第26話 修学旅行に行こう(下)

二日目である。


 歴史の重みを実感する。僕は熱い湯に身を横たえて、かつてこの地方に君臨した戦国武将のことを思い浮かべた。戦傷のたびにここで湯治をしたという話は有名で、その名にちなんだ漬物やお菓子などの土産物は、それこそ星の数だけある。


 ああ、極楽。


 少し肌にぴりぴり来る泉質、これがまたたまらない。平日の午前中だから、他に人もいなくて大浴場はとても静かだ。ここは時間帯で男湯と女湯が入れ替わるシステムなので、この大浴場が男湯になるタイミングをわざわざ調べて来たのですよ。



 静けさや 肌に沁み入る 湯の温み  ……なんちゃって。



 教師の大半が二日酔いだし、まさかここまで来ることはないだろう。まさに命の洗濯。たまらない充実感。


 昨日の反省もあり、今日は最後に温泉の湯ではなく通常の沸かし湯を浴びて上がることにした。少しでも匂いを薄くする工夫である。って、なんでこそこそしてるんだろ僕。





 「だいたい滑れるようになった!」


 お昼のカレーライスをのんびりと食べながら、セフィアが満面の笑顔でそう告げて来た。ホテルに戻って昼食、そして午後からは全員自由行動の時間である。夕食後にはナイタースキーの時間もある。ある意味、ここからを本番であると捉えている人間は非常に多い。



 セフィアもその一人であることは、言うまでもない。



 「だいたい?」

 「うん。曲がれるし止まれるし。先生からも合格貰ったよ。免許皆伝でござる」

 「おお、そりゃ頑張ったな。御立派にこざる」

 「褒めて褒めて、撫でて撫でて。卒業祝いのちゅーは後でして。今だとカレー味になっちゃうわ」


 差し出される頭をかいぐりかいぐり。まあ頑張ったというのならこれくらいはね。


 「昼からあんまり飛ばすと、ナイターで滑る体力なくなるよ。もう結構疲れてるんじゃないか?」

 「あっ、そうね」


 スプーンをくわえたまま、セフィアは考え出す。


 「そしたら午後は少しゆっくりしようかな。二人でお茶とかどう?」

 「そうだね、少し休もう」

 「なんかレイジ優しい……これがゲレンデマジック?」

 「ここは大広間です」


 よく見たら、周囲の女子はメイクに気合いが入っている。ナチュラルメイクで通す高山瑠奈が逆に目立つくらいだ。午後からの自由時間、そしてナイタースキーに色々と賭けているのだろう。戦果が挙がるかは神のみぞ知ると言ったところか。


 そして担任の木下女史も、かなーり化粧に気合いを入れている。


 木下女史は結構な美人なので、近隣校の教員からも人気があるらしいという話は伝え聞く。けれど彼氏が出来たという話は聞いたことがない。若い男の教員は我が校にもいるんだけど、そのへんとひっつく気配もない。


 ま、大人には大人の事情があるんだろう。僕がそんなことを考えていると、セフィアが福神漬をぽりぽり食べながら言う。


 「ねね、雪だるまとか、かまくらとかも作りたい」

 「ここの雪質だと難しいよ。水気が少なくて固まらないから」

 「なーんだ残念。かまくらデートとか考えてたのに」

 「なんだそれ?」

 「大仏とか文学館とか作るんでしょ」

 「それは鎌倉違い」

 「〽エノデンー坊やがー未来と遊ぶー」

 「食事中に歌わない。あとそれ歌詞間違ってる」


 色々調べる割にピントを外すセフィアに僕は苦笑する。出来る限りは希望を叶えてやりたいと思うけどね。


 「アリサさんは午後どうするの?」

 「マリサさん、一緒に滑らない?」

 「クラリッサさんー」


 おお、あの三つ子の周りに人だかりが出来ている。うちのクラスの奴だけじゃなく、他のクラスの男子に女子まで混ざってすごい人気だ。僕は連中の関係者というわけじゃないけれど、輪から外されていない姿を見れば安心もする。


 「セフィアん午後は……長戸と一緒か」


 話しかけて来た高山瑠奈のテンションが、途中から下がった。


 「えへへごめんねルナ。うちの人ずっと放置しちゃったから、構ってあげないと」

 「じゃあさ、夜は女子会ね」

 「ナイターの後ならいいよ」

 「Bの部屋でやるから、お菓子とジュース持って集合」

 「りょーかいー」


 大広間からどんどん人が去って行く、セフィアがのんびりとカレーライスを食べているので、僕ものんびり水を飲む。


 ん?奥歯のところに何か挟まってる気配がする。


 「はい」

 「ありがと」


 セフィアがつまようじの容器を差し出してくれたので、僕は一本つまんで口元を隠し、歯をせせる。すっきりしたので水を口に含む。僕の分も、セフィアの分ももう残り少ないので、テーブルの上の薬缶やかんから二人のコップに水を注ぐ。


 「ありがと」

 「……なによあんたら、その阿吽の呼吸。ベテラン夫婦みたい」


 いつの間に戻って来たのか、高山瑠奈が僕とセフィアをジト目で見ていた。


 「あはは、見られてたか。照れるね」

 「なんだよ高山、もう行ったんじゃないのかよ」

 「ロビー混んでるから戻ってきたの。でも長戸、あんた最初あれだけ嫌がってたのに、すごい変わり様よね?」

 「まあそりゃ、いきなり変な設定でグイグイ来られたら拒絶の一つもするだろ。でもさあ、実際に宇宙戦争見ちゃったら、もうどうにもならんよ」

 「そう言えば私たちって、ニュース以外にはそういうの全然見たことないわ」


 僕はほぼ毎回戦艦のブリッジに飛んでるけど、一般の人がどう説明されているのかなんて、気にしたことはなかった。どうも詳細までは報道されていないっぽい。


 「ねね、セフィアんとこの星にイケメンっていないの?」

 「イケメン?……アルス従兄にいちゃんは昔から結構カッコいいってあちこちで言われてるよ、ほら」


 セフィアがスマホになにやら写真を表示させて、高山に差し出した。


 「なにこれイケメン集団じゃん!」

 「うん、迎撃艦隊γの集合写真だよ。この真ん中の、茶色い髪のがアルス従兄ちゃん」


 僕もつい覗き込む。おお確かに美形揃いだ。様々なタイプのイケメンが並んでいて、まるで見本市のような写真である。セフィアの言うイトコは、若干ワイルド系なイケメンであった。


 「なにこれなにこれ、セフィアんの星の人ってみんなこんななの!?」

 「うん、だいたいこうだよ」

 「えー見せて見せて」


 クラスの女子がどんどん集まってくる。お前ら、お昼を食べ終わって出て行ったんじゃないのか?


 「わーすごい!」

 「かっこいい!」

 「あはは、γ艦隊大人気だ。γは男だけの艦隊なんだよ」


 セフィアもにこにこしている。まあ身内を褒められれば悪い気はしないだろう。


 「あたしね、昔はアルス従兄ちゃんのお嫁さんになりたかったんだよ」


 はっとした。胸のどこかがずきん、と痛んだ気がしたけれど、僕はそれを表には出さない。


 「幼稚園の時の話。それにうちの星はイトコ婚禁止だから。お父ちゃんと結婚するー、みたいなノリだよ」

 「なるほど」


 まあそういうこともあるだろう。頭で納得していても、昔の話だと判っていても、胸の内がもやもやする。これは嫉妬だ。嫌だな、こういうの。


 「セフィアんー、今度紹介してよー」

 「あたしこの右下の人がいい!」

 「私は左上のこの人」

 「あたしはこの最前列の茶髪がいいな。可愛すぎる」



 うわっと、いつの間にか木下女史まで参戦している!



 「これはあたしのイトコですよ先生。でも、この地球の人とはまだ接触が許可されてないから、紹介は駄目なの」

 「えー?」

 「正式に宇宙連合と国交がない星の住人とは、私人としての交流が禁止されてるんですよ。色々と条約結んでからでないと、文化侵略とか摩擦とか色々あるので」


 セフィアの言葉に、盛り上がっていた女子たちのテンションが一気に下がって行く。面白いくらいに下がっているけれど、笑ったら殺されるので笑わない。


 「あと、アルス従兄ちゃんはうちのお姉ちゃんが片付かない限り、彼女作らないって言ってたなぁ。従兄ちゃんのとこは分家だから、何か色々あるみたい」

 「とほほ、絵に描いたイケメンかぁ」


 木下女史の言葉に、あまりにも実感が籠っていたので周囲の女子たちはもちろんの事、僕まで俯かざるを得ない。三々五々、意気消沈して解散していく。


 戻って来たスマホをポケットにしまって、セフィアはにっこりと微笑んだ。


 「ごちそうさまでした。お待たせレイジ、さあ行こ!」





 夕食後に、わざわざもう一度ゲレンデに行こうという好き者は少ない。


 午後からの自由時間ではしゃぎ過ぎて、体力を使い果たす者。そもそもスキーに対してそこまで情熱を燃やせるほどに興味を持てなかった者。ただ一人、求道者のように滑ることに飽きた者。


 なのでナイタースキーの時間はリフトの待ち行列もほとんどないし、カクテル光線に浮かぶ人影も少ない。


 「んっふっふー」


 上機嫌で僕の右腕にしがみつくセフィア。ペアリフトも、待ち行列はゼロだ。


 「午後ゆっくりして正解だったね。人ほとんどいないよ」

 「スキーは案外疲れるからね」

 「少し滑ったらコーヒー飲もうよ」

 「いいね、熱いやつ」


 無邪気にはしゃぐセフィアと僕は、人気の絶えたゲレンデを数回滑り降りる。白銀の中で見る彼女は確かに通常よりマシマシで可愛く見えて……いいじゃん、たまにはこういうのも。


 冷たい空気の底を割いて滑ってから、麓のロッジのデッキで熱いコーヒーを頂く。ミルクも砂糖もたっぷりだ。


 「ねえレイジ」

 「うん」

 「あたし知ってるよ」


 一瞬、あのホテルあの旅館……温泉の湯船が脳裏を過ぎる。いや、これは別に悪い事じゃない。こっそり内緒で行ったけど、これは趣味の範囲だ。


 ことり、と紙コップをテーブルに置いて、セフィアは微笑む。


 「お昼に従兄ちゃんの話をした時、妬いてくれたでしょ」


 どきり、とした。図星を突かれた。隠し通したと思っていたけれど、見抜かれていた。


 「でもちょっと嬉しかったな、レイジが妬いてくれるのなんて初めてだもん」

 「いや、まあ、その」

 「子供の頃の話だし、別にする必要もなかったんだけどさ。レイジがどう反応するのかなって思って、わざと話したの。そこはごめんね」


 僕の右手をセフィアが取る。


 「でも嬉しい。レイジの気持ちがあたしに向いてるって、実感できたから」

 「参ったな」


 あんなに小さな心のさざ波をも見抜かれるなんて、どこまでこの子は僕を見ているんだろう。


 「でもね、今はレイジ一筋だから安心してね」

 「うん」

 「で」

 「で?」


 セフィアの目が座っている。


 「レイジの初恋は誰?もちろんあたしだよね?正直に答えなさいね?」


 なんでそうなるの?






 三日目の午前中も、締めくくりという意味でスキーだった。とは言え基本は自由行動なので、各自部屋でのんびりしたり売店でおみやげを買ったり、ロビーでお茶したりと様々な姿が見られた。


 僕もセフィアももう十分に滑りを楽しんだので、ロビーの椅子に座ってのんびりしていた。お土産を買って帰る相手もいないし、気楽なもんだ。


 「うーす」


 両手に箱の詰まったビニール袋を提げて、吉村がやってきた。お土産買い過ぎじゃなかろうか。


 「すごいお土産だな?」

 「ああ、うちの分と海賊の分」

 「あそこ人多いもんね」

 「みんな好みがうるさいんだよ。面倒だから適当に選んだ」


 かっかっか、と笑う吉村。うまいこと付き合えているようで、こっちまで笑えてくる。


 「そういや、艦隊のみんなには買わなくていいの?」

 「ん?うちの艦隊、千人以上いるから買わないよ。虚礼廃止しないとえらいことになるし、パワハラって言われかねないから」

 「あ、そんななのか」


 千人規模か。そりゃお土産なんて買ってられないわ。上司が買ってきたら、部下に対して変なプレッシャーをかける事になりそうだし。


 「じゃあ俺は宅急便の手続きしてくるわ」

 「いってらー」


 吉村はフロント脇の特設カウンターへと歩いて行った。かさばる荷物は、送ってしまうのが楽でいいですよね。てか、普通はそんなに買わないと思うけど。


 「まあでも楽しい旅行でした」

 「家に帰るまでが修学旅行です」

 「あはは」





 帰りの新幹線は静かだった。大体みんなくたびれて眠っている。いつもの電車とは違い、ゆったり揺れて走る新幹線は、疲れた体を簡単に眠りの国へと誘うのだ。


 トイレに席を立った時にちらりと見た教師陣も、大体夢の中だった。一人目の座った木下女史が缶ビールを飲んでいたけれど、僕は見て見ぬ振りをした。勤務中のはずなんだけどな……


 席に戻ると、半分寝ているセフィアがむにゃむにゃ言いながらひっついてきた。あと一時間弱で終わる修学旅行。週末を挟んで、月曜からはまた通常授業だ。



 ほんと、もう星雲人なんて来なくていいのに。


 僕も目を閉じ、しばし微睡むことにした。





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