犯人は私を殺しに来ます
「そんなことって……」
犯人は呪いの記事をウェブで公開していたライター。
未だ半信半疑な様子の麗子に、彗梨は一から説明する。
「私が考えたのは、誰であれば呪いを実行可能なのかです」
「どういうこと……?」
「犯人が呪い……すなわち殺人を実行するには、呪われた人の個人情報を手に入れる必要があります。名前や顔だけでは足りません。呪われたのがどこの誰なのかを知らなければ、殺すことは不可能でしょう」
「確かにそうね……実は私、呪いの件で警察に話を説明を求められたことがあるのだけど、それが理由で私には殺せなかったと納得してもらえたの」
「だろうと思いました」
恋人を呪い殺されたというあの青年は、恋人がどこの誰であるか特定できる情報を麗子に伝えてはいなかった。感情を読み取るだけの麗子の異能では、その条件で対象を特定することは不可能だ。
そう。犯人の条件は、被害者の個人情報を入手できること。
「もうわかりますよね。被害者の個人情報を知り得る人物が、一人います」
「それが、あの記事を書いているライター……」
彗梨は「ええ」と頷く。
「あのライターは読者から呪いについての情報を募集しています。いつ誰を呪ってほしいと頼んだか、それを詳細に確認する機会があったんです。呪いを依頼した本人から、直接。記事にするためという口実で」
「……でもおかしいわ。最初に報じられた呪いの犠牲者は舞台役者。しかも自殺よ。殺人じゃない」
「それは単なるきかっけに過ぎません。というより、その一件から犯人は着想を得たのでしょう」
「どういうこと?」
「犯人は怪しげで過激な記事ばかり書いているライターです。閲覧数を増やすために呪いの占い師という過激な記事を、当時話題になっていた舞台役者の自殺と絡めて公開した。その記事がたまたま注目を集めたんです」
「たまたま……って」
麗子が絶句するのも無理はない。それはあまりに身勝手で、残虐な行いだ。
閲覧数を稼ぐために過激さを追求した捏造記事。
そのセンセーショナルな内容は人々の目を引いた。狙い通りに。あるいは狙い以上に。
「記事の閲覧数が爆発的に伸びたのを見て、犯人は思ったのでしょう。この路線ならもっと閲覧数を伸ばせると」
「それで、閲覧数が伸びる記事を書くためだけに、呪いと題して殺人を……?」
「そういうことになります」
犯人のそのような人物像は、尾鷲が見せてくれた記事にも表れていた。
必要以上に過激で目を引くように付けられた見出しに、収益源と思しき広告の数々。動機は収益か、そうでなければ肥大化した承認欲求の暴走だろう。
いずれにせよ結論は変わらない。
犯人は呪いの記事を書くために呪いを現実にしていたのだ。
「そんな……ことって」
「信じがたいとは思います。でもほかにいないんです。被害者について知ることができる人物が」
彗梨はそう言い切った。
麗子はしばらくの間硬直していたが、彗梨の考察を咀嚼するだけの時間のあとで、ぽつりと口を開いた。
「……まあ、ネットでどうにかして目立とうとして行き過ぎる気持ちは、わからないではないか」
「え?」
「こっちの話よ」
麗子はそう言うと、元通りの不敵な微笑を口元に浮かべた。
「あなたの推理には感激したわ。でもまだ犯人が捕まったわけじゃない。証拠だってないでしょう? 申し訳ないけど、この話はおしまい。あとは普通に占いを」
「犯人を捕まえる方法は用意してあります。先ほど例の記事の情報募集フォームに、私の個人情報を送信しておきました」
「え……?」
「私の考察が的中していれば、犯人は私を殺しに来ます。それが動かぬ証拠になります」
「な……」
麗子は先ほどまでとは比較にならないほど動揺した素振りを見せた。
「め、めちゃくちゃよ……あなた、どうしてそこまで」
「知りたいからです。そのためなら私は、なんでもします」
昔からそうだった。
他人にどう思われようと、それで自分がどれだけ不利な立場に立たされようと、構わなかった。自分の中にある「何故」が解消できるのならば、手段は厭わない。それが糸継彗梨という人間だ。
「今すぐとは言いません。しかし私の目論見通りに犯人が捕まったら、私の要求に応じていただけませんか?」
無茶を言っている自覚はある。
でも、そうするしかないのだ。彗梨には。
しばらくの間言葉を失った様子だった麗子は、やがて大きく息を吐いた。
「……わかったわ。その執念に免じて、あなたの要求に応えてあげる」
「本当ですか!?」
思わず前のめりになる彗梨に、麗子は首肯した。
「私の異能は、人の感情を感じ取る力。目の前にいる人の心理状態を、その人と同じように感じることができる」
「同じように……というのは?」
「恋に浮かれたふわふわした気持ちとか、悩みに悩んでどん底にいる気持ちとか、何もかもうまくいかない苛立ちとか、そういうのをその人とまったく同じように感じられるの。思考が読めるとか、心の声が聞こえるとか、そういうのじゃない。ただ同じものを感じられる。それだけの力」
「……それ、だけ」
「ええ。だから私は彼の心の声の代弁者にはなれない。彼が何を考えていたか、私にはわからない。それでも、私が感じた彼の心を表現するとするならば」
緊張で呼吸を忘れながら待つ彗梨に、麗子は告げる。
どこか切なく、痛ましい表情で。
「彼の心は、ぐちゃぐちゃだったわ。控えめに言っても、最悪だった」
ぐちゃぐちゃ。最悪。
その言葉が、彗梨の心に重く響く。
「例えるならそう、自分の中に自分が何人もいるかのような……明らかにまともな精神状態ではなかったわ。ずっとあんな気持ちでいたら、とても生きてなんてなんかいられない。私が今まで占ってきたすべての人の中でも、あそこまで不安になるような人はいなかった」
「そんな……まさか。だって尾鷲さん、いつもあんな感じで。いい加減で」
「表面的な振る舞いが心の中を表しているとは限らないものよ。でも……そうね、もしかしたら、あなたのおかげなのかもしれない」
「え……?」
思いがけない話の展開に彗梨が訊き返すと、麗子は「ええ」と頷いた。
「人の感情は複雑よ。楽しい時にも心のどこかに不安はあるし、辛いときに希望を抱き続けることができる。彼ほど複雑な心の持ち主はなかなか見ることがないけれど、でも複雑であるということは、絶望に染まり切ってはいないということなの」
「……えっと、それはつまり」
「要するに、恋の力よ」
「……はい?」
急に力の抜けることを言い出した麗子に、彗梨は思わず間の抜けた声を発した。
「恋は悩みの種にもなるし、それを吹き飛ばすパワーも与えてくれるものだから。彼はあなたがいることで悩んでいるのかもしれないし、あなたがいることで前向きでいられるのかもしれない。そういう話」
「……」
彗梨の思考はフリーズぎみだった。
結局のところ、どういうことなのだろう。尾鷲は悩んでいるのだろうか。いつも見せる何も考えていないような顔の裏で、本当は苦しんでいるのだろうか。
もし、そうだとしたら……
「私は、どうすれば」
「そのままでいいのよ」
麗子は言う。ゆっくりと、穏やかな口調で。
「言ったでしょう。焦っちゃダメって。あなたたちはそのままでいい。きっと最後にはうまくいくわ」
ああ、駄目だ。
彗梨は胸の内に立ち込める靄が晴れないことを確信した。
だって、それでは、納得できない。
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