私は用心深いんだ
失間亜衣が異能者になったのは、中学生の頃だった。
当時のクラスメイトに、男に媚びを売るのが上手い女がいた。バカな男どもからは大人気。だが本人はあくまでも天然という体を装っていた。
まず単純にいけ好かなかったが、何より許し難かったのはその女が失間の想い人と交際を始めたことだ。誰にでも愛想を振り撒くあの女も、そんな女に釣られたあの男も、気に入らなかった。
ある日、二人はお揃いのキーホルダーを鞄につけていた。
二人の笑顔が失間への嘲笑に思えた。
腹の底から負の感情が湧き出してきて、頭がどうにかなりそうだった。
ふと気づくと、自分の手の中に二つのキーホルダーがあった。
失間が異能者になった瞬間だった。
異能者になって最初のうちは苦労した。力の使い方がわからなかったからだ。なかなか思った通りに力を使えず、あれは夢だったのではないかと考えることもあった。
だがやがて対象物に印を描き入れるという手法を確立すると、成功率はほとんど百パーセントに近くなった。異能の力は心のはたらきに起因するという。印を書き入れるという行為が失間の意識になんらかの影響を与え、成功率を高めたのだろう。
異能を意のままに操れるようになった失間は無敵だった。
気に入らないやつを困らせるのも、欲しいと思ったものを奪うのも簡単だった。
だが本来、異能者はその異能を政府に届け出なければならない。
それはこの自由を放棄することと同義。
失間にとって、そんなのはありえない選択だった。
だから偽ることにした。
そうして失間は消失の異能者となった。
――故に、欺くのは得意だ。
異能を手にしたあの頃から、ずっと他人を欺くことだけを考えて生きてきたから。
◇
『……まあ確かに、次に狙われるとしたら私か君のどちらかだろうね』
電話の向こうから聞こえる氷室ルイの言葉に、失間は不安そうな声色で返す。
「でしょ。……このままじゃ私たちも楊儀サナに殺されちゃうよ。良ければ合流しない?」
『なら、私の家に来てもらってもいいかな? 今日は編集作業が終わってないんだ。場所はマップを送っておくから』
「わかった。向かうね」
そうして通話を終えると、失間亜衣はこらえきれずに噴き出した。
「あははっ。なーんだ。案外バカじゃん、
氷室ルイはおそらく、失間の本当の異能を見抜いている。だから連続殺人の犯人が失間であることも、氷室ルイだけは気づいているかもしれない。そう警戒していた。
だがふたを開けてみればこれだ。
怯えたふりをして電話をかけたら、失間の提案をすんなりと受け入れてくれた。疑う素振りすら見せなかった。クールな雰囲気を装っていても、殺されるのは怖いということだろう。
「結構警戒してたんだけどなー。あたしのこと嫌ってたくせにさー」
はっきり言って拍子抜けだ。
二人で会うことさえできればこちらのもの。
これまでの二人と同様、楊儀サナの仕業に見せかけて殺せばいい。
そうして氷室ルイの住むアパートに向かった。
あのクールぶった顔に穴をあけて殺せるかと思うと、気分がよかった。もともとは口封じのために始めた殺人だが、他人の命を奪うという行為は失間の趣味趣向にあっていた。
辿り着いたアパートは壁紙の色あせたボロアパートだった。氷室の部屋は一階の一〇三号室。インターホンを押すと鍵の開く音がして、部屋の中から「あいてるよ」と声が聞こえる。ドアノブに手をかけると、確かに鍵は開いている。スマホで開錠できるスマートキーだ。その設備は年季の入ったボロアパートには不釣り合いに思えて、失間は笑ってしまいそうになった。
だがそのような失間の余裕は、部屋に入ってすぐ霧散した。
(なに、これ……)
明かりのついていない暗い部屋。
その奥への侵入を妨げるように、高い壁がそびえている。
否、よく見ればそれは壁ではない。
タンスにテーブル、椅子、本棚……いくつもの家具が組み合わさり積み重ねられ、侵入者を拒むためのバリケードを形成していた。
「悪いね。突然あの水の弾が飛んでくるかもしれないからさ」
氷室ルイの声。
それはバリケードの奥の暗闇から聞こえた。
「あ、ああ、そういうこと……。流石、用心深いね」
動揺を隠しながら、闇の中に目を凝らす。バリケードの隙間から部屋の奥が見える。椅子があり、そこに腰掛けた人影があった。
「うん、私は用心深いんだ。だから、君のことも疑っている」
「っ……!?」
「あくまでも可能性の話だよ。でも実際、君が殺した可能性もあるだろう?」
「そ、そんなことないと思うけどな」
思わず声がうわずった。
……慌てるな。まだ氷室は可能性の話をしているだけだ。失間が犯人だと知っているわけではないはずだ。
冷静に言葉を選べば、欺ける。
「だって二人は、水の弾で頭に穴あけられて殺されたんでしょ? そんなの楊儀サナが犯人に決まってるって」
「そうかな。あの子はそういうことはしないような気がするけど」
「……へー、肩持つんだ。そういえば仲良かったもんね」
「うん。友達だからね」
「それで、だから私が犯人って言いたいの? 証拠は?」
「そんなこと言ってないよ。可能性の話」
こっちを馬鹿にしているみたいに冷静な口調で、氷室は言う。
「まあ私は君の本当の異能を知っているから、君には私を殺す動機があると考えてはいるんだけどね。それもあくまで可能性の話だよ」
「そ、そう。可能性ね……まあそれなら仕方ないかな……」
危険だ。
失間の本能が警鐘を鳴らす。これ以上この女を生かしておいてはいけない。もとより殺すために来たのだ。さっさと殺してしまえばそれで終わりだ。
ジャケットのポケットに仕込んだ筒に触れる。あらかじめ印を描き入れてあるそれは、失間の意思一つで氷室を殺す凶器になる。
死ね。
心の中でそう呟き、ワープの異能を起動した。
ポケットの中の円筒が消えて、闇の中に腰掛けた人影の頭蓋を貫いた。
すると、
「……驚いたな、本当に殺してくるなんて」
「なっ……!?」
失間は驚愕するしかない。
だって今のは氷室の声だ。
頭に穴をあけられたはずの氷室が、変わらぬ冷静な声を発している。
「マネキンだよ」
と氷室が言う。
「言ったろう、用心していると」
言われてよく見ると、確かに暗闇に浮かぶ人影は氷室ではない。巧妙にシルエットを似せてはいるが、作り物だ。部屋が暗いせいで気づかなかった。
「人は焦ると視野が狭くなり、極端な行動をとりやすい。そのような誘導をこちらがしているとは考えられず、君は焦燥感に駆られて決定的な証拠を晒す。……まさか、ここまで彼女の思い通りにいくとはね」
「彼女……? 楊儀サナのこと……?」
問いながらも、そんなはずはないと失間は思う。
あの女がそこまで賢いものか。
でもそれなら、いったい誰が。
「君は本当の異能を隠すために殺しという極端な方法を選んだ。それは自分の本当の異能を知られることを極端に恐れているからだ。そんな君の余裕を奪い焦燥感に駆らせるには、私が君の真の異能を知っていることを強調し、さらには君のしたことを見抜いていると思わせればいい」
「……何。何を、言って」
「私も話を聞いたときは机上論だと思ったよ。でもなるほど。君のように単純な人には有効というわけだ」
「何言ってんだよ! 誰の話だ!?」
思わず叫び、バリケードを両手で押した。不安定に積まれた棚が簡単に崩れて、大きな重みのある物音が空間を揺らす。
「出てこい! そこにいんだろ!? びびってんのか!」
叫ぶが、声が返ってくることはない。
「くそっ、殺してやる! ここにいんのはわかってんだからな!」
声を張り上げた直後、失間は気づく。
部屋のカーテンが揺れている。
風が、どこかから入ってきている。
「まさか」
崩れたバリケードから身を乗り出し、棚で死角になっていた場所に視線を向ける。
窓が開いていた。
室内に人の気配はない。
「っ、舐めやがって!」
これでは完全に氷室ルイの手のひらの上だ。
バリケードはただの足止めではなかった。窓から逃げるところを失間に見せないための目隠しでもあったのだ。すべてがあの女の筋書通りに進んでいる。
(……いや、氷室ルイじゃない。誰か指示を出しているやつ……そいつのせいで!)
気に入らない。イライラする。
だがそれ以上に、気味が悪い。
失間の犯行を見抜き、失間がマネキンに異能を使うよう誘導し、激昂する失間から氷室ルイを逃がした。これではまるで失間のすべてが見通されているかのようではないか。
――誰だ?
頭の中で膨れ上がる疑問を振り払えないまま、氷室を追い慌てて外に出る。異能でマネキンの頭に穴をあける瞬間を見られた今、彼女を逃がせば失間は終わりだ。見えない何者かのことは氷室ルイを殺してから考えればいい。
そのような自分の考えが甘かったと思い知るのは、外に出てすぐのことだった。
パトカーが何台も止まっていた。
その光景は、失間の破滅を端的に示していた。
「――――――――」
投降を呼びかけてくる声は、もはや失間の耳には入ってこない。
――誰だよ?
頭の中にはその疑問だけしかない。
――いったいどこの誰が、私を破滅させたんだ?
怒りの矛先を向ける対象すら知れないまま、失間亜衣は捕まった。
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