あなたが頼んだんですよね?

 次の日、彗梨と尾鷲はまた占い師麗子のもとを訪れた。場所は昨日とは異なり、大型ショッピングモール内のイベントスペースだ。調べたところ麗子は様々な場所で占いを行っているらしかった。

 

 しかし結論を先に言えば、二人が麗子と顔を合わせることはなかった。


「何度言ったらわかるんだ! この人殺しが!」


 突然の怒声に思わず身を縮める。イベントスペースの外、ずらりと並んだ列の後ろの方にいる彗梨のところまではっきりと聞こえる大音量。

 だが、聞き覚えのある声だった。


「なあ彗梨。この声の人、もしかして昨日も……」

「はい。そして呪いと関係しているかもしれません。行ってみましょう」


 麗子を人殺しと詰っているのは、何かを知っているからかもしれない。


 彗梨と尾鷲は列を抜け出し、その先頭へ向かった。

 怒声を響かせていたのは、痩せ型で黒縁メガネの青年だった。おとなしそうな風貌だが、捲し立てるような激しい怒声は紛れもなく彼から発されていた。


「もういい! お前が罪を認めるまで、何度でもまた来るからな!」


 青年はそう言い捨てると、肩を怒らせて列を離れていった。彗梨と尾鷲はそれを追跡し、占いの列が見えなくなったあたりで声をかけた。


「すみません」


 青年は露骨に不機嫌な顔で振り向いた。


「あん? ……なんだよ」

「私たちは呪いについて調べています」


 青年の両目が僅かに見開かれた。


「何か知っていることがあれば、教えていただけませんか?」」

「……お前たち、あの女の呪いを信じてるのか?」

「まだわかりません。真相を突き止めたいんです」


 青年は迷うように視線を下げた。

 しばしの沈黙。周囲を行き交う無数の人々の声が妙に大きく聞こえた。

 それから青年は、近くにあったベンチに腰掛けた。背中を丸めて両肘を膝の上に乗せ、項垂れたような姿勢で声を発する。


「あの女について、どこまで知ってる?」

「呪いに関する一連の記事には目を通しています」

「そうか……なら、俺のことも知ってるだろうな」

「……?」


 怪訝な顔をする彗梨たちに、青年は言った。


「俺は恋人を殺された。あの女に」


 思い出す。

 呪いの記事の中に、恋人を殺された男のものがあったはずだ。

 記事の内容によれば、確か……


「嘘じゃないぜ。何しろ俺があの女に頼んだ。彼女を呪ってくれと」


 そう。

 恋人を呪うよう頼んだのは男性自身。そのことを後悔している――。

 記事にはそう書いてあった。


「ほんのできごころだったんだ。たまたまネットの記事で見かけて、呪いに興味もあったから。でもまさかほんとに死ぬとは思ってなくて。俺はただ、わがままなあいつにイライラして……それでも、殺したいわけじゃなかった。本当だ」


 声音は告解のようでもあったが、乗せられた感情のほとんどは怒りだった。


「ちょっと愚痴を吐き出すくらいのつもりだったんだよ。だがそれから一週間後、彼女は殺された。あの女に」

「……呪い、ですね」

「違う」

「え?」


 予想外の返答に驚く彗梨。

 そして隣の尾鷲も同じだったようだ。


「ちょっと待て。呪いじゃないってどういうことだ。麗子さんに殺されたっていうなら、それは異能による呪いなんじゃないのか?」

「俺も最初はそう思ったさ。でも警察の人が言ってたんだ。あの女の異能は、他人の感情を読み取るだけの力……それでどうやって呪い殺せる?」


 その言葉に、思わず彗梨は尾鷲と目を見合わせた。


 思わぬ形で一番知りたかったことを知れた。

 占い師麗子の異能は感情を読み取る力。読心の一種。

 未来を見る力ではないから麗子が異能の詳細を語らなかったことにも頷けるし、その上で彗梨の悩みを言い当てたことにも説明がつく。であれば、本当に異能で人を呪うことはできないのだろう。


(……でも、尾鷲さんの心を読み取ることは可能だった)


 彗梨が一瞬別のことを考えている間にも、青年の言葉は続いている。


「あれは呪いなんかじゃない。ただの殺人だ。何しろ俺の恋人は、土手から転げ落ちて死んだんだからな。事故って見方もできなくはないが……いくらなんでもタイミングが良すぎる。突き落とされたに決まってるんだ、あの女に」


「……証拠はあんのか?」

「ないさ。それにあの女、呪いなんて言いがかりだって一点張りで、俺のことを相手にもしてない。それどころか人を呪ったことなんて一度もない、むしろ呪いの噂のせいで迷惑してるとか言い出しやがった。ふざけてやがる」


 青年が握った両の拳は震えている。項垂れて表情は見えずとも、その胸の内に滾る感情は明白だった。


「……あなたが頼んだんですよね? 恋人を呪ってほしいと」

「ああ」

「それなのに、言いがかりだと言われた?」

「ああ、そうだよ。ありえねえだろ」


 彗梨は考える。

 何か引っかかるのだ。違和感がある。


「尾鷲さん」

「なんだ?」

「仮に。……仮に、ですよ。尾鷲さんが誰かを呪いたいほど恨んで、麗子さんにお金を払って呪いの依頼をしたとします。でもその人はいつまで経っても死なない。そんな状況になったら、尾鷲さんはどうしますか?」


 尾鷲は神妙な顔であごに手を当てて考え込み、


「……難しいな。けど、たぶん、安心すると思う」

「安心……ですか?」


 ああ、と尾鷲は頷く。


「怖くなると思うんだ。自分が人を殺すことを頼んだことを、怖れると思う。だから本当に死んじまわなくて、安心する」


 あくまで想像だから確信はないが……

 そう断りつつも、尾鷲は言う。


「普通の人間って、そういうものじゃないか?」

「……そうかもしれませんね」


 そう答えつつも、駄目だ、と彗梨は考え直す。

 尾鷲では人が良すぎる。もしかしたらそれが普通なのかもしれないけれど、彗梨が今求めている答えではなかった。

 そうではない。そういうことではなくて、


「……詐欺だ、とは思いませんか?」

「え?」

「お金を払って呪いの依頼をした。それなのに何も起きなければ、麗子さんは詐欺師ということになりませんか?」

「……言われてみれば、そういうことになるのか」


 彗梨は青年を視線で示し、


「先ほど、この方の怒声はかなりの範囲まで響いていました。当然、注目もされていました。そのような状況で麗子さんが、『呪ったことは一度もない』なんて言うでしょうか。もしかしたら、呪いが目当てのお客さんもいるかもしれないのに」


 と、そこで青年が顔を上げた。


「おい、俺が嘘をついてるって言いたいのか」

「違います。むしろ信じているからこそ疑問に思ったんです。だって、麗子さんが人を呪い殺す動機がないんです」

「は? こっちが金払って頼んでんだから当たり前だろ」

「いいえ。ただ愚痴を吐き出すくらいのつもり……あなたさっき、そう言っていたじゃないですか。麗子さんはただあなたの感情を感じ取り、寄り添い、占いをしただけだったのかもしれない……そう思ったんです」

「……どういうことだ?」


 青年が怪訝そうに眉根を寄せる。

 彗梨は頭の中で考えをまとめながら言う。


「占いであんなに人気を博している彼女が、呪いや殺人なんて方法で人を集める動機がない。だって、実現できてもできなくても自分の評判を下げるだけだから。彼女はあくまでも自分を占い師だとしか思っていないし、事実占い師でしかない。そう考えるのが妥当だと思ったんです」

「そんなわけあるか!」


 青年はそう怒鳴ると立ち上がり、すごい勢いで彗梨に詰め寄ってきた。

 あまりの迫力に思わず怯む彗梨だが、それを庇うように尾鷲が前に出る。


「彗梨、話の続きを」


 尾鷲が割って入ったことで、青年は彗梨を睨みつけたままそこに突っ立っている。尾鷲の目つきの悪さのおかげもあるのか、それ以上詰め寄ってはこない。


 彗梨は静かに息を吐いて気持ちを整えると、青年の目をまっすぐに見て言った。


「今のは私の考察に過ぎません。だから、教えてください。あなたは麗子さんに、恋人の個人情報をどこまで話しましたか?」

「個人情報……?」

 怪訝そうな顔をする青年に、彗梨は重ねて問いかける。

「麗子さんがあなたの恋人を特定できるだけの情報を、あなたは話したのかどうか。……いえ、あえて訊き方を変えましょう。?」


 青年がはっと目を見開いた。

 決まりだ。彗梨は事件の真相を確信した。

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