ありふれたWの思い出

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 中学生の頃、流木を拾ったことがある。なんとなく何の変哲もない 1メートルほどの長さの流木で、強いて特徴を言うならば中央あたりがなんとなく艶めかしい曲線をしていたぐらいである。しかし妙に気に入って、砂浜から引き上げて防波堤の下に置いてみた。


 最初に見たときは本当にそれだけで、その日の晩には流木の事を忘れてしまったのだが、そんなことをしてから数週間後にふと流木のことを思い返す機会があった。


 当時の私はちょうど進路のことで親と揉めていた時期で、とにかく都会の学校に行きたいという私を父親が怒鳴りつけて蹴り飛ばすと言うのが日々のルーティーンになっていた。親の気性に野蛮人めと悪態をつきながらも、私にもその血がしっかりと受け継がれていたから、夕食後には殴る蹴るでどちらかが庭で寝ることになっていた。そしてその敗者に母親が毛羽立った古い毛布を投げてよこすというのが我が家の夜の行事だったのである。


 面白いことに、両親も私もなにか心得たもので、私が話を切り出すのは決まって夕食後だったし、父親も夕食後には縁側に座っていつでも私を張り飛ばす準備ができていた。母親ですら、夕食後に食器を洗い始める前に毛布を準備するのが常であった。それで割りを食ったのは 4つ下の妹だろう。小学校では高学年でも家では最年少だった妹は、私と父親が殴り合いを始めるたびに怯えてめしょめしょと泣いていたものだ。人の心があればそれでなんとなくバツが悪くなって喧嘩を止めてしまうのだろうが、当時の私と父親は獣に堕ちて牙を向き合っていたものだから、妹には本当に済まないことをしたと今では思う。


 とにかく、流木のことを思い出したのは父親との噛みつき合いに負けて、庭石に頭を乗せて寝っ転がっていた時のことである。その日は夏至から半月ほど経った頃でまだ日が長く、仰向けになっても空の端がなんとなく赤く染まっている気がする程度だった。毛布を抱き寄せながら頭の上で雨戸が閉められる音を聞いていると、ふと流木のあの艶めかしい幹を思い出したのである。


 むしゃくしゃした腹いせに、あの女々しさを感じる流木を木っ端微塵にしてやったらどれだけ気がスッとするだろうと思いたち、庭先のサンダルをつっかけて防波堤へと散歩に行くことにしたのだ。防波堤への道すがら、父親への怒りと体の痛みを募らせていると、同級生が前から歩いてくるのに気が付いた。


 その同級生とは特に話したこともなく、別に話す気分でもなかったので塾帰りらしいその同級生に軽く会釈してすれ違ったのだが、同級生は単語帳を必死に見つめていてこちらに気がついていなようである。それでますます腹が立ったのだが、その同級生にしてみればとばっちりだろうからとなけなしの理性で足早に海岸までの道を歩くことにした。そうして、海岸に着く頃にはサンダルで擦れた足の皮の痛さと相まって、様々な怒りが私の中に渦巻いていたのである。


 乱暴な足取りで流木を引き上げたあたりへと歩いていく最中には、私の頭の中はこの怒りをどうやってぶつけてやろうかという考えでいっぱいだった。ところが、いざその場に付いてみるとそんな考えは瞬く間に霧消してしまったのである。何故かというと、私が引き上げた流木の周りには海から打ち上げられたガラスの破片や、干からびた海藻がみっしりと敷き詰められていたからである。しかも、どこの国のものか良くわからない言葉で書かれたラベルの空き缶が2つに切られ、中にはこれまた角の磨かれたガラス片がいくつか入っていた。


 それを見てすぐには奇妙な光景に驚くばかりだったが、これは小学生たちがなにかのごっこ遊びをしているんだなと気がついた私は、なんだか可笑しくなって大声を上げて笑ってしまった。私がなんとなく艶めかしいからと引き上げて、今粉々にしようとしていたみすぼらしくすらある流木も、小さな子どもたちにとってはまるで御神体のような扱いなのである。神様じゃあ殴りつけるわけにもいかないなと、その日はそのまま家に帰り、怒りをすっかり忘れていたのに気がついたのは毛布にくるまって庭の隅で眠りにつく瞬間だった。


 それからも流木のことを忘れては思い出して様子を見に行くことを繰り返していたが、月に一度ほどの頻度で見に行く度に流木は豪華に飾り付けられていった。最初は割れたサングラスから始まり、プラスチックのチェーンでできた首飾り、竹でできた風車、ラテンアメリカのセラーペ(あるいはポンチョ)と続き、その次に見たときには安っぽいプラスチックの山高帽を被っていたので、メキシカンハットじゃないのかと笑ったのを覚えている。


 そんなある日父親といつものように殴り合っていると、妹が涙声で私に怒鳴りつけた。


「兄貴なんか大っ嫌いだ!ごめんなんて後で言うのも、東京に行きたいっていうのも、全部嘘っぱちのくせに!」


 そう言ってまためしょめしょと泣き続ける妹を見て、私は父親よりも強い力で殴りつけられた気がした。そういえば、東京に行きたいと言いつつ、そのために何かした覚えがなかったのである。呆然としていると、父親の拳骨が横から飛んできて、私はその日も外で眠ることになったのである。


 空に浮かぶ星を見ていると、またあの流木のことが頭に浮かんだので、納屋から懐中電灯を出して流木のところへ行くことにした。その最中に、再び塾帰りの同級生とすれ違ったのだが、なんとなくいたたまれなくなって早足で通り過ぎ、流木のところへと急ぐ。その流木は変わらず飾り立てられていたが、それを見ても何の面白みもわかず、むしろイラつきが勝った。それで一発思いっきり蹴りを入れてやると中が腐っていたのか流木は真ん中から二つ折りになって飛んでいく。あたりに散乱するサングラスやセラーペを見てしまったと思ったが、結局そのままにして逃げるように家に帰り、納屋の中で寝た。


 一晩経っても後味の悪さはそのままで、学校の帰りにその流木を見に行ってみると、昨晩見たままの格好で砂浜に転がっていた。それで更に胸の中が重くなり、家へと逃げ帰り、しばらくは海岸に近寄ろうとしなかった。それを境にぱったりと噛みつかなくなった私を父親は奇妙なものを見る目で見ていたが何も言わず、やがて母親も毛布を用意することを止めた。


 そうして、師走のある日。流木のことも忘れた頃に海岸を通りがかると、あの流木がまだそこにあった。流木は冬の海風にさらされ、いかにも寒そうに脇に片付けられており、それを見て泣き出したくなった私は流木の近くまで降りていった。途中流木が飾られていたところを見ると、すっかり片付けられていて、ガラスの一欠片も落ちていなかったので余計泣きたくなるのをこらえていると、眼の前まで来た流木が今の自分の姿と重なった気がした。そこで、取り返しのつかないことをしたと実感して、ついに泣き出してしまったのである。


 そうして泣きつかれてから家に帰り、テレビを見ていた父親に久しぶりにあやまった。父親は片眉を上げてあーともうーとも取れる返事を返しただけだったが、それで少しだけ気分が軽くなり、夕食を食べ、眠るまで自分の部屋でまた泣いた。


 泣きつかれて眠るころに、ふとあの流木を流してやろうと思い、次の休日に父親に断って、納屋にあったモロコシの藁を一抱えもらって、流木を包んでやった。ところが、いざ流してやろうと言うときに、ふと悪戯心が首をもたげた。折れた流木ではなくて藁に包まれた流木ならまた子どもたちの遊び相手になることも有るかもしれないと思い立ち、わざと波打ち際から少し離れたところにその包みを放置して帰ったのである。そして、その後私がその海岸へ足を向けることはなかった。


 あれから大学になって東京に出て、東京で就職し、子供も産まれた。そろそろ子供が反抗期になるころに、ふと思い出したのはガラスがお供えされたあの流木の姿である。あの藁包みがあの後どうなったのか、セラーペも着ていたしイネではなくモロコシの藁だったから、意外とメキシコの方まで流れていったかもしれない。あるいは今でもあそこにあるのかもしれないと妄想をしながら、あの頃の父親のように、子供が地方の高校へ行きたいと言うのを叱り飛ばす毎日である。


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 一言:私は海なし県出身です。

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