第31話 治癒

「セリス! セリス!」

 ボクは倒れているセリスの顔に取り付いて頬を揺する。

 ニアが駆け寄ってきて、うつ伏せのセリスを横にして……

「――っ!」

 言葉を失う。

 動きやすさを重視したセリスの軽鎧は、お腹周りには装甲がなくて、革のコルセットだけ。

 ロアグリズリーの爪は、その革ごと、セリスの腹を引き裂いていた。

 内臓までかなりの損傷を受けてるのが……見えてる。

「……」

 ニアは無言でポーチからポーションを取り出し、力なく薄く開いたセリスの口に運ぶ。

 ――ダメだ、口に入れても流れ落ちるだけで飲む様子がない。

 次善の手として、残りを傷にかける。

 ――効いてる? 止血になってるかどうかも怪しい。

 駆け出し冒険者が買うような初級ポーションだもの。

 ボクは魔獣の方を見ると、近くに落ちてるニアの短剣に飛んだ。

 魔獣の気配はもう消えてる。息絶えたみたい。

 セリスは意識はないけど気配はまだしっかりしてる。

 でも、あの傷は致命傷。このままじゃ死んじゃう。

 ボクはニアの短剣の刃に腕を当て、目をぎゅっとつむって、歯を食いしばって――

「――つっ!」

 思いっきり引いた。

 ボタタタタ……

 切った傷を押さえた手の間から、一瞬の間をおいて、温かい鮮血が流れ落ちる。

 ――き、切りすぎた?

 とにかく、ボクの血は強い治癒効果があるはず。

 ニアとセリスのところに戻って、意識のないセリスの口に血が流れる腕を突っ込む。

「セリス、飲んで……お願い」

 切った腕を肩まで入れて温かい舌に血を擦りつける。

 肩にセリスの歯が当たってる。

 セリスの呼吸を身体で感じる。

「……動いた!」

 セリスの口が、舌が動いて、ボクの腕をしゃぶる。

 巨大な舌がボクの腕を上顎に押し付ける。

「いつっ」

 腕の傷がズキンと疼く。

 意識が戻ったのかと目の前のセリスの顔を見上げたけど、そうじゃないみたい。

 柔らかくうねる舌で腕をがっちり押さえ込まれたまま、唇が閉じてボクの胸と背中を挟む。

 巨大な歯が肩に食い込んだ。

「あだだだだ……セリス、痛い! 噛まないで! ギブ! ギブ!」

 ボクは必死にもう片方の手でセリスの唇を叩く。

 セリスは口はをもごもご動かして、ボクの肩口を嚙みながら腕をしゃぶり上げ、ゴクリと喉を鳴らした。

「フェイ、すごい! 傷が治ってく! ……話に聞いた上級ポーションみたい!」

 ニアがセリスの傷を見ながら歓喜の声を上げる。

「いだだだ……き、効き目が出てるなら、助けて……」

「いま治ってるから我慢!」

「そんな……あだだだだだ……うわぷっ」

 歯が肩から離れたと思ったら、上半身を吸い込まれた。

 唇が腰を挟み込んで、お腹と背中にまた歯が食い込む。

 舌がボクを上顎に強く押し付けながら、器用にうねってボクの胸から顔を舐めまわす。

 また、ゴクリと喉が鳴った。

 喉奥が窄まるようにして伸びた腕が引き込まれる。

 待って、やめて、呑まれる、怖い、怖いって! ニア! 助けて!

 圧迫されて声が出ない。外に出てる足をじたばたさせて必死に訴える。

 また歯が開いて、舌がボクの身体を奥に運び、喉が窄まって奥に引き込まれ――


 ガシッ


 足を掴まれ、引き戻された。ニアが掴んでくれたみたい。

 た、助かった――死ぬかと、死ぬかと思った。

 ――あれ? でも、引き抜いてくれないの?

 ニアの手はしっかりとボクの両脚を掴んだままだけど、また腰までのところで止められた。

 巨大な舌にいいように弄ばれる。

 ううう、血を飲んだなら、もう舐めてる必要はないと思うんだけどぉ……


 ・ ・ ・


「……ん……う……」

 あのまま30分くらい経ったろうか。 

 喉奥からセリスの声。

 気が付いた?


 ぬちゅん


 ニアが、やっと、ボクをセリスの口から引き出してくれた。

「……ふえええええ」

 ニアの掌の上にへたり込んで、情けないため息をつく。

 ううう、全身涎まみれだよ……

 ボクの腕の傷ももう塞がってた。

 つまり、やっぱりボクを舐めてる意味って……


 セリスのお腹の傷に目をやると、大事ない程度にはもう塞がっていた。

 ――よかった。


「セリス」

 ニアが声をかける。

「……う……ニア……はっ、魔獣は?」

 セリスが身を起こす。

「大丈夫、セリスが斃した。それより……身体は? 痛くない?」

「……っ!?」

 セリスは自分のお腹に手を当て、引き裂かれた血だらけの防具に驚いて、傷に目を落とす。

「……あら? 傷は……傷がありませんわ。ポーションですの?」

「ううん、フェイが治した」

 ニアがボクを差し出す。

「フェイ、治癒魔法が使えますの? ありがと……えっ」

 セリスはボクを撫でようとして、ベトベトに気付いて手を止めた。

 ニアがふるふると首を振る。

「あ、あの、もしかして……」

「……」

 ボクは半目で上目遣いにセリスを睨む。

「もしかして……この味……ああ、これが……」

 セリスは口に手を当て、納得顔で口をモゴモゴする。

 あの口に、さっきまで……

 でも、セリス、ボクの「薬効」や「味」の話を知ってる?


「まだ少し違和感はありますけど、なんていうか……傷痕が温かくて、だんだん治ってるのがわかりますわ」

 セリスがお腹を撫でながら言う。

「ふーん」

 ニアがセリスの膝に手をついて、お腹に顔を近付けて傷を覗き込む。

 ボクもニアも、ボクの血で酷い傷を治した事はあるけど、治る様子を見るのは初めて。

 セリスは少し恥ずかしそうに頬を赤らめると、すっくと立ち上がった。

 ニアが目で追って見上げる。

 セリスは魔獣の死体に歩み寄り、胸に突き立った剣を掴んで引き抜いた。剣に付いた血を魔獣の毛皮で拭う。

「ロアグリズリーの素材は惜しいですが、他の魔獣が死体を見つける前に移動しましょう。囮にもなりますわ」

「ん、そだね」

 ニアも立ち上がる。

「そうしよう」

 ボクもニアの肩に移動する。

 ……身体が乾いてカピカピになってきた。


 ◇ ◇ ◇

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