所謂バールのようなものという


 悲鳴は彗梨たちの後方から聞こえた。

 見ると彗梨たちが通ってきた石の階段の傍に、一人の男が倒れている。


 見覚えのあるアロハシャツの男。

 確か名前は、記歴暦。


 一目散に尾鷲が駆け出し、彗梨もそれを追って駆け出した。


「大丈夫か!?」


 尾鷲の声に、記歴は低く唸るような声を発しながらゆっくりと体を起こした。


「痛っ……たぁ……」

「何があったんですか?」


 尋ねる尾鷲に、記歴は頭を押さえながら道路の方を指さして言った。


「……っ、それが……飛んできたんス」


 そこに落ちていたのは、先端がL字に曲がった鉄の棒。長さは一メートル前後、表面は一目でわかるほどひどく錆びており、中身が空洞になっているのが見えた。


「あれッスね、これが所謂バールのようなものという……はは」

「笑ってる場合か。めちゃくちゃ危ねえじゃねえか」

「そうなんスよぅ。いやぁほんと、死ぬかと思いました」


 にへらーっと緩く笑う記歴に、尾鷲が呆れた目を向ける。

 その様子を見ていた彗梨には、まず確認しておきたい疑問点があった。


「それで……はぁ……っ、さっきの……」

「彗梨、呼吸あがってるぞ。無理すんな」

「っ、そうやって……人を体力がないって、バカにして。言っておきますけど……足元が砂浜でさえなければ、もっと、走れますから……」

「はいはい。で、何を言おうとしたんだ?」


 尾鷲はこちらの主張をまるで信じていないようだったが、彗梨はあえてそこには言及せず、呼吸を整えてから言葉を続けた。


「……さっき、女性の悲鳴がしましたよね。あれはいったい誰の?」

「そちらの火口明那ひぐちあきなさんっスね」


 記歴が目をやった石の階段の上には、こちらをチラチラと見ている女がいた。赤々とした唇が目を引く濃いメイクをした若い女だ。


「その人への営業トークが終わって、次に行こうってタイミングで飛んできたんス。バールのようなものが。それでバランスを崩しちゃいまして」

「まさか……この上から落ちたのか?」

「その通りッス、あはは」


 笑い事ではなかった。

 この石の階段の上から砂浜まで軽く三メートル以上はある。もしも固い石の階段に頭を打ち付けていれば死んでしまってもおかしくない。


 そもそも、あんな鉄の棒が飛んでくるなんてことがあるだろうか。

 疑念を抱く彗梨のもとに、頭上から声が降ってきた。


「と、飛んできたんじゃないわ……!」


 声の主は石の階段の上にいた火口だ。こちらの会話を聞いていたのだろう。

 だが、飛んできたんじゃないとはいったい……

「何か見たんですか?」

 彗梨の問いに、火口は緊張気味に答えた。


「その鉄の棒は、宙に浮いてたの」

「浮いてた?」

「そう。まるで……透明人間がそこにいるみたいに!」


 その瞬間の恐怖を思い出しているのか、声音に感情が乗る。

 

「絶対おかしかった。飛んできたって感じじゃなかった。誰かがそこにいて、鉄の棒を振り下ろしたみたいだったの。私は見た。それで思わず悲鳴あげちゃって、だから……絶対、間違いない」


 火口は顔面蒼白だった。とても嘘をついているようには見えない。

 それに、そのような証言が嘘や世迷言と切り捨てられたのは十年前までの話だ。


「彗梨。まさかこれ、異能者の仕業なんじゃ……」

「だとすれば、これは殺人未遂ということになるかもしれませんね」


 尾鷲の発言を受けて彗梨が言うと、各々の表情に緊張が走った。

 彗梨は「ただ、」と言葉を続ける。


「犯人が異能者……それも透明人間となると特定は困難です。ほかの目撃証言を探そうにも、皆さん火の玉を見ていたでしょうし。手がかりを探るなら動機からになるでしょうか」


 そうして彗梨は記歴に向き直った。


「記歴さん、最近恨みを買うようなことはありませんでしたか?」

「最近ッスか? んー、まあ、他人の過去を暴くという仕事柄、恨みを買いやすい方ではあると思いますが……」


 記歴は考えるように首をひねる。


「ここら一帯の地域に関して言えば、今のところお仕事をいただけたお客さんはひとりもいないんスよね。そういう意味では、ボクに恨みのある人がわざわざボクを訪ねてここに来てるというのは、ちょっと考えづらいっス」


 であれば、もうひとつの線で考えるべきだろう。

 そんな風に彗梨が考えていると、ふいに尾鷲が口を開いた。


「なあ彗梨、動機で思いついたことがあるんだが」

「なんですか?」

「これは勘なんだが……犯人は、知られたくない過去がある人物なんじゃねえかな」


 尾鷲は神妙な顔で続ける。


「だって、わざわざこいつを襲う理由なんてそれくらいだろ。金目の物を持っているようには見えねえし、知り合いと一緒に来てたわけでもなさそうだから、人間関係のもつれってわけでもない。恨みを買っているわけでもないってんなら、あとはもう他人の過去を調べるって仕事の絡みとしか思えなくないか?」

「……」


 驚いた。

 それはまさに彗梨が今話そうとしていたことだったからだ。

 さらに尾鷲は言う。


「犯人は過去を知られたくなかったんだ。それが動機なら、その犯人はこいつが営業活動で自分の異能を話した相手の中にいる……そういうことになると思うんだが」

「……そうですね。私も同じことを考えていました」


 尾鷲の言うことはもっともだ。

 しかし何故だろうか。自分でもうまく説明できないが、彗梨の胸中には妙なざわつきがあった。思考が何か強烈な違和感を訴えてきていた。

 その間にも尾鷲は記歴に尋ねている。


「なあ、あんたが今日営業トークをした相手は何人くらいいるんだ?」

「結構声はかけましたが……過去を調べるという話まで聞いてくれたのはほとんどいませんでしたね。お二人とそちらの火口さんのほかには、確か、あと二人」

「ならその中に犯人がいるかもしれない。まだこの周辺にいるか探してみよう」


 なんだ、この違和感の正体は。

 彗梨が考え込んでいたからか、尾鷲が気遣うような声をかけてくる。


「どうした、彗梨。何か変だったか?」

「……いえ、大丈夫です。それより早く記歴さんが話をした二人を探しましょう」


 そう、今すべきことはそれのはずだ。尾鷲が提案した通り。

 しかし心中でそう自分に言い聞かせた瞬間、彗梨は違和感の正体に気付いた。


 尾鷲の言っていることは正しい。まさにそこにこそ違和感があった。

 今日の尾鷲はいつもと比べて、妙に鋭くはないだろうか。

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