靴はそこに隠してくれるか

 岸根の暮らすマンションは、大学生の一人暮らしにしては高級感のある建物だった。入口はオートロックである。


 エレベーターで四階へ。岸根の部屋は通路の一番端、四〇一号室だった。

 暗証番号でドアのロックを開けて玄関に入る。

 靴を脱いだところで、思い出したように岸根が言う。


「ああそうだ。悪いんだが、靴はそこに隠してくれるか」

 靴箱を視線で示す。中が見えないよう扉がついたタイプのものだ。

「突然の来客があるかもしれないんでな。女が来てるとバレると面倒なんだよ」


 さらりと言ったが、要するに今の恋人が来るかもしれないということだ。よく表情ひとつ変えずに言えるものだと感心せずにはいられない。美咲は今の一瞬だけでもムッとしたのが顔に出ているというのに。


 そんなこんなでリビングへ。よく片付けられた綺麗な部屋だ。内装は白を基調としたシンプルな配色でまとめられており、物は少ない。あえて特徴を挙げるとすれば、棚に収まりきらず大量に平積みされた古い映画のDVDくらいだろうか。


 四人が腰を下ろしたところで岸根が言う。


「さて。ここまでくる間にわかったと思うが、外部犯はありえねえ」

 入口のオートロックに、暗証番号式の電子錠。セキュリティは万全だ。

「そして俺は美月が死んだ時間、サークルの飲み会に出席していた。途中でぬけだしたりもしていないことは、証言してくれる奴がいくらでもいる。俺にも殺しは不可能。つまり、美月は自殺だ」


 他の可能性がないことを強調するような口調だった。

 確かにその通りだ。

 ただしそれは、今ある情報から順当に考えた場合の話である。


「……尾鷲さん。いきなりですみませんが、美咲さんと一緒にもっ茶を買ってきてくれませんか?」

「え、なんで急に」


 察しの悪い尾鷲が目を丸くした。

 対して、岸根は眉間に皺を寄せて彗梨を睨んだ。


「茶が飲みてえなら俺に言えよ。わざわざ買いに行く必要はねえ」

「いえ、どうしてももっ茶が飲みたいんです。だから、買ってきてください」

「あ……」


 最初に彗梨の意図を察したのは、どうやら美咲だった。視線を送ってきたので、わずかに頷いて肯定を示す。


 そう。これはあらかじめ決めていた作戦だ。


 少し話をするだけで岸根がボロを出すとは思っていない。それなら警察の捜査で捕まっているだろう。だから当初の美咲の考えの通り、美咲の異能を使ってこの部屋の中を調べる手筈だった。

 

 問題は美咲の異能で存在感を消せるのは五分が限度ということ。宝玉を使えば異能の力を引き上げられるが、それには危険が伴う。


 だがら策を弄した。

 今から美咲は尾鷲と一緒にもっ茶を買うために外へ行く。

 外へ行くと、岸根は思い込むだろう。


 しかし実際には美咲は異能でその存在感を消し、この部屋の中を調べるのだ。このリビングの調査を五分以内に終えて寝室に移動し調査を続行すれば、効果が切れても岸根は寝室にいる美咲を外に出ていると思い込む。つまり五分を超えても美咲が席を外していることを疑われずに調査ができる。


 もちろん、証拠が見つかるかはわからない。美月の死からは時間が経っているし、分の悪い賭けだろうとは思う。

 だがやる価値はある。

 真相に迫るためにも。そして、美咲の気持ちを満たすためにも。


「じゃあ行ってくるぞ」

「す、すみません。行ってきます」


 遅れて意図を察した尾鷲と美咲が、そう言って離席した。無論、美咲は本当に出て行ったわけではなくドアを閉める前に異能を使って存在感を消しただけだ。


「どういうつもりだ?」


 二人を見送った岸根は、リビングに戻ってすぐにそう訊いてきた。ひどく怒った表情だ。


「何がですか?」

「とぼけんじゃねえよ。露骨にあの男をこの場から遠ざけただろ」

「まさか」


 曖昧に答えつつ、彗梨は作戦がうまくいったことを確信する。


 今、岸根はあの男といった。美咲の存在を失念している証拠だ。異能で存在感を消した美咲は、今は玄関の方を調べているはずである。


 彗梨が美咲を認識できているのが少し気になるが、これは予想の範疇だった。

 おそらく美咲の異能は、その異能を知る者には作用しづらいのだろう。美咲が彗梨の部屋に侵入してきたときも、異能を看破した瞬間から存在を認識できるようになった。一度見破られたら二度と通じない。そういう性質なのだ。


「それだけじゃねえ。よりにもよってもっ茶だと。偶然とは言わせねえ」

 岸根は依然として不機嫌さを隠そうともせず詰め寄ってくる。

「偶然ですよ。それとも、もっ茶だと何かあるんですか?」

「……てめえ」


 至近距離まで詰め寄って睨んでくる岸根に、彗梨は挑発的な微笑を返す。

 動じることはない。今動じているのは岸根の方だ。

 生前、美月が好んで飲んでいたのがもっ茶である。

 死ぬ直前に飲んだ睡眠薬が入っていたのも。


「この辺りの自動販売機にもっ茶はねえ。あの男、今頃途方に暮れてるぜ」

「そうですか。随分と自販機のラインナップに詳しいんですね」

「……。生活してたらそうなるだろ。ふざけたこと言ってんじゃねえぞ」

「まあ、なくても探して買ってきますよ、尾鷲さんなら」


 そんなことより、と彗梨は岸根の追求を意に介さず話題を変える。


「折角ですし、あなたのことも教えてください」

「は?」


 彗梨は美咲がこの部屋に入ってくるのを視界の端でとらえつつ、問いかける。


「どうしてさっきはあんなところを歩いていたんですか?」

「あんなところってのは?」

「お買い物に行ったにしては、てぶらだったのが気になりまして」

「詮索してんじゃねえよ。美月の死には関係ねえだろ」

「ただの雑談ですよ。私は、あなたのことを知りたいのです」

「はぁ……?」


 岸根が困惑の声を漏らした。


 そのとき、彗梨の背後でガタッと物音がした。

 振り向くと、眼前には崩れ落ちる無数のDVDのパッケージが迫っていた。


 状況はすぐに飲み込めた。

 異能で存在感を消して室内の調査をしていた美咲が、平積みされていたDVDを崩してしまったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る