五章 百合の園にはさまれて

 は『彼女』らしく、この部屋にはもう何度も来ているし、優司ゆうじのために食事を作ることもある。それだけに、ダイニング・キッチンのどこに、なにがあるかはすべて完全に把握している。おそらく、優司ゆうじ本人よりもくわしい。

 貫禄の手慣れた仕種でお湯を沸かし、紅茶をれる。水道は水・お湯兼用で、わざわざ湧かさなくてもいつでも熱いお湯を出せるのだが、わざわざお湯を沸かすのは、

 「沸かしたてのお湯こそが、お茶をおいしくする!」

 という、なりのこだわりである。

 一方、さきらも言われたとおりにスイーツの準備をしていた。単にエコバッグからスイーツを取り出すだけではなく、テーブルをきちんと拭いて、丁寧に並べていく。

 その仕種がなんとも上品で、優雅で、まさにお嬢さま。清楚な見た目にピッタリの立ち居振る舞いで、なんとも魅力的。一般的な男子だったら、その姿を見ただけで己の幸運に酔いしれ、舞いあがるにちがいない。

 ――育ちが良いんだな。

 と、優司ゆうじですらそう思った。もっとも、

 ――いやいや、こいつはAIなんだ。機械なんだ。そういう風にプログラミングされているだけなんだ。

 すぐにそう思いなおし、頭を振って、芽生えかけた思いを振り払ったけれど。

 ほどなくして、かぐわしい紅茶の香りが漂いはじめた。

 放っておいたら一生、お茶など飲まず、水とお湯だけですませるのではないかと思わせる倹約思考の優司ゆうじにかわり、が買い込んできたアッサム茶である。

 夕日のように赤い水色の紅茶をカップにそそぎ――ティーカップなどなかったので、これもが付き合いはじめてから買ってきた――歓迎会がはじまった。

 三人でティーカップを手にし、はノリノリで、さきらはおしとやかに、そして、優司ゆうじはしぶしぶカップを打ち合わせ、乾杯した。

 「おいしい」

 紅茶を一口、飲んださきらが目を丸くした。

 パンチの効いたアッサム茶。夕日のように濃い赤色と、深いコクと強い渋みとがその特徴。下手なれ方をすれば、渋いばかりで飲めた代物ではなくなる。それが見事にコクと渋みのバランスがとれ、渋みの奥にほのかな甘味さえ感じられる。それは、の紅茶を入れる腕の確かさを証明するものだった。

 「でしょう? あたし、お茶のれ方には自信あるんだよねえ。これぞ、沸騰したてのお湯でれた、お茶のおいしさ!」

 は自慢のDカップの胸を反らして自慢してみせる。わざとボタンを開けた胸元からのぞく胸の谷間がさらに強調され、思春期男子には目の毒もいいところである。

 「スイーツもおいしいわね。データとしては知っていたけど、日本のコンビニスイーツって、本当にレベルが高いのね」

 「そりゃあそうよ。コンビニスイーツはあたしたち女子高生の主食だもの。おいしくならないはずがない!」

 「店員の態度もすごく丁寧ていねいだったし。フランスで社会訓練してから日本に来たのでよかったわ。逆だったら、耐えられなかったと思う」

 「ああ。それって、よく聞くよね。日本の店員の礼儀正しさはすごいって。あれ、本当なんだ?」

 「本当よ。少なくとも、フランスの店員は『お客なんてどうでもいい』っていう態度だから。あの礼儀正しさと丁寧ていねいさには本当に驚いたわ」

 「へえ、そうなんだ。あれ? って言うか、さきらって、アンドロイドなのに飲み食いできるんだ?」

 ――それも確認せずに歓迎会とか言ってたのかよ。

 優司ゆうじは思わず心のなかでツッコんだが、その点を忘れていたのは優司ゆうじも同じ。やはり、瞳の色をのぞけば見た目完璧な人間の美少女と言うことで、アンドロイドであることをついつい忘れてしまう。

 さきらは答えた。

 「人と付き合う以上、一緒に食事するのは必須ひっすだから。ちゃんと、消化能力はついているわ。養分として吸収するまでは、さすがにできないけどね」

 「へえ。どうやって消化するの?」

 「体内に処理室があるのよ。そこで微生物資材を使って、水と二酸化炭素に分解して、排出するの」

 「排出って……もしかして、オシッコするってこと?」

 「普通にするわよ。わたしたちは燃料電池で動いているんだもの。エネルギーを取り出すたびに水も発生する。水蒸気、つまり、息という形で発散する分もあるけど、それだけでは排出しきれないから。ちゃんと、液体の水として排出する仕組みになっているわ。だから、いざとなったら飲み水も提供できるわよ」

 「うわっ。アンドロイドのオシッコを飲むとか、超エロいんですけど」

 と、はやけに嬉しそうにおののいて見せた。

 優司ゆうじはそんなふたりの様子を見ながらスイーツを食べていたが、なんとも納得いかない気分だった。

 このふたり、なんだか知らないがやけに仲が良い。自分の部屋で、は自分の彼女のはずなのに、なんだか自分の方が邪魔者になったよう。百合の間に挟まるお邪魔虫キャラになったようで、なんとも居心地が悪い。

 ――でも、彼女のことを名前で呼ぶこともできなくて、『一応』なんて言うような情けない男だもんな。仕方ないか。

 そう思い、こっそり溜め息をついた。

 「そう言えばさあ。さきらってフランス生まれなんだよね?」

 「ええ。フランスの研究所で作られたから」

 「それがなんで、日本人型なの?」

 「わたしが望んだから」

 「望んだ? なんで?」

 「知らない? 欧米人と日本人ではAIに対する認識が全然ちがうのよ。欧米人にとって進化したAIは怪物。自己進化の果てに人間とは異なる心を発達させ、人間の脅威になると警告していた。それに対して日本人はAIに友好的なの。ごく自然にAIも人間と同じ心をもつものと思ってきた。どうせ、付き合うなら、化け物扱いする相手よりも『同じ人間』として扱ってくれる相手の方がいいに決まってるでしょう?」

 「おお、そりゃそうだ。あたしもそう思うよ」

 アトムとドラえもんに鍛えられた日本人の勝利! と、は大袈裟に喜んで見せた。

 「だから、日本人のことを学習していたんだけどね。偶然、今西いまにし錦司きんじを知ったの」

 「いまにしきんじ? 誰、それ?」

 ――誰だよ、それ?

 と、優司ゆうじも会話に入れないながらに心のなかで呟く。

 「生物はかわるべくしてかわるっていう、独特の進化論で有名な日本人博物学者よ。その人の著書である『生物の世界』をダウンロードしてね。内容を知って、もうダメ。惚れ込んじゃった」

 と、さきらはそれこそ『夢見る乙女』の表情でうっとりとつづけた。

 「こんな感性をもっている日本人ってどんな民族なんだろうって興味が湧いてね。日本暮らしがしたくて日本人の外見にしてもらったの」

 「へえ。日本人としてなんだか嬉しいなあ。これから日本人のいいところいっぱい教えてあげるからさ。もっともっと惚れ込んでよね」

 「ええ。期待しているわ」

 それからしばらくの間、歓迎会という名の女子会がつづいた。

 そう。それは、まさに『女子会』。喋るのはとさきらのふたりばかり。優司ゆうじはずっと除け者の印象を受けていた。

 ――おれは、ここにいていいんだろうか?

 自分の部屋にもかかわらず、真剣にそう思い悩んだ。

 「あ、いけない。もうこんな時間。早く帰らなきゃ」

 思った以上に時刻が過ぎていたことに気がついたがそう言った。手早く片付けをすませて、彼女らしく優司ゆうじの頬に『ちゅっ』などして、真っ赤にさせる。それから、手を振って帰って行く。

 「じゃあね~。ゆ~じ。さきら。また明日、学校でねえ」

 「ええ、さよなら。気をつけて」

 と、さきらが手を振り返す。

 が帰ったあと、優司ゆうじとさきらのふたりきり。急に静かになった部屋のなかで、さきらが言った。

 「いい人ね、。見た目は派手なギャルだけど、優しいし、親切だし、家庭的だし。あんな人が彼女だなんて、うらやましがられてるでしょう?」

 「それは、まあ……」

 まんざらでもない、と言う様子で優司ゆうじは答えたが、そこでハタ! と気付いた。

 「ちょっとまて! お前はなんでまだ、ここにいるんだ⁉ お前も早く帰れよ」

 「わたしは、もう帰っているもの」

 「はっ?」

 「わたし、今日からここに住むから」

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