かっこよかったです
焦っちゃダメ。そんなことを言われてもどうすれば……
麗子と話し終えた彗梨は、一度ショッピングモール内のトイレに立ち寄って思考に耽っていた。だがいくら考えても答えは出ない。どうすればいいかわからない。
気づけば結構な時間が経ってしまっている。これ以上待たせるわけにもいかないと思い、尾鷲と合流することにした。スマホでメッセージを送り、すぐそこの広場で合流しようという話になる。
だが彗梨がトイレを出てすぐ、突然腕を引かれた。
「え」
何が起きたか理解するより先に、喉元に刃物を突き付けられる。
「動くな。声を出さず、言う通りにしろ」
彗梨は無心で頷いた。
相手の見当はついていた。
(この人……まさか、あの記事のライター……!?)
先ほど送信した個人情報を元に彗梨を殺しに来たのだ。早急に真相が知りたかった彗梨は、今いる場所も含めた情報をあの記事の情報募集フォームに送信していた。
あまりにも迂闊。
彗梨はまさかこんな人の多い施設の中で仕掛けてくることはないだろうと踏んでいたし、こんなにすぐに犯人が動くとも思わなかった。あとで警察に相談して犯人を罠に嵌めればいい……そんなふうに思っていた。
だが犯人は麗子を呪いの占い師に仕立て上げている人物だ。それが麗子の占いの会場にやってきていても何も不思議はない。
その程度のことは普段の彗梨なら想定できたはずだ。
彗梨はもっと慎重にならなければならなかった。
たった一度の判断ミス。
別のことに気を取られていたが故の、致命的な誤り。
「変な気は起こすなよ」
男の持つ刃物の切っ先が、彗梨の喉元から体を伝って背中に移動する。
「言うことを聞けば悪いようにはしない」
嘘だ。呪いに見せかけて殺すために、場所を変えたいだけだ。
しかし逆らえばこの場で殺されるだろう。実際、呪いの被害者の中には通り魔にあったという者もいた。あれはおそらくこのような状況で犯人に従わなかったために、その場で殺されたということだろう。
絶体絶命。
そんなときである。
「お、いたいた。彗梨」
聞きなれた声に振り向く。
そこにいたのは銀髪にピアスの青年。
「尾鷲さん……!?」
「彗梨もトイレだったのか。実は俺もなんだ。って、あれ、そっちの人は?」
と、どこか間の抜けた様子の尾鷲が犯人に視線を向けた。
ナイフはちょうど彗梨の背中に隠れて見えない位置にある。尾鷲は今がどれほど危険な状況か気づいていないのだ。
「この人は……」
言いかけたところで、背中に刃物の先端が少し押し付けられた。
――話を合わせろ。ここから立ち去る口実を作れ。
彗梨にだけ聞こえるように犯人が言った。
「えっと、この人は父の知り合いです。たまたまそこで会って」
「おお、そうなんですか。初めまして、尾鷲恢といいます。彗梨さんとお付き合いさせていただいています」
「こ、こちらこそ初めまして」
明らかに動揺したそぶりの犯人。だが尾鷲は犯人を疑う様子もなくにこやかに近づいてくる。なんならいつもより二割増しくらい笑顔で、おそらく全力でさわやかな雰囲気を作ろうとしているのが伝わってくる。
「あ、安心してくださいね。清く健全なお付き合いです。断じて彗梨さんを悲しませるようなことはしていません。俺は本気です。よければ彗梨さんのお父さんにもそうお伝えください」
と、握手を求めるように手を差し出す尾鷲。
その奇妙な言動に犯人は「そ、そうですね」と動揺を見せつつも、それに応じる。逆の手で握った刃物は彗梨に突きつけたまま。
「ところで、ひとついいですか」
「は、はい、なんでしょうか」
と、犯人が声を発したその瞬間。
尾鷲はガッと犯人の腕を横に引いてそのバランスを崩すと、その鳩尾に思い切り膝蹴りを食らわせた。
その表情はさっきまでの間抜け面とは違う。
まるで別人。冷たい刃のような視線で倒れる男を見下ろして、
「俺の許可なく彗梨に触んな、クソ野郎」
もう一撃。側面から思い切り男の腹を蹴り上げた。
男はうめき声を漏らし、その場でうずくまる。
尾鷲は男が落としたナイフを回収してから彗梨の方に駆け寄ってくる。
「大丈夫か!?」
「え……あ、は、はい。大丈夫で」
途中まで発した言葉が止まる。
それは駆け寄ってきた尾鷲がいきなり彗梨を抱きしめてきたからだ。
「お、尾鷲さん……!?」
「……よかった。もう大丈夫だ」
彗梨は困惑するしかない。
たった今見せた冷たい雰囲気はもうない。
いつもの緊張感のない雰囲気でもない。
ただ必死に、余裕のない様子で、尾鷲はがっしりと彗梨を抱きしめている。
その熱が、体の震えが、尾鷲の感情を伝えてくれる。
「……すみませんでした」
その言葉は考えるより先に口を出た。
自己嫌悪で死にたいくらいだ。
何を馬鹿なことをしているんだ。そう自分を呪わずにはいられない。
だって、自分の身がどうなろうと構わないと思っていたのだ。
そのような身勝手な考えが、こんなにも尾鷲を心配させたというのに。
「……私のせいですか?」
思わず尋ねていた。
「……なんのことだ?」
尾鷲は困惑気味に訊き返してきた。
「麗子さん、言ってたじゃないですか。尾鷲さんにこそ占いが必要だって。私がこんなだから……私が、体が弱かったり、危険なことをしたり、そうやって尾鷲さんを心配させてばかりだから、悩んでいるんですか?」
「……彗梨」
「ごめんなさい。でもわからないんです、私にも。どうしたらいいか。間違えたのはわかるんです。でも、間違えないようにするにはどうしたらいいか……本当に、わからなくて」
酷い謝罪だ。謝罪と言っていいのかもわからない。
傷ついたのは尾鷲のはずなのに、言い訳ばかりで逆に助けを求めている。
自覚はあった。それなのに、言葉は止まらなかった。
泣きそうで、だからせめて涙は流さないように耐えた。自分の身勝手で尾鷲を心配させて、悩ませて、苦しい思いをさせたかもしれないのだ。それなら泣いていいのは尾鷲の方だ。彗梨じゃない。
「彗梨のせい……ね」
尾鷲は含めるようにそう呟くと、考えるような間をおいて言った。
「それはあれか。私がかわいすぎてごめんなさいってやつか?」
「へ……?」
一瞬、頭の中に空白が生じた。
そして言われた言葉をひとつひとつ咀嚼して、結果、今度は混乱が生じた。
「なな……なんでそんな話に!?」
「いや、だって今彗梨が」
「茶化さないでください。私は本気で」
「俺もいつでも本気だぜ」
「だからそういうところが……」
言いかけた彗梨の口を、尾鷲が人差し指で塞いだ。
「本気だ。俺の悩みは基本的に、彗梨が可愛すぎるからってとこに帰結する」
「……っ!?」
「彗梨が可愛くなければ心配なんかしないし、悩まない」
尾鷲はいつになく真剣な顔でそう言うと、すっと立ち上がり彗梨に背を向けた。
彗梨はもうどうしていいかわからない。
だって知らなかった。
素知らぬ顔ですごい台詞を言う尾鷲にはいつもいつも驚いていたけれど、
(こんな真面目な顔もするんだ……)
心臓が破裂しそうなほど高鳴っていて、尾鷲の顔が見れない。背を向けてくれるのがありがたかった。
「ほら行くぞ」
尾鷲は変わらず背を向けたままぶっきらぼうに言った。
その様子に違和感を覚えた彗梨は、ふと思う。
(……もしかして、尾鷲さんも照れてる?)
そうだ。普段見せない様子に戸惑ったけれど、それはつまり尾鷲にとっても普段はしない言動なのだ。であれば今のは、取り乱した彗梨を安心させるために、慣れない台詞を言ってくれたということではないだろうか。
それを思うと、何故だろうか。胸の内に暖かい気持ちが広がった。
「……ありがとうございます、尾鷲さん」
かっこよかったです。
その部分は声にするのが難しくて、心の中だけで呟いた。
そして、それはそれとして、彗梨はふと思い出す。
「あっ、そうだ。そこに倒れてるのが呪いの犯人です。捕まえて警察に突き出しましょう」
「ええ!? 何その急展開!? どういうことだよ!?」
間の抜けた声を発する尾鷲の様子が、どうしてだかすごく愛おしく思えた。
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