第6話 蛸

 ガチャガチャ、ガシャン……ギィィィ……

 錠前のかかったかんぬきを外し、厚い扉が開かれる。

 石壁に囲まれた地下室。湿気とカビの匂いを含んだ重い空気。あまり明るくはない灯りは、魔法灯のようだ。

 豚は肥満体を揺するように歩いて、ボクの檻をいくつかある台の中のひとつ、その上に置いた。

 日本で言うと広めのLDKくらいの部屋。そこには、様々な悍ましい器具が置かれ、壁にもいろいろな道具がぶら下がっていた。

 ボクを置いたこの台も、四肢と胴体、首を拘束するような位置に頑丈な皮ベルトが付いている。ボク用のサイズではない事に少しホッとしてしまう。

 部屋には、今閉められた入口の扉と、奥にもうひとつ、同じように錠前の下がったかんぬきで閉ざされた扉があった。

 豚が部屋のどこからか道具箱のようなものを持ってきて檻の横に置くと、蓋を開けて何かを取り出した。

「まずはその無粋な拘束を解いてやろう」

 豚が檻を開け、ボクを掴んで取り出す。

 ひいい、触るな豚あああ!

「ぐふ、ふふふふ……」

 豚がもう一方の手でボクの身体を撫でる。あまりの悍ましさに涙が流れる。

 豚がさっき箱から取り出した、一辺が開いた輪をボクの首に当てると、きゅっと閉まって首に装着された。

「妖精用の魔封首輪だ。ぐふふ、もちろん、いつ妖精が我が手に来てもいいように、当然準備してある。さあ、これでその拘束はもういいだろう」

 豚はボクを持ったまま壁に向かい、そこに掛かっていた大きなハサミを手に取ってボクにかざした。その刃渡りはボクの身長ほどもある。口端を吊り上げると、その切っ先をボクの胸に当てて大きく開いた。

 怖い、怖い、怖い!

 涙があふれ、ふるふると力なくかぶりを振る。豚はハサミの切っ先をボクの足元まで滑らせると、両足の間に差し込んだ。巨大な冷たい金属の刃が、縛られて動かせない太ももの間を上がってきて、股間に触れる。

 ジョキン!

 巨大なハサミが閉じられ、ボクを縛っていた縄が切り裂かれた。下半身の拘束が解かれて自由になったものの、脚は恐怖でがくがく震えて力が入らない。太ももの間を流れる温かいものが血ではないことがわかっても、涙は止まらなかった。

 冷たく無慈悲で巨大な金属が、今度はお腹から胸の間まで差し込まれてもう一度閉じ、ボクにもう一度恐怖を刻んで、縄は服ごと全て解かれた。次に、切っ先がボクの顔に当てられる。目を見開いて先端を凝視したまま、全身が強張る。最後に、頬に当てられた切っ先が耳元で猿ぐつわを切り落とし、ボクの身体は自由になった。自由にはなったけど、極度の緊張が解けた反動で、豚の手の中で動けないほどぐったりしていた。


 ・ ・ ・


「ぐふふ、お前はこれがわかるか?」

 豚は部屋の片隅の棚のような場所にボクを持ってきて、そこに置いてあるものを見るように促す。それは書架だった。開いた本を鑑賞できるように斜めになった棚板の上に、一冊の本が開いて置かれていた。

 え、これ、印刷? 現代のカラー印刷と同等なんじゃないの?

 そこに描かれているのは、写実的ルネサンス調みたいな煽情的な油絵。そして、それをグラビアにしたような本だった。

 描かれている全裸の成人女性、その背には二枚の羽があって……妖精? 艶めかしい表情を浮かべ、ぐったりとして人間の大きな手に握られ、その身体は白くどろりとした粘液にまみれている。

 ええー、こっちにもフィギュアぶっかけの文化が……?

 豚がページをめくる。

 無残に逆さ磔にされた妖精。その身体には赤いあざが幾筋も刻まれ、あろうことか、陰部には大きな鳥の羽根が何本も……。

 豚がページをめくる。

 妖艶なポーズの妖精。その裸体に纏わり付いているのは、蛸だ。妖精の胸や股間に触手を絡めている。

 そして、このページには文章も書かれている。

『ついに憧れの妖精フェイを捕まえた。満足させて連れて行こう』

『あれ、にくい蛸だ。ああ、なんてこと、ああ!』

 いやいやいや、ルネサンス絵画で北斎の春画やってんじゃないよ! しかも、この絵の妖精も『フェイ』? 妖精ってフェイしかいないの?

「ぐふ、ふふふ……どうした、顔が真っ赤ではないか。意味がわかるか、そうかそうか。お前もこんな風に虐めて欲しかろう?」

 それを聞いて一気に血の気が引いた。

「や……」

 あまりの提案に二の句が継げない。やめて! 頼むからやめて! そんな目に遭いたい奴がいるわけないだろ。

 豚の手から逃れようともがく。でも巨大な人間の力には到底勝てない。

「かひゅっ……」

 ぎゅっと強く握られ、胸を圧迫されて声が出ない。

 ボチャン

「わぷっ」

 豚は書架の横の大きな水槽にボクを放り込み、飛べないボクはそのまま水に落ちた。水面に顔を出して、水槽の隅に作られた陸地に這い上がる。上を見たけど、水槽の縁はボクには高く、ジャンプしても届きそうにない。

 まさかまさかまさか。水中に生き物の気配がある。当然、そのまさか、蛸だ。さっき水に落ちたせいで、ボクに気付いたみたい。蛸がこっちに動き出す。その意図が気配で伝わってくる。食う気満々なんだけど!?

「出して! ここから出して! 死ぬ! 殺される!」

 ガラスの向こうの豚に必死になって訴える。ガラスを挟んですぐそこにある豚の顔が愉悦に歪む。

「ぐふふふ、いい声で鳴くではないか」

「エロいこととかなんないから! あいつボクを食う気だから! 助けて! 出して! 頼む、お願……ぎゃあああ!!!」

 水中から伸びた蛸の触手が足首に巻き付いた。無数の吸盤が吸い付いて痛い! 蛸の方に引っ張られるのを、岩にしがみついて抵抗する。

「助けて! お願いいいい!」

 豚に懇願するほど、豚は顔を紅潮させて興奮してる。ダメだ、無駄だ。

 蛸はボクを引き込めないと見るや、次々と触手を伸ばし、太ももに、腰に、巻き付き吸い付く。

 そして、とうとう水中から蛸が姿を現した。で、デカい、頭だけでもボクより大きいよ。

 蛸は滑るように動いて、ボクに背後から覆いかぶさる。おおお、重い……。

 蛸は岩にしがみつくボクを引き剥がすように、太い触手の根本で包み込む。

 ぎゅううううううっ

 そしてボクの全身を揉みくちゃにして締め上げる。ぐううう、凄い力…………っ!

 そうだ。蛸の口って、頭に付いてるひょっとこみたいなとこじゃなくて、ホントは八本の足の真ん中にあって、捕らえた獲物を鋭い歯ですり潰すように食べるって話を思い出した。

 つまり、今のボクは捕らえられた獲物で、太ももに当たってる硬いものって……

 ブチチッ! ミチッ!

「いぎゃあああああああ!!! うぐぇ…………」

 激痛にあげた悲鳴が、全身を締め上げられて声にならなくなる。

 ブチミヂィ、ミヂゴリ、ゴリリッ! 

「…………っ!! …………~~ッ!!!」

 食われてる。太ももの肉が大きな口に噛み千切られてる……ああ、気が遠くなってきた……


 ・ ・ ・


「ぐふ、ふふふ……妖精と触手がくんずほぐれつ……ぐふふふ……うん、ん?」

 妖精が蛸の触手に全身を絡まれ、足先だけが見えていたが、蛸がぐりゅっと身じろぎした瞬間、触手の間から赤い色がこぼれて水に舞った。

 そこでようやく、ガフベデは異変に気付く。

「こら! 食うやつがあるか!」

 ガフベデが蛸を叱りつけるが、蛸がそんな事を聞くわけがない。慌てて水槽に手を突っ込んで蛸を掴み上げ、妖精を引きはがす。全身が吸盤の跡だらけになった妖精は、下半身を血に染めて気絶していた。蛸に食われた右足は、太ももから無残に千切れかけている。

「ポーション……ポーション……!」

 ガフベデはドタバタと慌てて棚から薬瓶を取り出し、妖精の千切れかけた足にぶっかける。妖精の身体がビクンと跳ねると、傷が回復し始めた。

「おお、生きておる生きておる。ヤバいところだったわ」


 ◇ ◇ ◇

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