何故、貴方は……

 彗梨は尾鷲と二人、すっかり暗くなった住宅街を歩いていた。

 警察に事件の真相を説明していたら夜遅くになってしまったのである。


「……なんつーか、酷い事件だったな」


 ぐったり疲れた様子の尾鷲が言った。


「さっき岸根に聞いたんだけど、美咲ちゃ……美咲さんが話してた男女が喧嘩してた目撃証言っていうの、岸根と伊野さんのものらしいな。美月さんと別れるようしつこく迫ってきて、殴っちまったんだと」

「そうだったんですね」

「ああ。岸根は、ずっと美月さんを愛していたんだ。……だからこそ、辛いんだけどな」


 彗梨のような女が二番目に嫌いだと岸根は言った。

 一番は教えてくれなかった。

 あれは自分を裏切って自殺した美月のことだったのではないだろうか。愛し合い、信頼し合っていると思っていたからこそ、先立たれたことを裏切りだと感じた。嫌いになってしまいそうなほどに。


 でも、本当に嫌いにはなれなかったのだろう。

 嫌いになるところだった。美咲が犯人だとわかったとき、岸根はそう言っていたから。

 

「恋人が殺されて、その犯人が恋人の妹で、しかも自分のストーカーで。そもそも二人からストーカーされるだけでも気の毒なのに……もうなんて言葉をかけてやればいいかわからなかったよ」

「私もですよ。……本当に、わからないことばかりの事件でした」


 視線を落とすと、尾鷲は気を遣ったのか明るい口調で返してくる。


「それでも真相を暴いたのは彗梨だ。やっぱすげえよ、彗梨は」


 その言葉はとてもまっすぐに聞こえて、少し、気持ちが軽くなる。

 だが、胸の内の靄は晴れない。


「ありがとうございます。でも、そうではないんです。動機が……あんな理由でお姉さんを殺してしまう心理が、私にはどうしても納得できなくて」

「……そっちか。それはまあ……人の気持ちは複雑だからな」


 真相は解明されたのに、もやもやした感覚は消えてくれない。それどころか、むしろ酷くなった気がする。

 何故、あのような悲劇が起きてしまったのだろう。


「俺たちには察することしかできないけどさ」


 そう前置きしながら、尾鷲が言う。


「幸せそうなお姉さんを見て、自分もそうなりたいと思った。あの子、そう言ってたよな。でも、『そうなりたい』にも色々あるだろ。羨望とか、嫉妬とか……いや、だからなんだって言われると俺もよくわかんねえけど……とにかく色々入り混じった感情だったと思うんだ」

「……尾鷲さん、羨望なんて言葉知ってるんですね」

「それは俺を馬鹿にしすぎだろ」

「すみません、冗談です」


 曖昧に笑う。それしかできない。尾鷲もそうであるようだった。冗談を言うシチュエーションではなかったのかもしれない。あるいはこれで良かったのかもしれない。気にしすぎかもしれない。

 わからない。彗梨には。


「やっぱり私にはわかりません。羨望を抱いたなら、自分が幸せになれるパートナーを探すべきではないでしょうか。嫉妬をしたなら傷つけたくなるかもしれませんけど……それでも、殺してしまうなんて」

「そうやって単純に考えられないやつもいるってことさ。いろんな感情が混ざり合って、自分でもわからなくなっちまうこともある」

「自分でもわからない……ですか」

「そ。自分自身でもわからないことを他人が理解しようってのは、なかなかの無理難題だ」


 それはそうかもしれない。

 彗梨も自分の気持ちがわからなくなるときはある。

 他人の気持ちなんて、本当は、理解できることのほうが少ないのかもしれない。


 それでも。


(……私は、知りたくなってしまうのです)


 一度気になってしまったら、納得できなければ気が済まない。

 もやもやした気持ちが晴れない。

 答えがなくとも考え続けて、終わりのない堂々巡り。

 昔からずっとそうだった。


(貴方のことだって、そうです)


 その問いを声には出さない。

 だが胸中ではずっと同じ「何故」が繰り返されている。尾鷲が笑いかけてくれる度に、元気づけてくれようとする度に、気遣ってくれる度に、あるいは、隣にいるだけで。彗梨の心はその「何故」でいっぱいになってしまう。


(何故、貴方は私なんかを好きになったんですか……?)


 尋ねれば、納得のできる答えが得られるのだろうか。

 そう思いはするものの、何故だろう。いかなる疑問であっても答えを確かめなければ気が済まないはずの彗梨が、どうしてもその問いだけは言葉にできない。


 なんて非合理。

 まさか自分が、こんな理屈で説明できない悩みに苛まれることになるなんて。


「……はぁ」

「大きい溜息だな。お疲れ様」


 彗梨の気持ちも知らずに、尾鷲は能天気な声をかけてきた。


「……人の気持ちは理屈じゃないということですね。月並みですが」

「はは。そうだな、そういうものなのかもしれない」


 やがてマンションまで彗梨を送り届けると、尾鷲は自分の家へと帰っていった。

 綺麗に片付いた部屋のベッドに潜り込み、彗梨は一人眠りについた。

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