第27話 十年ロマンス
「日本人って、なんでも恋人のイベントにしちゃうのね」
スマホでバレンタインデーを調べていたセフィアが、そう漏らす。弱々しい陽光の差す教室には人影もまばらだ。
「そうなんだ。だからモテない男は肩身が狭いんだよ。女の子にも、企業にも相手にされないっていうのは結構きつい」
「海外だとチョコじゃなくてもいいみたいだよ」
「土用のうなぎみたいなもんだからな」
「ちなみにレイジは今まで、女の子にチョコもらったことあるの?」
無邪気にされたくない質問である。
「ないです」
「よしよし、偉いよレイジ。あたしのために、純潔を守り抜いてくれたんだね」
「別にそういうわけではないけど」
まあなんていうんですかね。早ければ小学校低学年から、女子がその手の話題で盛り上がっていたらしいんですけど、僕はと言えばカブトムシやカマキリなんかに夢中だったり、ラジコンやプラモデルに散財したり、アニメやまんがに傾倒して今に至るわけで。
でも中学生になったあたりで、どんな鈍感な男子だってそういった空気やムードに気づくわけです。気づいて、でも自分がどうも対象から外れているらしいと知った時のあの衝撃ね!あっこりゃダメだこりゃあかんと気づいてしまったら、もう極力見ないように過ごすしかないんですよ。
わざわざ卑屈になる必要はないけれど、色々と爪弾きにされるくらいなら最初から近寄らない。そうやって陰キャというものは完成していくんです。なろうと思ってなるものじゃない、気づいたらなっているんです。
「ちなみに、宇宙には似たような行事ってあるの?」
「あるよー。太陽神に恋人の心臓を捧げて、一族の繁栄を祈る儀式とか」
「なにそれこわい」
「二人で棺桶に入って、そのまま水深一万メートルの深海に沈むおまじないとか」
「死ぬじゃん」
「ロマンチックよね」
「どのへんがロマンなのか理解できぬ」
「あっ、これ敵に死の呪いをかける儀式だった」
呪いかよ!?
しょうもない話混ぜやがって、などと考えていると、高山瑠奈が取り巻きを引き連れて登場した。
「セフィアーん、何してるの?」
「バレンタインの下調べだよ。手作りチョコ作ろうと思って」
「へー頑張るねー」
「せっかくのイベントだからね!色々やっときたいの。これでレイジもドロドロよ」
「メロメロでしょ」
そういや高山はチョコ渡す相手なんているんだろうか。義理チョコばら撒くタイプではないし、どちらかと言うと逆に貰う側な気もする。
「ねえねえ、今度またカラオケ行こうよセフィアん。金曜とか」
「いいよー、いいけどさ」
ちらり、と僕を見るセフィア。
「レイジも連れてっていい?」
「えー……んー、アニソン禁止ならいいよ」
「ぐはっ」
そもそも歌える歌なんて限られているのに、アニソンまで禁止されたらもう般若心経くらいしか歌えないよ!歌じゃないけど!
「女子だけで行ったらいいじゃないか、前もそうだったろ?男には聞かせられない話だってあるだろうし」
「レイジとデュエットしたいしたいしたい」
「だったら今度二人で行くよ行きますよ」
「みんなに聞かせたいたいたいたい」
ただっ子モードに入るセフィア。僕の歌なんか聞きたがる奴がいるとは思えん。思えんのだけど。
「……しょうがないな」
「やたっ」
ガッツポーズではしゃぐセフィアに苦笑しながら、僕は言う。
「宇宙なんとかじゃなければ、選曲は任せるよ」
「ほんと!?じゃあ帰ったらさっそく練習しようね」
言ってからしまったと思った。こいつ最近、地球の懐メロばっかり聴いてる。
「あんまり古いのは勘弁してくれよ」
「ふひひ、だいじょぶだいじょぶ任せてよ。かっこいいの知ってるから」
ということで、数日後のカラオケに向けてデュエット曲を仕込まれることになる僕だった。
「あんたもつらい立場よね」
「ん?」
次の休み時間、一人でぼーっとしているあいつに、私こと高山瑠奈はあえて話しかけてみた。想定外だったらしく、滅茶苦茶キョドっている。
「奥さんに付き合って色々しなきゃならないってこと」
「だって、やりたいって言うならやらせてあげたいだろ」
「断らないの?」
「本当に嫌な事は全部断ってるよ」
本当かな?いつもなんだかんだで押し切られている場面ばかり見せられている気がするけれど。
「でもあんなに楽しそうにされたら、無下には断れないこともあるじゃん」
「ふーん」
「あいつは基本世話焼きだから、色んな話を持ち込んでは来る。拒む理由がないのなら受け入れるってだけ」
まじまじと見つめると、居心地が悪そうにそわそわする。陰キャのこういう所って、なぜか腹が立つんだよね。常に被害者側みたいな。
「無理はしてないんだ?」
「必要なら多少の無理はするよ。でも多少で済むならそれでいいじゃないか」
「そこ、よく判んないな」
私は首をかしげる。
「つまり、あいつは基本的に『僕と何かしたい』で動くんだよ。だから、たぶん僕ならできるって範囲でやることを選んでる。問題がないなら、付き合うのは当然じゃないか」
「そこで当然という言葉が出てくる。長戸、あんた一体何者?」
「え?」
今一つ理解が出来ない。なぜ望みを叶えることが、意に沿うことが当然と言い切れるんだろう。自分というものはないんだろうか?
「相手に合わせるのが当然なの?」
「いや別に、何もかも合わせてるわけじゃないよ」
「でも見る限り、ほぼ無条件に受け入れてるじゃん」
「そうでもないよ、ちゃんと断ることもある。カレーを超激辛にしてみたいとか、風呂を花だらけにしたいとか」
ああ、あの子なら言いそうだなと私は思う。
「でもそれってさ、譲歩じゃないの?」
「譲歩?」
「そう。地球を守って貰ってるっていう、負い目から無理をしてる」
「うーん」
長戸は腕を組む。
「そりゃ、最初のうちはそんな気持ちもあったよ。何せ、政府与党の偉い爺さんから直々に脅されたからね。あいつの機嫌を損ねたら大変なことになりそうだ、なんて思ってたよ」
「今は違うの?」
「まあ実際付き合ってみたら悪い奴じゃなかったし、こっちの常識に疎いところはあっても非常識な人間じゃなかった。なにより可愛い女の子だったしな、それならそれでまあいっか、みたいな」
「つまり、少なくとも今の長戸は自分の意思であの子と一緒にいるわけね」
「そうだ、その通り」
「だからワガママも許容する」
「そういうこと」
やっぱり納得できない。
「例えばあんたってさ、あの子に命令して自分の意のままに動かしたい、とかって考えないの?」
「なんで?」
「なんで、って」
「だって、あの性格から発想から全てが彼女の魅力だとしたら、それを殺すだけじゃないか。したいように、やりたいようにっていうのは、そんなに変かな」
私は黙ってしまった。黙らざるを得なかった。
「あのー、高山さん?どした?」
「なるほど、そういうことね。兄貴のあれも、そういうことかな」
「んん?」
「いいのいいの、こっちのこと」
と、そこにセフィアがお茶のペットボトルを二本抱えて戻って来た。学食のとこの自販機で買って来たらしい。
「はいレイジ」
「ありがと」
長戸はペットボトルを受け取って礼を言った。そしてそのまま脇へ置き、飲もうとはしない。厚意に対して礼を言い、拒絶はしなかった。いらないよ、喉乾いてないよとは言わず、ごく自然に受け取った。だが飲みはしない。
そして渡したセフィアの方も、飲もうとしない長戸に対して特にリアクションがない。受け取ってくれたこと、礼を言われたことでその件は終わっている。
「よし長戸、アニソン禁止は撤回」
「えっ?」
「また後でねセフィアん、いい旦那で良かったわね」
「うん?」
私は笑って二人の元を離れる。これが唯一の正解でないにしろ、何らかの答えは受け取れた気がする。
「何?」
「さあ」
セフィアがペットボトルのキャップを外し、お茶を一口飲んだ。ごくり、と喉の鳴る音が聞こえたけれど、私はもう振り向かなかった。
「この歌にします」
「えっこれデュエットなの?」
「広義ではデュエットと言えましょう」
提示されたその歌、少なくとも僕は初めて聴く歌だった。
「ハモりとトッポのパートはあたしがやるから。ジュリーの方お願い」
「トッポってお菓子?ジュリーってネズミ?」
「トッポは加橋かつみでジュリーは沢田研二。知ってるでしょ?」
「知らないですよ……」
ここ最近、日本の懐メロにハマっているのは知っていたけれど……またシヴい選曲だ。
「何度も聴いて覚えてね。歌詞見なくても歌えるくらいがスタートラインよ」
「そこがスタートラインか!厳しいなおい」
「あたしはチョコ作る練習しながらなんだからね!これくらいで弱音を吐かないの」
ステンレスのボウルを抱えて何やらカシャカシャしながら言うセフィア。まあ仕方ない、のかな?
「でもさ、そのチョコの試作品も結局僕が全部食べてるのって、なんか違ってる気がする」
「そう?試作品でも愛を込めてるんだから、全部レイジが食べて当然でしょ」
「でもあと一週間くらい、おやつが毎日チョコってのはきつい。ニキビ出来ちゃう」
「宇宙にはいくらでもいい薬があるわよ。そんなことより、歌を聴き込む所から始めて始めて!」
そんなわけで、僕らは古いけどカッコいい歌の練習をするのだった。Once upon a time……
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