まるで自分が恋してるみたいな


 考えてみれば、尾鷲が泊まっていくのは自然なことだ。

 何しろ楊儀サナは殺人事件の重要参考人。そんな人物と二人きりでは彗梨の身が危ないかもしれない。それにほとんど初対面のサナと彗梨を残して共通の知り合いである尾鷲だけが帰ってしまうというのもおかしな話だ。


 つまりこの状況は当然の帰結。

 当たり前のことなのだ。


(……ということでいいんですよね、尾鷲さん)


 夜。

 彗梨の部屋。ベッドの上。


 今にも破裂しそうな心臓の鼓動を感じながら、彗梨は脳内で自問自答していた。おそらくは動揺している自分を落ち着かせるためと思われたが、自分でも何を考えているのかよくわからない。ただ、この状況を論理的に説明する何かについて考えていないと頭がどうにかなりそうなのは確かだった。


「なんだか修学旅行みたいだねぇ」


 気の抜けた声で言うのはサナだ。彗梨と同じベッドの上に座っている。

 そしてベッド脇に壁を背にして腰を下ろしているのが尾鷲である。


「お前行ってないだろ、修学旅行」

「イメージってやつだよ。ほらほら、恋バナとかしよーよ。あたし話すこと特にないけどさ」

「ないのかよ」

「聞くのは大好きなんだよねぇ」


 実に緊張感のない会話である。一人だけ心拍数が上がっているのがバカみたいに思えてくる。というか自分がバカみたいな独り相撲をしているのはさっきから薄々感じているところである。


 でも、だって、仕方がないではないか!


 彗梨は心の中でそう思わずにはいられない。

 何しろ尾鷲が彗梨の部屋に泊まっていくなど、初めてのことなのだから。


(……まあサナさんもいますし、変なことにはならないでしょうけど)


 むしろ何故サナがいるのか。いやサナがいるからこうなっているのか。帰っちゃえばいいのに。いやそれでは本末転倒だ。何を考えているのだろう自分は。というかどうして尾鷲はあんなに落ち着いているのか。ドキドキしているのは彗梨だけなのだろうか。そんな理不尽ってあるだろうか。


(……はぁ、何考えてるんでしょうか私は)


 彗梨は少し錯乱していた。自分でも呆れてしまうほどに。


「俺はパスだ。ちょっと出てくる」


 尾鷲はそう言うと、すっと玄関に向かい部屋を出て行った。何のことかと思ったが、おそらくはサナの提案した恋バナの件だった。まさかこのまま帰ってしまうということはないだろう。


「ありゃりゃーつれないなぁー」


 サナはぼやいて彗梨の方に視線を移した。


「彗梨ちゃん」

「はい」

「あ、彗梨ちゃんって呼んでもいい?」

「え、ええ。それはご自由に」

「じゃさ彗梨ちゃん。カイくんのこと聞かせてよ」

「へ?」

「恋バナ恋バナ」

「………………………………と、言われましても」


 困る。

 すごく困る。

 彗梨からすれば、むしろ昔の尾鷲の話を聞かせて欲しいくらいなのだが。


「あたしびっくりしちゃってさー。まさかカイくんがあんなふうになってるなんて思わなかったもん」

「そうなんですか?」

「そうだよー。まあ別に不思議ではないけどさ、前はあんなチンピラみたいな格好してなかったから衝撃っていうか」

「……私が会ったときには、すでにあんな感じでしたけど」

「ふぅん、そうなんだ。……やっぱりね」


 サナの発したその声は、何かに納得したという含みがあった。

 ……なんだか面白くない。

 そこでふと、彗梨は気づいた。尾鷲がいないタイミングを見計らってサナに訊いておきたいことがあったのだ。今がチャンスだ。


「どうして、尾鷲さんだったんですか?」

「なんのこと?」

「殺人犯に仕立て上げられそうになったサナさんが、尾鷲さんを頼った理由です」


 それは彗梨にしてみれば不自然なことだった。


「昔の知り合いだと尾鷲さんは言っていました。それはつまり、最近は交友がなかったということです。それなのにどうして、尾鷲さんを頼ったんですか?」

「あー、そういうことね……なるほど。そりゃあ気になるよね」


 うんうん、と頷きつつしばらく考えてからサナは答えた。

 

「あたしのことを信じてくれると思ったから……かな」

 言いながら首を傾げたサナは、自身の思考を整理するように言葉を続ける。

「あたしね、警察にはちょっとトラウマがあるんだ。こんな危ない異能持ってるからなのか、嫌な思いさせられたことがあってさ」

「嫌な……思い」

「詳細は聞かないでくれると嬉しい」


 なんでもないように笑うサナだが、その裏には複雑で深い事情がありそうだった。


「だから今回も警察に話があるって言われたら怖くなっちゃって、逃げて、報道されて。誰かに見つかれば通報されるんじゃないかと思ったら、誰も頼れなくなって。そんなときカイくんのことを思い出した。カイくんなら、きっと味方になってくれると思ったの」

「それは、なぜ」

「うーん……」


 と、サナは困ったように考え込む。

 そしてきっぱりと答えた。


「わかんない」

「……」

「ちょ、そんな顔しないでよ。言語化難しいんだってば」


 彗梨が無言でいたからか、サナは慌てたように言った。


「……たぶん、いい意味で常識がないから……かな」

「というと?」

「あたしの知ってるカイくんはさ、もっとこう、社会から浮いてる感じだったんだよね。独特の価値観で生きてるっていうか。世の中のすべてがあたしの敵でも、カイくんだけはあたしの味方をしてくれる……そんな気がしたの。なんとなくだけど」

「……なんとなく、ですか」

「うん」

 

 こくりと小さく頷くサナだが、彗梨にとって満足のいく回答ではなかった。

 独特の価値観で生きているというのは、わからなくもない。少なくとも彗梨は尾鷲のような人物を尾鷲のほかに知らない。あれを独特と言わずしてなんと言おう。そういう意味では納得できるような気がしなくもない。


 だがサナが語ったのは、あくまでも彗梨の知らない以前の尾鷲だ。彗梨の知る尾鷲ではない。そういう意味で、サナの言葉の真意を彗梨は知ることができない。

 だからだろうか。尾鷲が絶対に味方をしてくれると信じたサナの心情が、そう思うに至ったその背景が、もっと詳しく知りたい。そう思った。

 そんな彗梨の内心が表情に出ていたのだろうか。


「もしかしてあたしがカイくんの元カノかもとか心配してる?」

 サナは彗梨の顔を覗き込むようにしながら、そう訊いてきた。


「えっ、そ、それは」

「安心して。あたしたちの関係は、恋人や友達とは方向性が違う。家族や兄妹っていうのも何か違うけど、あえていえば……そう、戦友みたいな」

「戦友……ですか?」


 ますますよくわからなくなる表現だ。

 しかしサナは自分で納得してしまったらしく、「そう、戦友」と大仰に頷いた。


「だからさ、実はあたし、今嬉しいんだよね」

「嬉しい?」

「カイくんがこんな風に恋愛してるなんて思わなかったから。なんか楽しそうだし、幸せそうだし。まるで自分が恋してるみたいな気分」

「……」


 それは……どう受け止めればいい言葉なのだろうか。

 迷う彗梨の心情を知ってか知らずか、サナは微笑を浮かべて言う。


「頑張ってね。彗梨ちゃんがカイくんを幸せにしてくれると、あたしも嬉しい」

「私が……尾鷲さんを……?」


 その言葉の意味を、彗梨はゆっくりと反芻した。

 そしてふと思った。


 尾鷲を幸せにする。そのような想いが、彗梨の中にあっただろうか。


 いつも彗梨を心配してくれて、気遣ってくれて、笑顔にしてくれて、暖かい気持ちにしてくれる。そんな尾鷲に、彗梨が何かを返せたことがあっただろうか。

 否、返そうと思ったことがあっただろうか。


(私は……尾鷲さんに、何もしてあげられてないのでは……?)


 急激に心が冷えていく。

 それからつまらないことを考え続けて、サナとの会話にはほとんど虚ろのまま応じた。やがて尾鷲も戻ってきていたが、何かを話す気にはならなかった。話したのかもしれないが、あまり記憶には残らなかった。気づいた時にはサナも尾鷲も眠っていた。


「尾鷲さん……私が尾鷲さんにしてあげられることって、なんですか?」


 尋ねても返事はない。当然だ。尾鷲はもう眠っている。

 彗梨はカーペットの上に直に横たわり眠る尾鷲にバスタオルをかけてやると、 そのままベッドに戻り、また自問自答した。


(……私にはわかりません。でも今はせめて、サナさんを)


 尾鷲もサナを救うことを望んでいる。そのために彗梨を頼ってくれたではないか。

 なら今彗梨にできるのは、サナの無実を晴らすことだ。


 そうして一晩中考え続けた彗梨はほとんど眠れないまま翌朝を迎え、衝撃的なニュースを目にした。

 ドリルの異能者――捻子京子が殺害されたのだ。


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