第28話 バレンタインデーの風景

 海賊戦艦アガルティア号の乗組員は、様々な年齢層や種族で構成されている。女性の乗組員も多いけれど、既婚率も高い。


 宇宙海賊と言っても、ギルドに所属しているのは大抵『多少のヤンチャはするけど基本的には体制側』な連中で、無差別に商船を襲って略奪したり意味のない殺しをしてまで財産を得ることはない。


 自らの縄張りに関所を作り、通行税を取るのがもっぱらのやり口である。たまには依頼を受けて護衛もする。戦乱が始まった星系への密輸もするし、亡命者の脱出を手伝ったりもする。


 それなりに忙しい仕事ではあるけれど、あまり実入りが良くない。なので、手っ取り早く海賊同士でくっついてしまうケースが多い。分け前が二倍になるし。


 なので、クリスマスだとかバレンタインだとかハロウィンなんてイベントは割と盛り上がるけれど、既婚率の高い艦内は大抵の場合、単なる酒盛りになることは言うまでもない。



 数日前から来い来いと矢の催促があったので、俺は白昼からアルコールの匂い漂う海賊戦艦へとやってきた。



 「こんちわー」

 「おっポチムラさん、ハッピーバランタイン」

 「いらっしゃいポチムラの兄貴!」

 「来マシタネぽちむらサン。デモきゃぷてんガ」


 ブリッジに艦長の姿がない。いるのは、飲んだくれているクルーたちだけだ。ムーモも高級そうな酢の瓶を抱えている。


 「あれ?スランちゃんに呼ばれて来たんだけど?」

 「キャプテンなら自室に籠ってるよ」


 炊事班長のマスさん(七十代。既婚)が、升酒を一気に飲みながら言う。清酒大銀河とか大吟醸プロミネンスとか、よく判らないブランドの酒瓶が床にゴロゴロ転がっている。


 「じゃあちょっと見てきます」


 俺はそう言ってカーテンの向こう、ブリッジ奥から伸びる細い階段を登る。この先に、スランのプライベートルームがあるのだ。あんまり入ったことはないけど。


 木製っぽいドアをノックする。たぶん何らかの樹脂かセラミックを。木のように加工してあるだけだと思うんだけれど、表にはドクロのレリーフがある。


 返事がないので、ドアに耳をつけてみる。と、ぐすぐす鼻を啜る音が聞こえる。なんだ、いるんじゃないか。


 「スランちゃん、来たよ」


 もう一度声をかけてみたけれど、返事はない。俺はそっとドアを押してみる。すっ、と音もなくドアは奥に押し込まれた。俺は乙女チックな内装の私室に足を踏み入れる。何度見ても落ち着かない部屋だ。


 「どしたの?泣いてるの?」

 「ポっ。ポチムラ……来てしまったのか」


 少女趣味な天蓋付きベッドに埋めていた顔を上げるスラン。彼女は涙と鼻水で顔をドロドロにしており、その見た目は完全に幼女のそれである。


 「どったの?そんなに泣いて」


 ハンカチを渡すと、顔中拭いた後に鼻までかんだ。返されたハンカチを、濡れた面を内側に折り畳んでポケットに戻す。後で洗濯必須。


 「ううう。失敗したのじゃ」

 「失敗?」


 スランが指さす卓上には、包装途中で放置されたチョコレートがあった。ドクロの形をしている。


 「甘味が足らんと思ったので、最後に砂糖を入れたのじゃ。ピンク色で可愛い砂糖だと思ったら、なんとそれは岩塩だった!ガーン!えーん!」


 冗談を挟む余裕があるならまあ大丈夫だな、と俺はそのチョコの欠片を拾い上げて口に運ぶ。

 口に中に広がる甘味と塩味。ちょうど良い加減の塩チョコになってる。


 「うん、美味しいよ。最後に味見しなかったの?」

 「間違いが発覚した時点で絶望していたのだが……ほんとに美味しい?」

 「あれ、スランちゃん塩チョコって知らない?甘じょっばくて美味しいんだよ」


 スランはおずおずとチョコを口に運ぶ。もぐもぐ咀嚼して、ぱっと笑顔になった。


 「うみゃい!」

 「ポテチにチョコかけてるお菓子とかもあるんだよ、最近は」

 「そっ、そうなのか、知らなんだ」

 「チョコ失敗したと思って、落ち込んでくれてたのかな?」

 「うむ……」

 「だいじょぶだいじょぶ、美味しいよ!ありがとうね」

 「ポチムラ~!」


 あーあまた泣いた。抱き着いてきたスランの頭を撫でる俺。どっちが年上なんだか判りゃしないけど、まあいいか、合法だし。


 ……あれっ、俺の方が非合法なのか?






 さて帰るか。


 アリサとマリサの姿はもう教室にない。あんまり三人だけで固まらずにクラスメイトと交流しろ、という命令なので、登校も下校もわざと時間を少しズラすことにしているのだ。


 「あの、クラリッサさん」

 「ん?」


 声を掛けられたので振り向くと、そこには隣のクラスの女子が立っている。名前なんだっけ?スキーの時に聞いた気もするが、記憶が不明瞭だ。


 「何か?」

 「あの、これ受け取って」


 その手には小さな包みがある。可愛い包装紙にリボンがかかっている。


 「私、クラリッサさんのファンなの」

 「ファン」


 ファン


 「いつもクールでカッコ良いって思ってて!」

 「はあ」


 つまり冷却扇クーリングファンということか?いや違う。


 これは最近何やら騒がれているバレンタインチョコというやつじゃないか?しかしあれは異性にあげるものなのでは?同性からもらっていいものなのか?


 「受け取ってください!」

 「う、うむ」


 決死の眼差しで言われてしまったので、私は仕方なく受け取った。すると彼女はものすごく喜んで教室から出て行く。まるで飛び跳ねんばかりだ。そんなに嬉しいものなのか。


 あれっ?これって受け取ったら、一月後に返すものなのでは?私の乏しいお小遣いから返すのか?なんだか時限爆弾を受け取ったような気分になって来た。私の得意武器が爆発物だからって、これはなんだか皮肉だ。


 ……まあいいか。こういうイベントの対象になるってことは、私がこの場所に馴染んでいる証拠。ちゃんとやり遂げて社会復帰をするのが私たちの使命なのだ。



 しかしまあ、地球というのは変なイベントばかりの星だ。学生鞄に包みを入れて、私は一人教室を出た。







 学級日誌を持って職員室に行った帰り、クラスのタカヤマを首魁とする女子グループに誘われた。やることも特にないのでついていく。目的地はタカヤマの家だった。広い。


 「マリサ……マリさん……マリサっち……マリっち……」


 タカヤマが私を見ながら何事かを呟いている。人の名前を勝手にこねくり回しているようだが、何のための試行錯誤だろうか。


 「そうね、マリっち!マリっちも、どうぞ上がって上がって」


 広い玄関を抜けて広い居間に通された。我がアパートとは大違いの、明るくきれいなお屋敷だ。居間のテーブルの上には、コンビニなどで最近見かけるきっちり包装された四角や三角や丸の物体が山のように置かれている。


 「これ、うちの兄貴が貰ったチョコ。みんな食べて食べて」


 わー、っと女子が群がる。包装が解かれ、中身がどんどん食べられて行く。


 「いいのルナ?食べちゃっても」

 「うん、差出人はリストアップ済みだから食べていいよって言われてる」

 「すごいね、ルナの兄さんモテモテなんだ?」

 「大学でテニスサークル入ってるからね、ほとんどは義理だと思うよ」


 私もひとつ食べてみた。チョコなんてたまに食べるくらいだから、これはラッキーだ。甘くて美味しい。いつも食べているまのこたけのこよりも蕩ける甘さだ。


 「バレンタインとは、恋人を作るイベントと聞いたが」

 「お菓子業界の陰謀よ」


 タカヤマは笑ってそう言った。


 「ま、きっかけにはなるかも知れないけどね」

 「きっかけか」

 「普段は勇気がなくても、こういうイベントなら便乗もできるでしょ」

 「なるほど」


 だからこのチョコは甘く、ハートの形をしているのだなと私は納得する。要はお祭りなんだ。いつもとちょっと違う装い、いつもと違う自分。そうやって心を奮い立たせて、想いを伝えるのだろう。



 それから私たちは他愛のない話に笑い、甘いお菓子を楽しんだ。多分これは本来のバレンタインデーとは関係のない集まりだと思うけれど、そんなことはもうどうでもいい。


 こういった場所に誘ってくれる友人がいるのだから、それをまず喜ぼう。私はそう思った。







 年明けからずっと、私はイガラシと共に下校することにしている。


 席が隣だということもあるし、彼女が貸してくれる本がとても面白くて、その話もしたいからだ。私の過去について何も詮索してこないのも有り難い。


 「しかしこの本はちと難しい」

 「そう?」


 彼女が貸してくれた、恋愛小説というものはなかなかに難解なものだった。惹かれる?恋に落ちる?焦がれる?知識としては知っていても。それを実感したことがないのだからどうにもならない。


 「例えばイガラシは、男の子を見てキュンキュンすることはあるのか?」

 「うーん、最近はないかな」

 「ということは、昔はしたと」

 「そうだね、昔はそういうことあったな」


 イガラシは遠い目をする。何か懐かしんでいるようだ。


 「それは恋だったのか?」

 「たぶんそうかも」

 「そうか。私はそういうの、したことがないからよく判らないんだ」


 工作員として育てられた施設に、同年代の男の子もいた。異星人だったけど。

 でもそういった子と個人的な接触はなかったし、手と手が触れ合って電気がビリビリなんていうこともなかった。それは電撃トラップなんじゃないか?


 「でもアリサは男子に人気あるんだよ?」


 イガラシの声には羨望が含まれている。


 「そうなのか?」

 「みんな必死にアピールしてるよ。今日も、チョコ貰えないかって期待してる子いっぱいいたし」

 「食べ物は自分の小遣いで買うべきだろう」

 「いや、そうじゃなくて」


 イガラシは私に、バレンタインデーがどういうものかを丁寧に説明してくれた。


 「つまり、私の愛が欲しかったのか」

 「そゆこと」

 「イガラシは誰かにあげなかったのか?」

 「うん、今は好きな人いないから」

 「なるほど、義務ではないのか」

 「義務だったら大変」


 くすくすと笑うイガラシ。確かに、安くはない出費を強いられたらたまったものではない。


 「しかし男は待ってるだけか、自分から動こうとはしないのだな?」

 「海外では、特にどっちからって決まってはいないみたい。日本に入って来た時に変わったって聞いたよ」

 「そこは変えたらいけない部分だったんじゃないか」

 「そうだね、その方が盛り上がったかもね」


 地球の文化というものは難しいな。ダグラモナスの軍人が呟いていた言葉を、私は思い出していた。


 私とイガラシはしばらく談笑の後、別れて帰宅した。二月はまだ寒い。こんな季節には、熱く愛でも語らないとやってられないということなんだろうか。


 クリスマスブーツのお菓子ももう底を尽く。むしろ私の方がチョコをもらいたいくらいだというのに。バレンタインデーを日本に広めたという菓子メーカーを、私は心の中で呪った。





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