第19話 冬の日
「セフィア―ん、帰りにカラオケ行かないー?」
帰りのSHR終了後、高山瑠奈がそうセフィアを誘いに来た。ちょっと逡巡するセフィア。僕の方をちらちら見ている。
「行っておいでよ、遠慮せずに」
「いいの?あたしが一人で他の子と遊びに行って、レイジは寂しくない?泣いちゃわない?」
「いやいや僕は幼児かよ。泣くわけないだろ」
「泣いて寂しがって欲しいなー。そしてそんなレイジを抱きしめて言うのよ、大丈夫、あたしはずっとここにいるよって」
「公共の場で願望を駄々洩れさせるのはやめなさい。それはともかく、せっかく誘ってもらったんだから、楽しんでおいで」
僕がそう言うと、彼女の表情がぱっと明るくなった。
「うん、じゃあ行く!」
ま、友達との交流だって必要だろう。セフィアは飛び級で色々と卒業してるっていうから、同年代の友達と過ごす時間って貴重だろうし。
ていうか別に、僕は厳格な保護者でも束縛のきつい恋人でもないんだから、友達と遊びたければ自由に遊んだらいいんですよ。
「あっでも今日、あたし晩御飯の当番だった」
「やっとくよ。心配するなって」
「うっわー長戸何それ、理解ある夫ムーブ?」
「うっせ」
ああ、家事当番を気にしてたのか、と僕は納得する。そして、そういった部分を高山の取り巻きにからかわれても、いなすだけの余裕が最近は出て来た。
「キャベツがそろそろ古くなるから使っちゃってね」
「あいよ。晩飯は帰って食うんだろ?」
「うん、そうする。デザート何か買って帰るね」
「はいな」
「完全に夫婦じゃん」
高山瑠奈が引いている。そんなこと言われてもな、二人きりの生活が半年以上も続けばこんなもんじゃないのか?特に僕が流されやすいってわけじゃないと思うんだが。
「じゃねレイジ、いってきまーす」
「いってらっさい」
「奥さんお借りします」」
「お前らそんなんばっかりな」
手を振りながら高山たちと教室を出て行くセフィアが、去り際に投げキッスを寄越す。僕はもうそれを見ても動揺しない。ちょっとドキドキはしてるけど、表には出さないくらいの余裕はあるのだ。
ほんじゃ僕も帰りますかね。
僕はゆっくりと席を立つ。キャベツが残っているって言っても、あと1/3玉くらいだったはずだ。あれはざく切りにして電子レンジで蒸してポン酢で食うか。豆腐とワカメで味噌汁を作るとして、肉か魚のメインディッシュが必要だ。これはスーパーに寄って、特売の状況で考えればいいだろう。
既に教室の中は閑散としている。部活に燃える連中、予備校に通う連中はさっさと姿を消している。特に用もなく駄弁っている連中は数えるほどしかいない。
吉村も、チャイムと同時にすっ飛んでった。また海賊船からの呼び出しだろう。
ああ、なんかすごく久しぶりに一人だ。
昇降口。下駄箱で靴を履き替える。ここでもう空気が寒くなっている。もう冬だもんな。下校する生徒のピークは外しているので、人影はまばらだ。こんなに寒くなっているというのに、運動部はグラウンドを走り回っている。まあ好きでやってんだろうから何も言うまい。
校門を出て、てくてくと坂を下る。しばらく進むと鉄道の踏切があり、ここを線路沿いに右へ曲がると駅がある。だが駅と駅前商店街には用がない。
踏切を渡ってなおも直進し、さらにしばらく歩くと目的のスーパーマーケットがある。十六時を過ぎるとタイムセールが始まるので、実に都合がいいのだ。
黄色いプラスチックの籠を手に、店内をうろつく。豚バラ焼肉用がお買い得となっているけれど、見た感じ殆ど脂身だ。これを焼いてキャベツと食うか?いやしかしこの脂身はどうだろう。セフィアは割となんでも食うし、とんかつもヒレよりロース派なのは判っている。これで米食ったらうまいだろうなー……一パックに六枚入ってるから一人三枚。量もちょうどいいくらいだ。
ええい、ままよ。
僕は豚バラ焼肉用を一パック籠に入れる。何事も試して見るべし。さっぱり食うためにオニオンスライスでも作っておこうか?玉ねぎはまだあったはずだ。
「レイジ・ナガトさんではありませんか?」
突然話しかけられて、僕は硬直した。えっ誰?
振り向くとそこには、固い笑顔でこちらを見ている連合軍人の姿があった。ああ、この人はこないだ見た人だ。虎の人。
「はい、そうですけど」
「ああ良かった。連合宇宙軍のティグレン中尉です」
「アリサとかの監視役の人ですよね」
「はい、そうです。セフィアリシス司令の旦那様と伺っておりましたので、一度ご挨拶しなければと思っておりました」
「いやまだ結婚してないんですけど」
周囲のおばちゃんたちが珍しいものを見るように歩いていく。確かに宇宙人は珍しかろう。
「旦那様も買い物ですか?」
「ああ、今日の夕飯を。中尉は?」
「私はお菓子を買いにです」
彼女の籠の中には、チョコレートやビスケット等がいくつも入っていた。
「あの三人に食べさせます」
「なるほど」
僕はアリサとマリサとクラリッサの顔を思い浮かべた。あいつら菓子なんて食うのか……いや、菓子くらい普通は食うよな、何考えてんだ僕は。
「どうですか、三人の様子は」
「えっ、監視してるんでしょ?」
三人が三人、揃って登校するようになっていた。そしてそれと時を同じくして、教室内に光学迷彩スーツを着た監視員が常駐していることを僕は知っている。気付いたんじゃなくて、教えられたんだけど。
「えっ、ご存知だったんですか?」
「いやまあ、その、知ってます」
実は、セフィアの警護として常に直属の特殊工作員が一人、教室に潜んでいる。その子がこっそり教えてくれたのだ、もう一人来ましたよと。
「さすがは旦那様です」
変な風に感心されているけれど、自分で見破ったわけじゃないんだよね。
「確かに、情報課から監視員が出ています。ですが、私には監視情報の共有はされていないんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。ですから、あの三人がうまくやれてるのか少し心配で」
同じ部署でも情報が共有されてないって、なんだろう。単なる縦割りってわけでもなさそうだ。
「まあ楽しそうにやってますよ。ただ、戻ってきていきなり期末テストなのでちょっと可哀想ですけどね」
「ああ、定期考査のタイミングだったんですね。まあ彼女たちについては、社会復帰訓練という意味での登校ですから、点数については最初から期待してません」
そりゃそうだ。そもそも宇宙人に日本史だとか古文だとかのテストを受けさせて、どうなるものでもないわけだし。
「楽しくやってるなら、良かった」
ほっとしたように微笑む中尉。優しい人なんだな。
「そうだ、旦那様」
「はい?」
いそいそと、なんかごついスマホを取り出す中尉。軍用なのかなこれ?
「基本的には私があの三人の生活を管理しています。何か気が付いたことがあればご連絡を頂きたいので、連絡先を交換させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいですよ」
僕もスマホを取り出して、互いに連絡先を登録し合った。機種変したおかげでスムーズだったけれど、これ普通の地球規格だったら無理だったよな……
「なるべく三人で固まらないようにとは言い聞かせてまして、あと周囲と無駄にぶつからないようにも言っていますけれど、何かありましたらすぐにご一報を」
「了解です。でも、大丈夫だと思いますよ」
三人は三人とも、それなりにクラスに受け入れられつつあるように思えた。だから、僕はそう言ったのだ。あれが男の三つ子だったらちょっと微妙だったかも知れないけれど、やっぱり美少女というのはものすごいアドバンテージだ。見た目がほとんど変わらない三人なのに、個別にファンがつき始めているのが面白い。
「ありがとうございます。そう言って頂けると安心します」
「じゃ、僕はこのへんで」
「はっ、それでは」
びしっ、と敬礼する中尉に苦笑を返して僕はその場を離れた。悪目立ちしたくないんだよー。
「ただいまー」
返事をする者がいないと判っていても、つい声に出してしまう。
まずは洗面所で手を洗い、うがいをする。そうしたら買って来たものを一度冷蔵庫に入れる。豚バラのパック、焼肉のたれ、豆腐、そして紙パックのオレンジジュース。これはセフィアが風呂上りに好んで飲むので常備している。
次に自室へ向かい、部屋義に着替える。制服はハンガーにかけてクローゼットへ。鞄は机の上に。
キッチンに戻り、夕食の仕込みを始める。まずは米と味噌汁の準備。そして豚バラ焼肉用のスチロールトレイを冷蔵庫から出して、ラップを少し剥がす。そこから買って来た焼肉のタレを少し注いで下味をつけておく。
少し黄色くなり始めたキャベツはやはり1/3くらいあったので、ざっと洗ってから芯を取り、適当な大きさにざく切りして電子レンジ対応のタッパーに入れておく。これは少し水を入れて電子レンジで加熱して蒸すのだ。
玉ねぎはひとつ皮を剥いて、スライサーで薄切りにして水に晒しておく。ほうれん草の胡麻和えは出来合いのお惣菜を買って来てあるので、後で小鉢に入れればいい。
まあこんなとこか。
時計を見ると、もうすぐ十八時になるといったところだった。スマホには特に着信もない。ただ一人、静かに流れる時間。既に窓の外は真っ暗だ。リビングのソファに座って、一心地つく、
んーっ、んーっ。
スマホが鳴動する。手に取ってメッセージを確認する。
【あたしセフィア】
なんだこれ?首をひねると、また新着メッセージが。
【あたしセフィア。今、あ な た の 後 ろ に い る の】
えっ。
と思った瞬間、何者かに後ろからがばっと抱きつかれた!!うわーなんだなんだ!?何が起きた何が起こった!?
振り向くと、そこにははち切れんばかりの笑顔を湛えた、セフィアがいた。
「うわっ!!」
「あはははは、たっだいまレイジ!一人で寂しかった!?」
「ばっ馬鹿、玄関から帰って来いよ!」
心底驚いた!!
「えへへ、びっくりした?」
「びっくりしたよもう!心臓止まったらどうしてくれるんだ!」
「ちゃんと復活再生したげるから安心して」
「いたずらの尻拭いを軍にさせるな!」
「んもー、そんなに怒らないでよ。ほんのジョークじゃない」
セフィアは僕に軽くキスをして、にっと笑う。全く、いつもこれで誤魔化すんだ。
「カラオケ楽しかった?」
洗面所に向かったセフィアの背に僕は問う。
「うん、楽しかったよ。スカッとするねーカラオケ」
「あれ、そういやお前地球の歌なんて歌えたっけ?何歌ったのさ」
「ふふふ、最近色々聴いて練習してるんだ。モモエ・ヤマグチは最高ね」
「また古いもの持ち出して来たな」
「〽馬鹿にしないでよ~ん」
リビングに戻ってきて、なんか変な振り付けで歌うセフィア。頭の上で手を開く。
「その振り付けはピンクレディーのUFOだ」
「あれ?」
僕はため息をついて立ち上がる。
「じゃ、ご飯にしようか」
米は炊けている。キャベツに電子レンジで火を通してから大きな平皿に盛る。豚バラ焼肉用をフライパンで焼いてその上に乗せ、フライパンに残った脂とタレもさっとかける。冷蔵庫からほうれん草の胡麻和えのパックを取り出して、小鉢二つに盛り分ける。
水に晒しておいたスライスオニオンは軽く握って水を切り、ほぐして肉の上に乗せる。温め直した味噌汁とご飯を用意して完成だ。
僕が準備している間に、セフィアは自室で部屋着に着替えて来た。その姿ももう見慣れて久しい。
「うわお、なんかすごい肉ね」
「スーパーで安かったから買ってみたんだけど、こういうの嫌いだった?」
「ううん大好き」
「なら良かった」
脂身ばかりの豚肉が不興を買わなくて良かった。僕は内心胸を撫で下ろす。
「キャベツが甘いね」
「熱を通すと甘みが増すんだ」
「これはご飯が進みます」
「おかわりする?」
「お願い」
セフィアの差し出す茶碗を受け取って、僕は席を立ちご飯をよそう。
「あーなんかいいなこういうの。ささやかな幸せっていうか」
茶碗を受け取ったセフィアがものすごくにやける。
「まあ、日常っていうのはそういうもんだ」
僕は味噌汁を一口飲む。すこし薄味にしてみたんだけれど、今日はおかずの味が濃いので丁度いい感じだ。豆腐の口当たりが優しい。
「そういや、デザート買ってくるんじゃなかったか?」
「うん、買おうと思ったけどさ。冷蔵庫にまだプリン残ってたの思い出したからやめた」
「あーそういやあったな」
プリンにしろ何にしろ、二で割り切れない小分けの食べ物は非常に困る。プリンやコーヒーゼリー。納豆とかヨーグルトなんかは三つ入りの場合が多いので、二パック買うことになる。そして複数回数同じものを食べるので、飽きるのだ。
だから「プリン残ってたの思い出した」なんていう事態も発生する。とほほ。
まあこんなのは我が家だけの話なのかも知れないけれど。
それから僕とセフィアは、カラオケがいかに楽しかったか、クラスメイトといかに交流したかについて話しながら食事を進めた。でもまあ最後には大抵こうなるのだ。
「やっぱりレイジとが一番」
「そっか」
空いた食器を片づけながら僕は答える。この無条件に思える愛と信頼に、僕はどこまで応えられているんだろうか。時々不安にもなるんだ。
二人でプリンを食べ、食事が終わる。セフィアはリビングのソファでくつろぎ、僕はさっと皿を洗い終えてから彼女の隣に座る。
「よし、では始めますか」
「何を?」
「弾劾裁判」
「え?」
セフィアの手には僕のスマホがある。指紋認証でしか外せないはずのロックが外されている。新たに追加された連絡先を表示させて、セフィアが静かに怒りの炎を燃やしている。
「誰これ。いつの間に、余所に女を作ったの?」
「いゃ、違う。それはほら、あの情報課の中尉さんで」
「あの泥棒猫か!」
「虎でしょ」
「キーくやしい、妻の不在に夫の不貞なんて!」
「スーパーで会って話をしただけだよ」
「待ち伏せしてたのねあの泥棒猫!」
「違うったら」
僕はセフィアをぎゅっと抱き締める。彼女が本気で言ってないことくらいは判ってる。多分彼女も不安なんだ、僕と同じように。そして彼女も不器用なんだ、僕とは違う方向て。
僕は彼女の背中をとん。とん、とゆっくりリズムを保って軽く叩く。セフィアの体からすっ、と強張りが抜けていくのが判る。
「例の三人の件で何かあったら、って連絡先を交換したんだ。それだけ」
「信じるわよ?あたし信じちゃうわよ?」
「信じて」
「……判った信じる。信じるけど」
「けど?」
拗ねたようにセフィアは言葉を継いだ。
「……もうしばらくこうしてて。今日は、レイジ分が足りないの」
「はいはい」
「はいは一度」
「はい」
彼女を胸に抱いたまま、その頭を撫でてやる。セフィアの体からさらに力が抜けていくのが判った。
しかし僕のスマホはなんでロック解除されていたのだろう。何か裏コマンドとか隠し機能でもあるんだろうか?
ちょっとこの宇宙デバイスに、疑いを持った瞬間であった。
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