四章 なんで、おれの部屋に来る⁉

 「ふうん。ここが優司ゆうじのアパート」

 目の前にそびえる建物を見上げながら、さきらが感心したように呟いた。

 『アパート』と言っても、マンガによく出てくるような安っぽいアパートとはわけがちがう。セキュリティ完備の五階建て。正面玄関には強化ガラス製の門がそびえ、指紋認証システムが標準採用されているという、なかなかに豪壮なアパートだ。

 もちろん、監視カメラも完全装備。門の前に立つ人間は誰であれ四六時中、カメラによって監視され、記録されている。

 見ようによっては、ちょっとした要塞のように見えなくもない。

 「まだ高校生なのに、こんな高級アパートでひとり暮らしなんて優雅じゃない」

 さきらは、優司ゆうじを振り返ってそう言った。

 優司ゆうじはなんとも言えない、納得できていないような表情を浮かべたきり黙っていたが、黙っていないものがいた。

 である。

 優司ゆうじのすぐ横で、憤然ふんぜんとした口調で言った。両手を腰に当て、眉を吊りあげ、頭の上には見えない角。完全に怒りモードである。

 「それがさあ。聞いてよ、さきら! ひどいんだよ。ゆ~じの親戚連中ったら、ゆ~じのお父さんが人を殺して捕まったあと、それを苦にしたお母さんが失踪しちゃうと、ゆ~じのこと、さんざんたらい回しにしてさあ。中学を卒業したら『これからは、ひとりで暮らせ』って、追い出したんだって。ろくでもない連中だよね」

 親のしたことと子どもは関係ないのにさ、と、はぷんぷん怒りながら口にする。

 優司ゆうじはその声を聞きながら苦すぎる薬を飲んだときのような表情を浮かべていたが、に対しては控えめにたしなめた。

 「そんな言い方しないでくれ。親戚とはいえ、ろくに付き合いもなかったんだ。そんな相手をいきなり『親身になって、面倒みろ』なんて言っても無理な話だ。あの人たちは皆、できるだけのことをしてくれた。どこかの安アパートなんかじゃなくて、セキュリティ完備の高級アパートを借りてくれたんだし、気を使ってくれてるよ」

 「もう! ゆ~じってば優しすぎ!」

 は今度は優司ゆうじに怒りを向けたが、その奥に愛しい想いが込められていることは、その声を聞けばはっきりわかる。

 「そんなの、お金を出してすまそうっていうだけじゃない。ゆ~じは優しいからなんでも良い方に解釈しちゃうけどさ。もっと怒っていいんだからね?」

 「いい彼女ね」

 さきらが一言、言いたげな口調で言った。

 「こんないい彼女を相手に『一応』なんて言ってたら、罰が当たるわよ」

 「う、うるさいな……!」

 優司ゆうじは顔を赤く染めながら小さく叫んだ。指紋を照合して門を開ける。音もなく開いた強化ガラス製――テロ対策も万全! と言うのが売りだそうである――の門を通り、三人はアパートのなかに入った。優司ゆうじはそこでハタ! と気付いた。

 「なんで、お前がここにいるんだ!」

 さきらに向かって声をあげる。

 さきらは『あきれた』とばかりに答えた。

 「に誘われたからでしょう」

 『なにをいまさら』と言わんばかりに答えてみせる。

 「そうそう、なんと言ってもフランスから日本に来たばかりなんだからね」

 と、がコンビニスイーツをいっぱいに詰め込んだエコバッグを掲げてみせる。

 「はじめての友だちとして、ささやかながら歓迎会を開こうっていう話になったんじゃない」

 そう言うと、まるで三人で相談して決めたように聞こえるが、実際にはがひとりで提案して、優司ゆうじの答えもまたずにここまでやってきたのである。

 は、ちょっとばかり責めるような、手厳しい微笑を優司ゆうじに向けた。

 「まさか、日本に来たばっかりで不安と心細さでいっぱいの女の子を、ひとりで放っぽり出す……なんて言わないわよね?」

 「女の子って……こいつはAIだ。必要な情報は全部そろっているはずだろう」

 ――大体、AIに『不安』や『心細さ』なんて、あるもんか。

 そう思ったが口には出さなかったのは、さすがにさきらに気遣ったのか、それとも、に遠慮したのか。

 「たしかに、必要な学習は一通りすませているけど。でも、ただのデータと実際の体験は別よ。ふたりからはいろいろ教わりたいわ」

 「そうそう。なんでも教えてあげるからね。さあ、行こう!」

 さきらが言うと、もやけに張り切ってそう応じた。そのまま、さきらと腕を組み、歩いていく。優司ゆうじは自分のアパートに帰ってきたはずなのに、他人の家にお邪魔しているような気にさせられた。複雑な思いのまま、後についていく。

 優司ゆうじの部屋は三階にある。中学卒業を間近に控えていたある日、何軒目かの世話になっていた親戚の家で急に言われた。

 「もう高校生なんだから、ひとり暮らしでも大丈夫だろう。家賃は払ってやるから、これからはここで暮らせ」

 引っ越し当日まで内見すらしたことはなかったが、部屋にこだわりがあるわけではないので気にはしていない。

 ――ちゃんとした部屋を用意してくれただけで充分。

 そう思っている。

 部屋に表札は出していない。優司ゆうじだけではなく、このアパートの住人たちは、セキュリティ上の理由から誰ひとりとして表札を出してはいない。郵便物や宅配はすべて、正面玄関横の宅配ボックスに入れられる仕組みになっている。

 そのために、優司ゆうじはこのアパートのどの部屋にどんな人が住んでいるのかまるで知らない。もちろん、同じアパートの住人と言うことで、すれちがうぐらいのことはあるのだが、そのときも軽く頭をさげる程度。お互い、挨拶の言葉はない。住民同士の交流などと言うものはないに等しいアパートである。これもまた、

 ――目立ちくない。ひっそりと生きていきたい。

 と、思っている優司ゆうじにとっては都合のいいことだった。

 優司ゆうじはドアの前でスマホを取り出すと、ドアの電子ロックを解除した。部屋のシステムはすべてスマホで操作する仕組みになっている。20世紀的な『鍵』などと言うクラシックな代物はこのアパートには存在しない。

 ドアが開き、三人はなかに入った。優司ゆうじとしては今日、出会ったばかりの相手――それも、AI――を自分の部屋に入れることにはいまだに抵抗があったのだが、なにしろ、女子ふたりの方がそんなことは気にしない。まるで、お構いなし。などは鼻歌交じりになかに入り、まるで、自分の部屋のようにさきらに紹介している。

 「ほら、どう? なかなかいい部屋でしょ? ひとり暮らし向きのワンルームだけど、お風呂はもちろん、ダイニング・キッチンにベランダもついてるしさ。しかも、このベランダ、ガーデニング前提だから水道設備も整ってる士、防犯を兼ねてガラス戸がついてるから温室としても使えるんだよ」

 「本当。いい部屋ね。よくこんな部屋を借りてもらえたわね」

 「……親戚一同で、少しずつ金を出してくれてるから」

 優司ゆうじはバツが悪そうに言った。

 これだけの部屋だから当然、家賃もそれなりにする。優司ゆうじも一応、『生活費ぐらいは自分で……』と、バイトして稼いではいるが、そんな稼ぎでは到底、足りない。親戚一同が家賃を払ってくれているから、ここに住んでいられる。

 それだけの金を出す理由が優司ゆうじに対する気遣いであれ、が言ったように『未成年をひとりで放り出す後ろめたさを金でごまかしている』ためであれ、一高校生としては不相応な暮らしと言っていいだろう。少なくとも優司ゆうじにとってこの広さ、豪華さは、もてあます要素でしかない。

 「部屋自体もけっこう、広いしさあ。それに、いつもきれいにしてるし」

 と、は部屋の中央で両手を広げてクルリクルリと回転してみせる。そのたびにヒラヒラのスカートが大きく揺れて、白い生足が奥まで見える。優司ゆうじは思わず顔を真っ赤にして視線をそらした。

 「きれいすぎるけどね」

 は表情をかえると少々、手厳しい口調で付け加えた。

 この『きれいすぎる』というのはつまり、部屋のなかにはなんにもない、と言う意味だ。部屋のなかにはテレビもラジオもなく、本や雑誌の類さえない。部屋の片隅にポツンとひとつ、小さなクローゼットが置いてあるだけ。あとは本当にもう、空っぽの空間が広がっている。

 「小さなクローゼットにダイニング・キッチンのテーブル。家具はこれですべて?」

 さきらに言われて、優司ゆうじはムッとした顔付きになった。

 「他になにがいるんだよ。スマホひとつあればたいていの用はすむからテレビもラジオもいらないし、よけいな物はもたない主義なんだよ」

 すると、が溜め息交じりに言った。

 「部屋の片隅にクローゼットひとつ、なんて却ってさびしいし、貧乏くさいから、もっと家具を置いて、部屋らしくしろって言ってるんだけどねえ。ゆ~じってば、なかなかに頑固でさあ」

 「同感。せっかく、こんないい部屋に住んでいるんだから、それなりに整えた方がいいと思うわ」

 「余計なお世話だ」

 優司ゆうじ憤然ふんぜんとして答えた。

 「まあいいわ。それより、早く歓迎会と行きましょう。あたしはお茶をれるから、さきらはスイーツを出しておいて」

 「ええ」

 と、さきらは素直にうなずいたのだった。

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