小姓のUが付く感情

【十日町市】

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 庭の松の木に生った松笠が開き始める頃、齢が十五を超すか超さないかの頃の小姓が屋敷の庭先を掃いていた。この者の名を本田藤四郎と言って、かの神君家康公に使えた本田の家より分かれた分家筋の者である。藤四郎は薩摩の由緒正しい島津家に連なる島津久昌という武士を主と仰いでいたが、この久昌という男は大層な美丈夫であった。


 久昌は身の丈六尺(1.8 m)に迫る大男で、薩摩男子らしく性格は豪放磊落、日に焼けた彫りの深い顔には黒曜石の瞳と深い海のような髪を備え、筋骨隆々の体に見合わぬ落ち着いた声をしている。一方の藤四郎は肌の焼けぬ質で手弱女のような肌、稚児から若武者へと変ずる合間特有の薄く筋の張った柔らかい腕を恥ずかしげに袖に隠し、小柄な四尺三寸ほどの体にどこか儚げな印象の顔を載せていた。


 薩摩武士の例に漏れず、久昌と藤四郎は念者の契(男性同士の恋愛)を交わしていたが、久昌はその男ぶりから男女を問わずに好意を受け、藤四郎の目を盗んでは他の若い男に目をつけては一夜の契を結んでいる。


 例えば、こんな話がある。


 久昌が犬追物を仲間とした帰りのこと、馬に水を与えようと川べりで下馬した久昌はついでにと上を脱ぎ捨て、仲間共々濡らした手ぬぐいで体を拭いていた。その様子を近くの村の若い男が見ており、その男らしさに見惚れていると、他の者が体を拭き終わったにも関わらず、久昌が体を拭く手だけがやけにゆっくりとしている。久昌も見られていることに気が付き、自らの肉体を見せつけていたのである。


 若い男が夢中になっている隙に仲間たちが逃げ道を塞いだところで、久昌が男に近づくと、ヒョイと持ち上げて家の場所を訪ねた。男がつい答えてしまうと、久昌は男を抱えたまま家へとおもむき、一晩の宿を頼む。そして、この若い男を貸してくれと頼んだ。この場合の貸すとはもちろん一夜を共にすることなのであるが、武士相手に厭とも言えず若い男は一晩の慰み者になったのである。


 このこと自体は珍しくもないのだが、久昌は藤四郎にわざとこのことを言わず、人伝に耳に入れては藤四郎の細い眉がしおれるのを見て楽しんでいるフシがあった。


 この日も前日にそのような話を久昌の知己から聞いたところであったから、藤四郎はその濡れた瞳を悲しげに潤ませながら庭先を掃いていたのである。すると、後ろで何かが落ちる音がした。振り返ると、ニホンリスが枝を揺らして、根の腐った松かさを落としたところである。


「これ、島津のお家の松をそう粗く扱うものではないよ」


 心の内の寂しさを紛らわせたかったのか、藤四郎がそう言いながら手を伸ばすと、リスは勢いよく木を駆けて、塀の向こうへと走って消えた。


 ああ、と残念そうにする藤四郎だったが、塀向こうから笑う声があった。誰かと誰何すれば、ひょこりと顔を出したのは久昌のいとこにあたる島津義詮であった。義詮は久昌と同じく筋骨隆々の美丈夫であったが、久昌のように荒れた噂は聞かず、どこか涼しげな雰囲気と怜悧な瞳を持つ伊達男である。藤四郎とも縁が深く、幼い頃から利発だった義詮は、彼の最初の憧れた相手でもある。良く滑稽話や舶来の菓子を土産に渡してくれるこの男を藤四郎は兄と慕っていた。


「これは義詮様、主人は出ておりますが、お約束がお有りでしょうか」


「いやあ、近くを通ったものだから、ついでにと思ったのだが。そうか、留守か」


 ところで、と義詮は笑みを消し、代わりに心配気な表情を貼り付けて問うた。


「ずいぶんと悲しいそうな顔をしているね。なにか嫌なことでもあったのかい」


 その言葉に、まさか主の多情に困っているとは言えない藤四郎は言葉を濁したが、怜悧な瞳の奥にある憂わしげな光に心揺らされて口ごもってしまう。その様子を見た義詮はひょいと塀を飛び越えると藤四郎の方へと歩み寄る。これに慌てたのは藤四郎である。主に留守を任された身でまかりならぬと押し留めようとしたが、それより先にしゃがみこんだ義詮に肩に手を置かれ、その瞳に見透かされてまた何も言えなくなる。


「どうしたのか、言ってごらん」


 との優しげな言葉に、藤四郎は思わず心中をこぼしてしまった。


「久昌様が、私以外の者に手を出すのです。男伊達とは存じておりますが、その話を聞くたびに寂しくて」


 こぼしてから、しまったと取り繕う藤四郎だったが、義詮はそうかと頷くと、藤四郎の肩を抱き寄せた。


「なにをなさるか!」


 驚いた藤四郎は思わず突き放そうとしたが、義詮の屈強な肉体はそれを良しとせず、藤四郎の体を懐の内へ優しく包みこんだ。


「かわいそうに、辛いだろうね」


 顔は見えずとも気遣わしげにかけられた言葉に、藤四郎の抗いが僅かに鈍る。義詮は続けて、頭を撫でながら言った。


「なら、お前も同じことをしてやれば良い」


 それに仰天して、藤四郎はつい体の動きを止める。それを好機と見たか、甘い声は蜜のような粘度を伴って、藤四郎の心の中へと染み込んでいく。蜘蛛の糸に絡め取られた蝶のように藤四郎は体をむずがらせたが、その力は弱々しく、抗いがたい誘惑に堕ちていく様をはっきりと表していた。


「お戯れを」


 かすれる声で言った藤四郎であったが、それが本心でないことはもはや明らかである。


「ほら、私に委ねて。君の責ではないのだから」


 そう言われて力を抜く藤四郎を優しく抱きとめるその顔には、酷薄な笑みが浮かんでいた。


「やっとだ」


 そう呟いた声は、しかし目を固く瞑った藤四郎には届かなかった。


 そして、その晩。久昌の褥に呼ばれた藤四郎はその荒い息を久昌の胸板に吐き出しながら、汗とその他のもので汚れた体を夜風に晒していた。


「今日は随分と張り切っておったではないか」


 それに答えず、眼の前の胸板に指を這わせると、藤四郎は僅かな突起に舌を絡みつかせた。軽く身震いした久昌はその頭を愛おしげに撫でると、その丸太のような腕で月の色をした小さい体を抱き寄せる。すると、その腕から常頃以上に甘えた声が聞こえた。


「ねえ、あに様。耳に挟んだお話、他所の方との睦言、少し寂しく思いました」


「何、あのようなこと、菓子を嗜むようなもの。俺の念弟はお主だけじゃ」


 そう言って意地悪に微笑む久昌だったが、その顔を藤四郎は見ようとせず、久昌の胸に頬を寄せたまま訪ねた。


「もしも、もしもですよ兄様。私が他の方と通じたらどうしますか」


 そう聞かれた久昌は勢いよく上体を起こして、険しい顔を作る。


「馬鹿を申すな。そのようなこと、あり得るものか」


「だから、もしですよ。もし、私の身が他の方に貫かれたらどうしますか」


 そう言って薄く笑う藤四郎に気が付かぬまま、久昌は激して言った。


「そのような輩、俺がなますにしてやるわ」


「さようですか、さようですか。そうなさってくださいねえ」


 そう言うと、藤四郎は久昌の下腹部へと手を伸ばす。


「でも、まずはこちらのなますを、いただきたく存じます」


 それからしばらくして、部屋の内から荒い息と肉のぶつかる音が再び響き始める。その腹の中に二つの種を孕みながら、藤四郎は苦しげな息で満足げな笑みを浮かべていた。


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 一言:まんぞく!……私は何を……?

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