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ドン・マラヴィラスの怪物 あるいはささやかなロマンス

【あらすじ】


 不名誉な理由で大学を退学となったルイは、伯母を頼って奇妙な人形館の手伝いを始めたものの、やる気のない芸人や浮浪者がたむろする屋敷に辟易していた。

 ある夜、ルイが暇つぶしに人形館に忍びこむと、魔法のように動き出す人形と、その隙間をよぎる影を目にする。影の正体は、素晴らしい人形劇を生み出す《怪物》だった──。


 夢(悪夢)のような館を舞台に紡がれる友情、あるいはロマンス。





【本編】


 さて、まだ人類が月に到達していなかった時代、シャンブローの街に一人の若者がやって来た。ルイという名の青年は大学で指導教官を誘惑・・したとして退学処分となったが、実際に言い寄ったのはハゲの教官の方で、ルイに拒絶された腹いせに嘘の報告をしたのだった。濃いブロンドと緑がかった青い目のひょろりとした彼は、顔のパーツがややガチャついているのを大目に見れば美男と呼べなくもなかったが、ろくな連中にもてた試しがなかった。

 ルイの両親は昨年船の事故で亡くなっており、彼には帰る場所がなかった。彼は父方の伯母を頼ってシャンブローの駅に降り立った──電車の旅は最悪で、ジャケットに隣の席にいたふくよかな女性客のコロンが染みついていたが、ともあれ、彼は誰も自分のことを知らない街に来たことにほっとしていた。

 シャンブローは中途半端な都市で、パステルカラーというより褪せた色味を持つ場所だった。色々な開発が始まっては頓挫しており、作りかけで飽きられたパズルのような印象を与える。人口は広さに対してやや少なく、だいたいの店は数ヶ月後に閉店になりそうな予感を与えつつ何年もやりくりしていた。


 中央駅(意外にも、この都市にはいくつかの駅があった)に彼を迎えに来るという伯母ヴィルジニー・ダヴァンのことは写真でしか知らず、見つけられるか不安だったが、そんな懸念は杞憂だったことが判明した。

 彼女は鮮やかな紫のドレスに身を包み、年齢とはちぐはぐな少女っぽい微笑みを浮かべていた。首から長い金のネックレスを幾重にも下げ、綺麗に編んだ黒髪に冗談みたいにでかい帽子をかぶせ、本物なら街一つ買えそうなほど大きな宝石が輝く指輪をはめた手でパラソルを握っていた。ルイを見つけた彼女はまるで街の女主人のような口ぶりで言った。


「シャンブローへようこそ、甥御ルイ!」


 早くも回れ右したい衝動に駆られながら、ルイは行った。


「ありがとう、ヴィルジニー伯母さん」


 伯母は薔薇色の唇でにっこりと笑いながら言った。


「ジジ伯母さんでいいわよ──あら、変わったコロンをつけてるのね」

「隣のマダムのが移ったんです」

「それは災難ね、五十年ものの女性用化粧室の臭いがするわ!」

「はあ」


 そんな朗らかに言い放たなくても、とルイは思った。

 二人は駅のゲートからロータリーに出て、伯母はタクシーを捕まえた。彼女が余裕を持って腰掛けたので、ルイは荷物を抱えてみちみちになりながら座るはめになった。


「ところで、この先の人生計画は立てているのかしら?」

「いや、まだ」

「まあ慌てなくていいのよ。痴情のもつれから回復するのは時間がかかるわよね」


 ルイはタクシー運転手の方を気にしながら答えた。


「もつれというか──」

「大学なんて閉鎖的な環境だもの、欲求不満な年寄りが言い寄ってきた、そうでしょ? あなた、歳上が好みには見えないのに」

「はあ……」


 伯母は絵画の査定でもするようにしげしげとルイを見た。


「あなたは恋人と映画館でいちゃつきたいタイプでしょ。この街の映画館は大した作品を上映しないから、いちゃつくにはうってつけよ、相手が見つかるかはともかく」

「へえ……」


 ルイは好き放題言われて何か言い返したかったが、彼女は更に衝撃的な言葉を放った。


「ほら、男が好きだと隠したがる男性って多いでしょ」


 ルイは慌てて運転手の方を見て、気持ちを落ち着けるために自分の荷物を抱きしめた。


「どういう意味?」

「どうもこうも」


 ちょっとした坂に差しかかったタクシーが小さく跳ねた。

 ルイは目を閉じて深呼吸した。


「つまり……あなたは、僕が同性愛者だと?」


 伯母は肩をすくめ、どうでもよさそうに言った。


「あなたがボーイフレンドを欲しがるのも、婦人用化粧室の香りのするコロンを好きでも、あなたの勝手だと思うけど、違うかしら──それにしても本当にひどい臭いね!」


 ルイが何か答える前に、タクシーが停まった。

 伯母は運転手に代金を支払いながら楽しそうに言った。


「さて、素晴らしき我が家をご案内するわ!」



 《素晴らしき我が家》は何かの冗談かと思うほど歪んだ作りをしていた。元々は趣のあるアール・ヌーヴォー風の建物だったのだろうが、増築に増築を重ねた屋敷は売れないテーマパークのような雰囲気を醸し出していた。

 伯母は愛おしげに屋敷を示しながら言った。


「実際、ここは人形博物館を兼ねているの。誰も見に来ないけど。うちの従業員たちもやる気がないし」

「それで良いの?収入とか……従業員の給料は?」

「私はちょっとした資産を持ってるから、彼らにはぐうたらできるだけの金を払ってるわ」

「働いてないのに?」

「少なくとも私が頼めば何かしらやってくれるわよ、カードマジックとか──あっ!タクシーにパラソルを忘れたわ!」彼女は悲しそうな顔になったが、すぐに気を取り直した。「まあ、気にしないことにしましょう。あと二十本やそこらあったはず」


 入り口の扉には洒落たステンドグラスがはまっていたが、明らかに後付けの看板はペンキがはげかかっていた。

 ルイはその文字を読み上げた。


「『ドン・マラヴィラスの人形館』?」

「ええ」

「ドン・マラヴィラスって誰?」

「誰でもないわね。ただ、どうせなら風格のある名前にしようと思って──あんまり深く考えなくていいのよ」


 伯母は懐から大げさな鍵を取り出したが、「そういえば閉めていなかった」と呟いてそのまま扉を開けた。確かにこんな屋敷に盗みに入る者もいないだろう。


 広いエントランス・ホールは元々の建物のようで、なかなか品があった。床のタイルは概ね揃っているし、何らかの絵が描かれた天井には埃まみれの大きなシャンデリアが吊るされ、塵がダイアモンドダストのようにきらきらと舞い落ち、壁際には褪せた絨毯の敷かれた洒落た階段が取り付けられていた。そして受付らしき場所に例の《やる気のない従業員たち》と思われる人々がたむろしていた。

 伯母は手際よく彼らを紹介した。


「そこにいるのがアドリアンヌ、マルセル、フランソワ、頼めば色々やってくれるわ。みんな、こちらが甥のルイよ」

「ども」と煙草を持った手を挙げたのは中年の痩せぎすマルセル。

「掃除をしたけりゃ自分でやれよ」とふくよかで坊主頭のフランソワ。

「変な臭いがする」と厚化粧のアドリアンヌ。

「来る時に不幸があったのよ」と伯母。「あのばかみたいに大きい十字架を下げてるのはジャン=バティスト。冗談が通じないから気をつけて──それから、外出中だけど女性活動家のセリーヌもいるわ」


 ジャン=バティストは何も言わず、ただ吸血鬼か何かを見るような視線を向けてきた。

 ルイは意味もなく荷物を持ち直しながら言った。


「ええと……みなさん、よろしく」


 伯母はあたりを見まわし、階段の踊り場を指差した。


「あそこで寝っ転がっているのはクロード、彼は従業員じゃないわ」

「……従業員じゃない?」

「ええ、雨露をしのぐためにここに来てるの」

「追い出さないの?」

「別に。彼がいたって屋根は減らないし──さて、あなた部屋に案内しようかしら、それとも人形を見る?」

「部屋に……疲れたから」

「それもそうね」


 伯母は階段の下の《従業員用》と書かれた小さな扉を押し開けた。

 その向こうは増築された建物で、やたら入り組んだ階段が並んでいた。


「ここには色んな部屋があるから、どこへでも好きに行って構わないわ──地下への階段以外なら」

「なぜ?」


 伯母は帽子を脱いでそのへんに放りながら言った。


「昔、川が氾濫して下水道が決壊したの。どうにもならなくて封鎖して──きっと悪臭と鼠でいっぱいだわ。さて、あなたの部屋に行くにはどの階段を使えば良いんだったかしら……」


 シンプルなクルミ材の階段を三階分ほど上ったところがルイの部屋だった。毎日これを上り下りすることを考えると気が滅入ったが、他の通路を渡る必要がないので迷う心配はなかった。

 部屋は程よい広さで、綺麗にしようとした痕跡はあったがやはり埃っぽかった。からし色に青い花模様の壁紙、金のタッセルで纏められたバーガンディのカーテン、ゴブランのクッションが置かれた革張りのソファ、そしてマホガニーだかの家具。すべての部屋がこんな様子ではないだろうが、ジジ伯母がそれなりの資産を持っているのは確からしい。

 伯母はフリンジ飾りのついたランプの上に積もった埃をさり気なく払いながら言った。


「水道は問題なく使えるはずだけど、お湯と暖房がどうだかは検証の余地があるわね。何か支障があれば遠慮なく言いなさい。他に気に入った部屋があれば引っ越してもいいわ。とりあえず地下に気を付けるのと、閉館後は人形館に行かないで」

「閉館は何時?」

「午後六時。そのあと掃除することもあるけど、少なくとも午後九時には鍵をかけるから、閉じこめられないようにしてね。開館は午後一時だけど、だいたい十一時には準備が終わってるはずよ」

「準備って、あの人たちが?」

「まさか!」伯母は笑った。「ともかく、十一時まではそっとしておいてね」

「何を?」

「人形を」


 伯母の説明は釈然としなかった。幽霊でも出るのだろうか。あまり深入りしたくなかったので、ルイはそれ以上の質問をやめた。ただでさえ疲れているし、ジャケットに付着した異臭をなんとかしなければならない。

 伯母が部屋から出て行き、ルイはジャケットを脱いで一応綺麗そうに見えるシーツが敷かれたベッドに倒れこんだ。この屋敷で長くやっていける気はぜんぜんしなかった。

 荷解きは明日にしようと思いながら、彼は目を閉じた。

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