かない高校生の団体をブチ込んで負担をかけるなんてとんでもない!ということらしい。去年の先輩が何かやらかしたらしいという話も伝え聞くが……詳細は謎に包まれている。



 「俺滑ったことないから、初心者講習だわ」

 「あら、ポチムラくんも?」

 「スケートなら滑れるんだけどなぁ。でもこれで体育は六以上確定だから」

 「そんなにくれるのか」


 初耳だ。十段階評価で六以上が確定なの?


 「一応体育の校外学習扱いだからなぁ。例え滑れるようにならなくても、ちゃんと成績はくれるんだ」

 「ほー、ならもう滑れる僕なんかは」

 「経験者には何もないよ」

 「えっ」

 「そりゃそうだろ?ほぼフリータイムで好き勝手できるのに、単位なんかくれるわけないじゃないか」

 「とほほ」


 そう言われるとそうだけど、僕はちょっとがっかりする。まぁ、滑らずに温泉に入ろうなんて考えている僕だから、そのあたりは深く考えずとも良いだろう。


 「そうか長戸は経験者かー。講習受けないのって、クラスで十人もいないんだ」

 「そうなんか」

 「男子も五人くらいか。女子はほら、高山とかも」

 「あいつはスポーツ万能を売りにしてるからな、スキーくらいやるだろ」


 高山瑠奈に、不得手なものがあるイメージはない。基本的になんでも卒なくこなし、周囲からの脚光と称賛を一身に受けるのが彼女の立ち位置だ。それを鼻にかけたりしないのがまた実に優等生でため息しか出ない。完璧超人かよ。


 「セフィアさんが滑れないってのは、意外な気がするよ」

 「そうかな?」

 「なんかこう、宇宙スキー板とかで自動で滑りそうな感じ。スランちゃんもそれならできるって言ってた」

 「あら、宇宙スキー板知ってるの?あたしあれしかやったことないのよ」


 あー、やっぱりそうか。そういうのか。


 「上りも下りも自由自在だからね宇宙スキー板。全部体でやるのって初めてだし、リフトも初めて。ただ滑って降りるために人を山の上まで運ぶだけの乗り物って、何か無常観を覚えて深いわよね」

 「えええ」


 リフトに対する謎の感想で吉村が黙ってしまった。いや確かにそういう乗り物ですけどね。頼めば一応、下りも乗せてもらえたような気がする。


 「レイジと外泊も楽しみだわー」

 「言い方がおかしい」

 「週末に買い物行くんだけど、ポチムラくんも一緒に行く?」

 「あー、俺特に買うものないからいいや。旦那とのデート楽しんで来たらいいよ」

 「いやん、もう」


 ちょっと前あたりから、セフィアは出かける際に顔馴染みを誘うようになっていた。それは大きな進歩だと思う。とにかく僕を独占したがっていたけれど、指輪をしたあたりから余裕が出てきた感じだ。まあ、あんまり過信はできないけれど。


 吉村も、最近は転生モノや異世界モノのラノベではなくSF系の本を手にしていることが多くなっている。これはたぶん、あの海賊戦艦に入り浸ってるせいだろう。こないだは公園で謎のモデルガンみたいなものを構えて悦に入っている姿を見かけた。宇宙戦士にでもなるつもりなんだろうか。


 「そうだ、今年から連合宇宙軍への協力報酬率の計算が変わったから」


 セフィアは、鞄の中から一枚の紙を取り出して、吉村に差し出す。


 「ここに詳しいことが書いてあるから、スランに渡しておいてね」

 「お、了解。ありがとうね」


 紙を受け取って一瞥し、折り畳む吉村。もう完全に海賊戦艦の一員だなぁ。と、僕はふと湧いた疑問を口にしてみる。


 [紙で渡すのって珍しいね」

 「うん、海賊ギルドには軍から通告済みなんだけどね。あの馬鹿絶対見てないから。紙で渡して、見てなかったらもう自業自得よ」

 「お手数かけます」


 深々と頭を下げる吉村に、あははとセフィアは笑う。


 「いいのいいの、ポチムラくんのお陰で色々やりやすくなってるから!あいつのこと、よろしくね」

 「そう言ってくれると有り難いな。いやあ、長戸夫妻には頭が上がらないよ」


 チャイムが鳴ったので、吉村は手をひらひらとさせながら自席へと戻って行った。夫妻なんて言われたもんだから、セフィアが無駄ににこにこしている。ま、機嫌がいい分には特に問題なし!





 週末に、ちょっと行った先のショッピングモールへと買い物に出かけた。


 修学旅行に向けて、色々と足りないものを買うのだ。ネット通販でもいいんじゃないかと言ってみたんだけれど、せっかくだし一緒にお出かけをしたいというセフィアに押し切られる形での外出だ。


 「厚手の靴下って、あんまり可愛いデザインがないのね?」


 セフィアが顔をしかめる。


 「そう?見た感じ、ちゃんと女の子らしいのばっかだと思うけど」

 「うーん、あんまり気に入るのがないなぁ」


 もっと実用性に振ってるものばかりかと思ったけれど、最近は防寒用と言っても可愛らしいデザインも結構あるんだなーと感心していたところに、ご不満顔のセフィアである。


 「別に一枚で済ませなくてもいいと思うよ。薄手のを、二枚重ね履きするとか」

 「あー、それいいわね!ワンサイズ大きいの買えばいいかな」

 「そうだね。下には今持ってるの履いて、上にもう一枚って感じでいいんじゃないか」

 「ならこれでいいわ」


 セフィアは三足で五百円のまとめ売り品を手に取った。実用と割り切った場合、セフィアは途端に倹約家になる。お菓子とかジュースとか、あんまり買ってくれないんですよ。


 「あと使い捨てカイロ」

 「それは下のドラッグストアで買おうか」


 セフィアを連れてエスカレータを降り、ドラッグストアへ向かう。使い捨てカイロは様々なサイズのものがそれぞれセットになって売られていて、メーカーも商品名もたくさんあった。


 「なるほど、酸化熱を利用するわけね」

 「結構温かくなるよ」

 「崩壊熱を利用するタイプは……さすがにないか」


 なんか物騒なこと言ってる。地球人はまだ、原子力を完全に制御できてません。


 ちっさいサイズの使い捨てカイロセット品と、ビスケットにチョコの乗った菓子のアソート袋を籠に入れるセフィア。この手のチョコ菓子って、ドラッグストアが最安なのはどうしてだろう。


 そんな感じでドラッグストア内をうろうろしていると、シロフォンの三つ子とティグレン中尉が買い物をしているのに出くわした。生活圏が同じだから、こういうこともある。


 「これは、セフィアリシス大佐ではありませんか」


 びっ、と敬礼をするティグレン中尉にセフィアは微笑みかける。


 「今日はオフだから、かしこままらなくていいよ中尉」

 「はっ……大佐もお買い物ですか」


 籠の中を覗き込む中尉。中尉の持つ籠の中には、やはりチョコ菓子の袋とこんにゃくゼリーの袋、カップ麺や粉末スープの箱なんかが入っていた。三つ子はなんだかもじもじしてこちらを見ている。休みの日だからか、三人とも私服なんだけれど……トレーナーの胸にそれぞれ386、387、388と数字が入っている。何かの本で似たような話を読んだ気がするけれど思い出せない……


 「やあナガト夫妻▼」

 「▼学校の外じゃあんまり会わないよな私たち」

 「▼お前たちもそのチョコ買うのか、やっぱりうまいよなそれ▼」

 「ああ、コンビニで買うより安いからね」


 三人とも普通の同級生として会話が出来ている。こいつらが相手の場合、セフィアが表立って機嫌を損ねることはないんだけれど、ある程度自重は必要だ。だから、あんまり余計な言葉は口にしないに限る。


 「▼修学旅行楽しみだよな!▼」

 「そうだね、三人とも初心者講習受けるの?」

 「うむ、そもそも雪山が初めてだよ▼」

 「▼セフィアリシスも初心者でしょ?一緒に頑張ろうね」

 「うん、頑張ろ」


 三人が、セフィアもうまいこと会話に巻き込んでくれたので一安心。ティグレン中尉もにこにこして三人を見守っている。


 「じゃあ、そろそろ僕たちは行きますね」


 雑談が長くなりそうな気配もあったので、適当な所で話を切り上げる僕。


 「おおそうだ、我々も新しい下着も買うんだった▼」

 「▼外泊だから勝負下着」

 「▼少しでも軽量化してスピード競争に勝つ▼」


 なんだか勝負下着の意味を履き違えてる気がするぞ、下着だけに履き違え。なんてくだらないことを考えていたら何かを察したのか、セフィアが僕をとてもビミョーな表情で見ている。まさか心を読まれた?


 じゃあまたねと四人と別れて会計を済ませ、同じフロアの喫茶店で一休みをする。少し照明を落とした店内は、モール内の賑やかな空気とは切り離されて、落ち着いた空間を演出する。


 「まさかあの子たちに会うなんて、思わなかったわね」

 「スーパーとかじゃ会わないのにね」


 コーヒーを一口飲んで、セフィアがにやにやし始めた。


 「そろそろ行きます、とか言っちゃってさ。そんなにあたしと二人になりたかったの?」


 なんか誤解してる。だけど、そっち方向に誤解してくれたなら平和だから、乗っかっておくか。僕は瞬時にそう判断する。極めて高度な政治的判断というやつだ!


 「だって二人の時間は大切にしたいじゃないか」


 うう、言ってて歯が浮く。本心じゃないとは言わないけれど、そう考えていたわけじゃない。嘘も方便、というのもちょっと違うのかな?少なくとも嘘じゃないし。


 「レイジも最近素直になって実によろしい。その調子で新しい家族を作ろう」

 「それはまだ」

 「じゃあ予行演習」

 「しないしない」


 ま、彼女のこういうのは言葉だけって判っているので、最近はドギマギしつつもうまくかわすだけの余裕もある。実際に行動されてしまったら、きっと流されていただろう。そう考えると、なんだかんだで僕の意思をちゃんと尊重してくれてはいるんだよなぁ。


 修学旅行のこと、三学期に入ってからのクラスメイトのこと、迎撃艦隊βクルーのこと。くるくると表情を変えながら楽し気に話すセフィアを見て、僕も笑った。




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