なんで私を撮ってるんですか!?
夕刻のバスに揺られることしばらく。話題の海岸沿いのバス停で下車した頃には日が暮れていた。
ちょうどよく火の玉が出そうな時間帯だが、バスを降りた二人がすぐに砂浜へ向かったかといえばそうではなく、バス停のベンチに留まることになっていた。
理由は単純。
「大丈夫か、彗梨」
「はい……ちょっと酔っただけなので……うぷ」
彗梨は乗り物酔い中だった。気を抜けばリバースしそうな勢いでしっかり酔ってしまい、乙女のプライドにかけて全力で我慢している最中だった。
「やばそうなら我慢しない方が楽だぞ。道も相当悪かったし、彗梨以外にも酔っている人いたっぽかったからな。うん、今回は仕方ないって」
「……今回はって、まるで仕方なくない時があったみたいな言い方で……うぷ」
「……無理すんな、ほんとに」
なんという失態だ。
異性と二人で夜の海に来たこの状況で、乗り物酔いで動けなくなるなんて。いや動けないだけならまだいいのだ。リバースするのはまずい。本当にまずい。
そんな天下分け目の戦い(※彗梨の主観)の最中、
「おやおや、どうやらお困まりのご様子」
陽気な声に顔をあげると、一人の男が立っていた。いかにも軽薄そうな笑顔を浮かべた、アロハシャツにビーチサンダルの男だ。年齢はややわかりづらいが、三〇前後だろうか。
全身から胡散臭い雰囲気を醸し出しているアロハシャツの男は、片手に下げたポリ袋をもぞもぞと漁ると、中から一つの薄い箱を差し出してきた。
「どーぞ、良ければお使いください。酔った後からでも使える酔い止め薬ッス」
確かにそれは酔い止め薬だった。見たところ新品未開封。
喉から手が出るほど欲しい代物だ。喉の奥から色々出てくる前に。
「え、いいんですか?」
困惑気味に尾鷲が訪ねると、アロハシャツの男は「もちろんですとも」とやはり軽薄な笑顔で答える。
「困ったときはお互い様ですから。ささ、遠慮なさらずに」
「あ、ありがとうございます。良かったな彗梨」
尾鷲はそう言って笑うが、彗梨は素直に喜べない。
だってこの胡散臭さだ。こちらが乗り物酔いで困っているときに、都合よく未開封の酔い止め薬を持って現れた。こんな都合の良い話はない。裏があるに決まっているではないか。
だが背に腹は代えられない。
彗梨は今ここで吐くわけにはいかないのだ。
そんなわけで。
「どうだ彗梨、ちょっとは良くなったか?」
「……まあ、少しは」
「いやーそれは良かったッス」
酔い止め薬を服用してからしばらく、彗梨の吐き気は無事に収まった。
「本当にありがとうございます。……でも、タダでくれたというわけではないですよね?」
「え?」
彗梨の言葉に驚きの声を漏らしたのは尾鷲だ。
「いきなり何言い出すんだ彗梨」
「この状況で未開封の酔い止め薬を持って現れたのは、いくらなんでも不自然すぎます。このバス停で降りる乗客には悪路のせいで車酔いをする客が多いのではないですか。それを知っていたから、わざわざ酔い止め薬を持って待っていた。そう考えたほうが自然です」
「そ、そりゃそうかもしれないけど、助けてくれたのにその言い方は」
「いいんスよ、事実ッスから」
アロハシャツの男は変わらぬ軽薄な笑顔で言う。
「改めて自己紹介を。ボクは
「過去を……売る……?」
「ええ。依頼があれば誰のどのような過去でもお調べします。そういう商売ッス」
「……」
「……」
「あ、今、胡散臭いって思いましたねぇ?」
「や、俺は別に」
「いいッスよぉ隠さなくて。慣れてますんで。今日ここにいるのもそんな胡散臭い商売の営業活動ッスから。バス酔いするお客さんが多いもんで、こうして酔い止め薬を用意しておくとお話する口実にちょうどいいんス。お嬢さんの推測通りね」
つまり彗梨は完全にこの男の狙い通りの客というわけだ。
ちょっと悔しい気もするが、そのおかげで助けられたので何も言えない。
「そういうわけで、誰かの過去を知りたければ是非とも依頼してください。誰のどんな過去であろうと完璧にお調べしてご覧に入れます」
「完璧に……ですか?」
「ええ。ボクの異能を駆使してね」
記歴はニィッと口端をあげた。
ここまで半信半疑だった彗梨も、これには驚いた。てっきり探偵のようなものかと思って聞いていたが、異能と言われると話が変わってくる。
「異能者なんですか? ……いったいどのような」
「企業秘密ッス。気になるなら依頼してください」
そう言って記歴はポリ袋に手を突っ込むと、そこから名刺を取り出し渡してきた。
「ささ、これ名刺です。どぞ。直筆サイン入りなんで大事にしてください」
「は、はぁ」
「それじゃ、次は是非とも依頼でお会いしましょー」
そう言い残すと、記歴はひらひらと手を振って去っていった。
彗梨は手渡された名刺をまじまじと見つめた。サイケデリックな色が目に痛い、センスゼロの名刺である。もはやわざとやっているんじゃないかというくらいの胡散臭さだ。
しかし、
(……結局、サナさんに尾鷲さんの過去は訊けなかった)
最近痛感したことだが、彗梨は尾鷲の過去をほとんど知らない。サナも具体的な内容を教えてはくれなかった。
その過去が、記歴暦の異能ならわかるかもしれない。
「どうした、彗梨?」
思考に没頭していた彗梨は、ふいに聞こえた尾鷲の声に肩を跳ねさせた。
「あ、な、なんでもないです。すみません、まだ本調子じゃなくて」
慌てて名刺をバッグに突っ込み、バカな考えを振り払うように首を振った。
(私は何を……尾鷲さんの過去を詮索しようだなんて)
最低だ。過去なんて、知りたければ本人に訊けばいいだけではないか。それをする度胸もないくせに、他人に依頼して調べようだなんて。尾鷲にだって知られたくないことの一つや二つはあるはずなのに。
「もう少し休んでからいくか」
「いえ……むしろ少し歩いた方が調子がよくなりそうです。行きましょう」
少し気持ちを切り替えたい気分でそう言った自分に、また自己嫌悪した。
ともあれ噂の海はすでに目の前だ。見下ろせばそこはもう砂浜で、すぐ傍に平たい石でできた階段がある。
「結構人いるな……みんな火の玉目当てかな」
「かもしれませんね。今のところ火の玉は見えませんけど」
そんな会話をしながら階段を降り、波打ち際へ向けて歩いていく。
尾鷲の言う通り、季節外れの夜の海にしては人が多い。一人で来ている者が何人かいるほか、若いカップルの姿も目に入る。夜の海を背景に二人で写真を撮るカップルは傍目にも幸せそうに見えた。
よくよく考えてみれば、彗梨は尾鷲の写真を持っていない。まあ交際しているわけでもないのに持っていてもおかしい気はするが、でも、少し、気になった。
ちらりと尾鷲の様子を伺う。いつも通りのご機嫌な顔で彗梨の隣を歩いている。
彗梨は考える。
一緒に写真を撮りたい。そんなことを言ったら、変に思われるだろうか。
「……尾鷲さん」
心拍数が跳ね上がるのを感じる。
「なんだ?」
能天気な声。きっと彗梨の緊張なんてまるで気にしていないに違いない。
それでいい。そういう風でいてくれるのが、ありがたい。
「あれ……なんですけど」
彗梨はゆっくりと写真撮影中のカップルを指差す。
そのとき、
「火の玉だ!」
誰かが驚きの声をあげて、彗梨も尾鷲も海上へ目をやった。
「……まじか」
尾鷲が驚きの声を漏らしたのも無理はない。
海上には確かに火の玉が浮いていた。まずひとつ。だがすぐに分裂してふたつになった。また分裂してみっつ。順々に数が増えていく黄金色が夜を照らす。光が暗い海面に反射して、幻想的な光景が広がっていく。
「本当……だったんですね」
あれは紛れもなく炎だ。少なくとも彗梨にはそう見える。目の錯覚や自然のイタズラなどでは断じてない。心霊現象か、トリックか、そうでなければ異能者の存在が背後にある。
実に興味深い。
思考が興味に引きずられる。あれはどのような原理によるものなのか。人為的なトリックであるなら、あるいは種も仕掛けもない異能であるなら、いったい誰が何の目的で行っているのか。端的に言い表すならば――何故あの火の玉は出現したのか。
もっと近くで見てみたい。
今は、他のことは考えられない。
そうして彗梨が一歩足を前に出したとき、尾鷲が口を開いた。
「よし、せっかくだし写真撮ろうぜ」
「え?」
彗梨が言葉を返す前に尾鷲は数歩後ろに下がり、
「ほら彗梨、笑え笑え」
カシャッ。
尾鷲のスマホからシャッター音が鳴った。
「えっ、今撮ったんですか?」
「この位置だと火の玉がうまく入らないな……もうちょいそっちで」
「……!? なんで私を撮ってるんですか!?」
言う間にまたシャッター音が鳴る。彗梨が慌てふためくのを面白がるみたいに、尾鷲が笑う。楽しそうに。
「はは。思いのほか綺麗でホラーって感じじゃないな、こいつはいいや」
「何笑ってるんですか!?」
言っている間にも尾鷲のスマホからシャッター音が鳴り続ける。
そんな状況が続いたからか、彗梨の口からは思わず不満の言葉が漏れた。
「……不公平です」
「ん、何か言ったか?」
「私だけ撮られるのは、ズルいです」
「へ?」
「なので、問答無用です」
彗梨はスマホを構えて、カシャッ。彗梨にカメラを向ける尾鷲の姿をフレームに収めた。
「ちょ、それ絶対火の玉写ってないだろ。俺撮ってどうすんだ」
「こっちの台詞です。私ばっかり撮ってたくせに」
「それはまあほら、その場のノリというか」
「とにかくおとなしくこっち来てください。ほら早く」
言いながら彗梨はシャッターを切る。連続で。何度も。
なんだか楽しくなってきた。
「わかった、わかったからそんなに連続で撮るなって」
尾鷲は片手で顔を隠すみたいにしながら彗梨の隣まで戻ってきた。
「で、どう撮ればいいんだ?」
「へ? そ、それはまあ、普通に?」
「普通って……」
尾鷲の視線が困ったように泳ぎ、ある一点で止まった。
彗梨も同じ方を見ると、火の玉を背に写真を撮るカップルがいた。
二人仲睦まじく、当然のようにツーショット。
「あ、あんな感じで、良いのではないでしょうか……?」
彗梨の声は若干うわずった。
「そ、そうだな。あんな感じで、火の玉も写る角度で、フツーに」
「は、はい……そうですね。ふ、フツーに……」
なんだこれは。
あまりにもぎこちない。お互い緊張しすぎだ。
でも、尾鷲が同じように緊張してくれているのが嬉しくもあり。
「どうした彗梨、表情が固いぞ。もっと笑え……!」
「人のこと言えないですよ尾鷲さん。笑ってください……!」
ただ写真を撮るだけのことが、なんだかすごく楽しくて。
その幸福な時間を破壊したのは、耳を裂くような甲高い悲鳴だった。
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