困らせているでしょうか
後日、彗梨の部屋にて。
「よーし、次これいってみよー!」
「まだやるんですか!? というかそれ布面積が……っ」
「男は結構こういうの好きだからね。喜ばせたいんだろう?」
「うっ……それは……」
彗梨は、目をギラギラに輝かせた二人の女の迫力に委縮していた。
一人は楊儀サナ。尾鷲の知り合いの動画配信者。
そしてもう一人は氷室ルイ。楊儀サナの友人。
今日の彗梨は、とある経緯からこの二人の着せ替え人形になっていた。
「まあ聞いてくれ。本当に感謝してるんだ、私は」
と、氷室は落ち着いた真面目な口調で言う。
「君の協力があったから失間亜衣は捕まった。君がいなければ私は殺されていただろうし、サナはその犯人にされていただろう。私にとって君は、命の恩人以上の存在なんだ」
「そ、そんな……大げさです。私なんて」
「大げさなものか。君の策に嵌っていく失間亜衣を見て私は感激したよ。いや、むしろ悪寒を覚えたといってもいい。人があそこまで他人の手のひらの上で踊ることがあるのかと」
あまりのべた褒めっぷりに、彗梨は少し落ち着かない気持ちになる。思えば尾鷲以外の人からこんなにも全力で褒められることは滅多にない。嬉しいが、少し反応に困ってしまう。
そんな彗梨に、氷室ルイは力説する。
「そんな君が、彼氏を喜ばせるためにかわいい恰好をしてみたいという。力になりたいと思うのも当然ではないか。そうだろう?」
「そう言われると……いえ尾鷲さんは彼氏ではないんですけど」
と一応否定する彗梨の言葉を遮る勢いで氷室は言う。
「とにかく、私は君への恩を返すために全霊を尽くしたい。それだけなんだ」
「氷室さん……」
「だからこそ、この布面積の異様に少ない服を着てほしいんだ」
「氷室さん……?」
思わず身構える彗梨。
そこでサナが気の抜けた声で言う。
「いやぁ、ルイちゃん押しが強いからなー。こうなると観念した方が早いと思うよ」
「サナさんまで……というか、わかっていたならどうして氷室さんまで呼んだんですか」
「ルイちゃんかわいい服いっぱい持ってるから。それにルイちゃんみたいな服着てみたいって言ったのは彗梨ちゃんだよ?」
「いえ、着てみたいと言ったわけでは……私はただ、尾鷲さんがこういう服が好きかどうかという相談をしただけで……」
今思えばどうかしていた。
どうして自分はサナにこんな相談をしてしまったのか。
確かに氷室ルイの動画を見ているときの尾鷲が何故か脳裏に引っかかってはいたが、だからといってこんなことを他人に相談するなんて。
「カイくんなら絶対喜ぶって! だからさ、着ちゃおう!」
「……うぅ、何か騙されているような気が」
「いいからいいから! ね、試してみるだけでも!」
……これは確かに観念した方が早そうだ。
彗梨は諦めて、氷室の用意した『少々露出が大胆な気がするメイド服』への着替えを開始した。さっきまで着せられていた『若干スリットが深すぎる気がするチャイナドレス』も大概だったが、こちらは鎖骨から胸元までが大きく開いたデザイン。なんというか、より攻めた感じがする。
さすがにこれはやりすぎなのでは……
彗梨が全力で羞恥心と戦いながら着替えを終えた、まさにそのとき。
「ただいまー」
聞きなれた男の声がした。
気づいた時にはもう遅い。銀髪ピアスに気怠そうな垂れ目の青年――尾鷲恢が、まるで自分の家のように彗梨の部屋に入ってくる。
そして目が合う。
「………………あの、ここは尾鷲さんの家ではないんですけど」
「えっ。あ、うん。すまん。いや、ほんとごめん」
「………………………………………………………」
尾鷲は真顔だった。完全に思考が停止したような顔で、ただただ立ち尽くしていた。視線はしっかり『少々露出が大胆な気がするメイド服』を着た彗梨に固定されているが、いつものような軽口が出てこない。これ以上ないほど完璧に真顔である。
この反応は……もしかしなくても、失敗したのでは?
そう思った途端、羞恥心やら不安やら後悔やらが一斉に押し寄せてきた。何故こんな恰好をしてしまったのか。というか今日は清掃の日ではなかったはずでは。まったくどうしていつもいつも連絡もなしに突然現れるのか。合鍵を渡してしまったのが失敗だっただろうか。いやそんなことよりこんな大胆な恰好をして痴女だと思われていないだろうか。
「カイくん! なんで黙ってるの!?」
と、何故かサナが責めるような口調で言う。
「えっ。……というかなんで楊儀がここに。氷室ルイまで」
「そんなのどうでもいいでしょ! この彗梨ちゃん見て何かリアクションないの!?」
やめてやめてやめてサナさんそれオーバーキルです……!
彗梨は叫びたい気持ちでいっぱいだったが、そこへ続けてルイが口を開く。
「君を喜ばせようと思って着ているんだよ。感想の一つくらいあってもいいんじゃない?」
「えっ……いや、どういう流れで。……え?」
尾鷲はもうどこからどう見ても困っていた。
視線をさまよわせ、頬をかき、明らかな棒読み口調で、
「えっと……かわいいな。うん、かわいい」
「……あ、ありがとうございます」
「……いや、ほんとにかわいいと思う。びっくりしたけど」
「……そ、そうですよね。すみません」
「……」
「……」
おそらくは彗梨の人生でもっとも気まずい沈黙だった。
それを破ったのは、氷室ルイの落ち着いた声。
「さ、帰るか」
「そうだね。お邪魔っぽいし」
と、サナが応じて二人連れだって部屋を出ていく。
「また来るね、彗梨ちゃん」
「お邪魔しました」
ガチャン、とドアの閉まる音。
「な、なんだったんだ……」
どこか片言で尾鷲が言い、そしてまた室内に静寂が満ちた。
彗梨の頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。こんな状態で放置されてどうしろというのか。こんなひどい仕打ちがあるだろうか。
どうしようもなく不安で、尾鷲の顔が見れない。自然と視線が足元に落ちる。
「……困らせているでしょうか」
「えっ?」
とりあえず、この状況の弁明をしよう。
そのような思いで開いた口からは、自分で思っていたより暗い声が発せられた。
「恩返しがしたかったんです。いつも助けてくれて、お掃除にも来てくれて……それなのに、私が尾鷲さんに返せるものが、何も思いつかなくて……どうしたら喜んでくれるかって、考えたんですけど……」
「……彗梨」
尾鷲が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
両肩にそっと、優しく手が乗せられた。思わず緊張に身をこわばらせる。
そんな彗梨と視線を合わせるように、尾鷲は腰をかがめて口を開いた。
「かわいい」
「へっ!?」
「超かわいい。世界一かわいい。いや、宇宙一かわいい」
「そ……それは流石に大げさなのでは」
「いやむしろ足りない。ほんっとうにかわいいし、すっげー嬉しい」
「……………………そ、そう……ですか」
もうどうしていいかわからない。さっきまでとは違う意味で。
まず熱い。とにかく熱い。目が回って頭がどうにかなりそうだ。
この服装は正解だったのだろうか。一応喜んでくれたということでいいのだろうか。自分は喜んでいいのだろうか。嬉しい気はするが、喜んでいい場面なのだろうかこれは。
尾鷲は悩む彗梨の肩から手を離すと、どこかそわそわした様子で言う。
「とにかくあ、ありがとな。……でも、あんまり無理はしなくてもいいからな?」
「は、はい。……気を付けます」
彗梨はまた視線を足元に落とした。
……難解だ。
どんな事件の謎よりこの状況の方が遥かに難解だ。
でも、不思議と嫌な感じはしない。
頭の中の「何故」が消えないあのもやもやを、今は感じない。
じんわりと暖かい気持ちが胸の中に広がる。
そして、
「カイくん行けー押し倒せー」
「ヘタレだなぁ……見た目の割に」
聞こえるはずのない声がした。
尾鷲と同時にすごい勢いで部屋の入口を見やると、帰ったはずの楊儀サナと氷室ルイがこちらの様子を伺っていた。それはもう楽しそうな顔でこちらを見ていた。
「お前ら帰ったんじゃなかったのかよ!?」
「えー、あの流れでほんとに帰るほど鬼畜じゃないよー!?」
「まあ面白そうだしね」
「氷室さん実は結構良い性格してるな!?」
ぎゃーぎゃー騒ぎ出す三人。
その様子を見ているとなんだかアホらしくなってきて、彗梨はどっと息を吐いた。
自分の心情がよくわからなかったが、たぶん、安心したのだ。いろんな意味で。
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