一〇章 彼女、とられた!

 優司ゆうじとさきらは駅に来ていた。同じように電車の時間をまつ多くの学生や会社員と一緒に並んで、通学電車の訪れをまっている。

 優司ゆうじがさきらにつきまとわれる結果となったあの電車。さきらを痴漢の魔の手から守った電車と同じ時間の、同じ電車。優司ゆうじとしては、その電車に乗るのはなんとも複雑な思いがあった。とは言え――。

 ――だからって、乗る電車をかえるのも変だし……。

 そんなことをしたら、なんだか『負け』と言う気がする。誰に対して、どんな勝負に負けるのかは本人にも見当がつかなかったが。

 ともかく、電車がやってくる時刻になった。優司ゆうじはさきらからはなれ、別の車両に乗ろうとした。その手をさきらがつかんだ。

 「なんで、わたしからはなれようとするの? あなたはわたしを痴漢からガードしなくちゃ駄目でしょう」

 「そう毎日、痴漢に狙われると思っているのかよ」

 優司ゆうじはそう言ったがその実、

 ――そりゃ、これだけの美少女だ。毎日だって狙われるよな。

 と、認めずにはいられなかった。

 「女子学生が電車内で痴漢に遭遇する頻度ひんどの高さは、データ上からも証明されているわ。多くの女子学生が毎日、痴漢との戦いに悩まされている。わたしにそんな思いをさせる気?」

 「それがいやなら女性専用車両に乗ればいいだろう。そのための女性専用車両なんだから」

 「女性専用車両は女性専用車両で、盗撮が付きものでしょう」

 言われて優司ゆうじは口ごもった。『ああ言えば、こう言う』という不満もなくはなかったが、一理あることは認めざるを得ない。

 優司ゆうじだって電車内で盗撮が行われていることぐらいは知っているし、AVコーナーでの盗撮ものの数の多さを考えれば……。

 いや、『盗撮もの』と銘打っているだけで、まさか本当に盗撮映像を堂々と売っているとは思っていないが、万が一と言うこともあるわけで……。

 優司ゆうじは口元をモゴモゴと動かしながら結局、さきらの側によった。いろいろ納得いかない気分ではあったがやはり、女の子を痴漢被害に遭わせるわけにはいかない。

 ――いや、こいつはアンドロイドだ、機械なんだぞ。さわられたところで……。

 頭ではそう思うのだが、さきらの完全無欠の美少女振りを見せつけられればそう割りきることもできない。しぶしぶ、さきらの側にくっついた。

 やがて、電車がやってきた。扉が開き、人の列が一斉に電車内に流れ込む。さきらはその人の流れのなかをスイスイと泳ぎ渡り、扉脇のポジションを確保した。優司ゆうじに言う。

 「ほら。ちゃんと側によって、わたしを守って」

 美しすぎる顔で見つめられてそううながされ、優司ゆうじはたまらず頬を真っ赤に染めた。顔をそらし、モゴモゴと反論してみる。

 「そ、そんなにくっつかなくてもいいだろう」

 「距離があったら隙間から手を伸ばされてしまうでしょう。護衛なんだから、きちんと密着して。手を差し込む隙もない壁になる」

 ――いつから護衛になったんだ⁉

 優司ゆうじはそう思ったが、さきらはかまわず優司ゆうじの手を引っ張って、ハグするかのような密着状態に持ち込んだ。優司ゆうじは決して大柄な方ではないが、さすがに女子よりは背も高いし、肩幅もある。その体を密着させると文字通り、さきらの周囲を囲む壁となる。壁となるのはいい。それはいいのだが……。

 ――な、なんだよ、この暖かさ。それに、息づかいまで……。

 優司ゆうじは真っ赤になってそう思った。心臓がドクドクとがなり立てる。

 さきらの全身から立ちのぼる体温がはっきりと自分の体に伝わってくる。そして、かすかな息づかい。キスするかのような密着状態のせいで、呼吸のたびにかすかな湿り気を帯びた風が肌に当たる。

 ――な、なんで、アンドロイドが息まで……。そこまで人間に似せることないだろ!

 優司ゆうじはそう思ったが、これは別に無理して人間に似せているわけではない。さきらを動かしているものは燃料電池。動力源である電気を生みだす過程で、同時に熱も生みだす。その熱は発散させなくてはならない。その熱が体温となって立ちのぼるのは理の当然。機械のもつ冷たいイメージとは裏腹にむしろ、人間の女の子よりも暖かく感じられる。

 そしてまた、燃料電池を動かすためには酸素が供給されなくてはならない。電気を生みだす際のもうひとつの副産物である水蒸気も放出しなくてはならない。人間が酸素を吸って二酸化炭素を吐くように、燃料電池製のアンドロイドであるさきらは酸素を吸って、水蒸気を吐く。人間と同様、活動するために呼吸を必要とするのだ。

 そして、人型である以上、人間と同じように口と鼻を使って呼吸するのは当然。息づかいを感じるのは当たり前のことなのだった。しかし――。

 そんな理屈がわかったところで、優司ゆうじにとってはなんの慰めにもなりはしない。暖かい体温を感じ、ほのかな息づかいにふれつづける。しかも、なにやら良い匂いまでするような……。

 そんな状況にさらされればさらされるほど、機械だなどとは思えなくなる。人間の女の子としか思えなくなってくる。

 同世代の女の子と寄り添っている。

 それも、満員の電車のなかで。肌と肌がふれあわんばかりの密着状態。ちょっと、身動きすれば優司ゆうじこそがさきらにふれる形になってしまう。

 女の子慣れしたチャラ男でもあれば喜ぶところだろうが、陰キャの思春期男子にとってはほとんど拷問。耳まで真っ赤に染めて、うつむいて、体をモジモジさせている。端から見れば優司ゆうじこそが痴漢に遭い、身もだえしているのではないかと思わせるようなその姿。

 それでも、優司ゆうじの犠牲のおかげてさきらが痴漢に遭うことはなく、電車は目的地に着いた。

 ――これで、解放される!

 優司ゆうじは喜びに打ち震えたが、安心するのは早すぎた。駅から出ると、さきらは当然のごとく優司ゆうじと腕を組んだのだ。

 「なんで、腕を組む⁉」

 「カップルならそれぐらい、当たり前でしょう」

 「おれたちはカップルじゃない!」

 「これからカップルになるんだから問題ないでしょう」

 「ありすぎだ! おれはお前とカップルになんてならない!」

 「それって、あんまりじゃない? こんな美少女のなにが気に入らないの?」

 「そう言うことじゃなくて! おれには、坂口さかぐちさんがいるんだ。坂口さかぐちさんに誤解されるようなことはしたくないんだよ」

 「のことなら心配ないわよ」

 「どうして⁉」

 「だって……」

 さきらがなにか言いかけた、そのときだ。

 「おっはよ~」

 と、もはやすっかりおなじみになっている元気いっぱいの声と共に、坂口さかぐちが駆けてきた。その表情はまさに恋する乙女。愛しい人に出会えることへの喜びに輝いている。

 とは対照的に青くなったのが優司ゆうじである。

 「さ、坂口さかぐちさん……! これは……」

 あわてて言いわけしようとする。だが――。

 が、いつもの体ずくの挨拶をかましたのは優司ゆうじではなかった。さきらの方だった。優司ゆうじの前を素通りし、さきらに全身で抱きつく。そして、ふたりの美少女は――。

 そのまま唇を重ね合わせ、キスをした。優司ゆうじの見ている目の前で。

 あまりの出来事に顎が外れる優司ゆうじに対し、さきらがアンドロイドであることを示す人工の色合いの瞳を向けた。

 「見ての通り、は夕べ、わたしが攻略したから」

 すると、優司ゆうじに対し、イタズラっぽい笑顔を向けた。人差し指をちょっと自分の頬につけ、ウインクなどしてみせる。

 「そういうこと。あたし、さきらとも付き合うことにしたから。よろしくね~」

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