第35話 美食家

「醜悪な顔をしていても、人型の魔獣は抵抗がありますわ……」

 剣を収めながら、セリスが浮かない顔で呟く。

 路上には息絶えた3匹のゴブリン。

 御者席と客席4座の小さな乗合馬車。客席に屋根はあるけど扉はない。

 乗客はセリスとニアともう一人。ボクはもちろん頭数に入ってない。

 その馬車を突然ゴブリンの群れが襲った。

 セリスの動きは迅速だった。飛び降りてあっという間に3匹を切り伏せたら、残りのゴブリンは逃げ出してしまった。

 ミヤノへの街道は整備されているとはいえ、山道。こうして魔獣が出ることもあり、こうして乗客が戦力になることもある。

「助かったよお客さん。頼りになるな」

「どういたしまして」

 ゴブリンから素材は取れない。一緒に飛び出していたニアに目配せしてセリスが馬車に戻ろうとすると、もう一人の乗客、気難しそうな初老の男性が降りてきた。

「失礼、そのゴブリンは捨て置くつもりかな」

「他の魔獣や動物が始末してくれますわ」

「ならばわしがいただいてもかまわんな? なに、時間は取らん」

 言うと彼は短剣を取り出し、首の取れかけたゴブリンの1匹に手をかけた。……いや、短剣じゃなくて包丁?

 首の切り口から頭にザクザクと包丁を入れたと思うと、何かを掴む。グジュリとイヤな音がして、ニュポンっと白い塊を引き抜いた。……セリスもニアも思わず目を逸らす。脳だ。

「……お主らはクッター伯の『魔獣食ノススメ』を知っているかね?」

 男性はゴブリンの脳を延髄から丁寧に切り離し、鞄に仕舞いながら問いかけた。

 ――食べるの!?

 ボクと同じ事を思ったのだろう、思わず顔を顰めたセリスとニアを尻目に彼は続ける。

「この鞄の魔法収納は特製でな。食材の鮮度が保てるようになっておる。……なに、人型の魔獣を食べることに忌避を感じるのは、素人には仕方のない事だ」

 いや、そこじゃないでしょ。そこもだけどさ。

「しかし、どんな魔獣も脳ミソはたいてい美味いのだよ。冒険者ではない我々では新鮮なものがなかなか手に入らんがね」

 そして鞄から流れる流水で手を洗う。その仕掛けも特製?

「わしはアシアム。食の道を探求する者だ。かの書物に記されたレシピの中でも伝説中の伝説と言われる魔獣、それがミヤノの街で目撃されたという噂を聞き、いても立ってもおられず、こうして向かっておる」

 ……ああ。

「お主らはミヤノの冒険者か? 先日目撃されたという妖精について何か知ってはおらぬか?」

 ……。

 ニアの胸に隠れてるボクは、思わずさらに息を殺す。

 セリスとニアが顔を見合わせる。

「……妖精を、食べると言うんですの?」

 そしてセリスが嫌悪感を露わにして聞き返した。

 ニアがアシアムを睨む目には殺意さえ宿っている。

 でも、アシアムはどこ吹く風で嘯く。

「かのクッター伯は、最期の眠りに就くとき、こう言い遺された。『食に捧げた我が生涯で忘れることの出来ない美味。再び妖精を食す機会がなかった事だけが心残りだ』と」

「……フェイは魔獣じゃない」

 ニアが低く抑揚を抑えて言う。

「おとぎ話はあくまでおとぎ話。この国の法律では妖精は魔獣である。魔獣であるならば食材である。――獣人が人とされていなかったなら、わしはお主を食うであろうよ」

 ――こいつ、正気じゃない。

 怒りと嫌悪でニアの毛が逆立つ。タワシのように膨らんだ尻尾が不機嫌に揺れる。

 セリスも険悪な空気を漂わせていた。

「旦那、その辺にしといてくだせえ。危険のある道中でやす、お嬢様方には感謝しねえと」

 雰囲気を察した御者が割って入った。

「ふむ、それは尤もだ。謝罪しよう、わしが悪かった」

 アシアムはあっさりと身を引いた。

 ――謝られてしまっては、受け入れざるを得ない。

「……」

 ニアはため息をひとつ吐いて、馬車の席に戻る。セリスも続いた。

「では、行きます」

 アシアムが席に戻ったところで御者が手綱を振り、馬車は再び走り出した。

 ボクは、ゴブリンを捌いたあの包丁が背筋に当てられてるような悪寒が拭えず、ニアの胸の柔毛にしがみ付くように埋もれて息をひそめていた。


 ◇ ◇ ◇


 夕刻。

 あれ以降は特に何事もなく、馬車はミヤノに到着した。

 馬車を降りた3人は南門をくぐる。

 冒険者証のあるニアとセリスはほとんど素通りで入境。

 アシアムは手続きに時間がかかってるけど、ボクたちは無視してさっさと先に行く。

(フェイ、大丈夫?)

 あいつの目からようやく逃れ、ニアが心配してくれる。

(怖かったよ、王宮より先にこっちのがヤバそうだよ……)


 ・ ・ ・


「組合に向かう前に、これをニアにあげますわ」

 セリスがポーションを手渡す。

「……これは?」

「非常用に持っていた上級ポーションです。わたくしの傷にこれを使ったことにして、代わりにニアがもらってくださいな」

 セリスはそう言って、布を巻いて防具の傷を隠しているお腹を撫でる。その損傷を見れば、致命傷を受けたことを隠しようがない。

「ポーションは、持っておくなり売るなり、ニアの好きにしてかまいません。フェイがいれば不要でしょうし」

「うん、ありがと」


 ◇ ◇ ◇


「セリスさん、よくご無事で。支部長室でお連れの方がお待ちですので同行願えますか。ニアちゃんもお願い……ホントに無事でよかった」

 組合に行ったら、イチもニもなくネケケさんが飛び出してきた。ニアを見る目は少し涙ぐんでる。


「お嬢様!」

 支部長室に入ったとたんに、ユーチェさんが駆け寄りセリスの前に跪く。

「この度は私の失態です。如何様にも罰してください」

「無事だったのですから不問でよろしいですわ。それよりニアに報酬を弾んでくださいな。ニアのおかげで命拾いしましたのよ」


 あの遺跡での出来事は隠し、東の魔境の奥深くに転移して脱出してきた事にしてダンデに説明する。

 セリスがニアの夜目と気配察知のおかげで無事に脱出できたと強調したおかげか、報酬は約束の10倍の500シル、つまり5ゴルももらう事になった。

 ひと通りの説明をして、ユーチェも一緒に退室する。

「まったく、お姫さまには肝が冷えたよ」

 その時のダンデの呟きにふと違和感。

 そういえば遺跡で襲ってきた男も、セリスを「お姫さま」って言ってたよね。

 ……ところで、なんで支部長のダンデに報告したんだろ? これってただの個別案件だよね?


 ◇ ◇ ◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る