あるTの絵について
>【ヨガワリグサ】
【猿面冠者】
【ヨーク岬半島】
>【ワニス】
【鳴子町】
>【イーグルアイ】
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明治の頃、鉄道の普及と共に様々なものがこの国に広がった。喜ばしいものもあればはた迷惑なものもあったが、例えばヒメムカシヨモギはどちらかと言えば後者かもしれない。ヒメムカシヨモギが生え始めた頃は、明治維新のご利益だのなんだのと言ってヨガワリグサなんて呼ばれ方もしたものだが、ヨガワリグサがあっという間に大人の背丈を越して鉄道の脇を埋め尽くすようになる頃にはさっぱり言われなくなった。ヨガワリグサが邪魔になるというのも無いではなかったが、一番の理由は明治維新が皆の思っていたよりも役に立たないものだったからだ。
都会の文人くずれは西洋文明に追いつけ追い越せだのと言っては、プロレタリアートやらに現をぬかし、服も西洋のものを着て得意げであった。ところが、少し足を伸ばした田舎に行けば、農民は相変わらず農民だったし、やることは何も変わらない、着るものも何も変わらない。文明開化の言葉だけが独り歩きして、その後ろから物が善光寺参りをしてくるような有り様だったから、なんとなく生きていた人間は取り立て生き方を変えることなく、なんとなく生き続けていけたのである。
さて、私の育ったムラには鷹匠が一人いて、名前をヨヘイと言った。ヨヘイは獣を狩ったり、田植えの頃にには雀を追っ払ったりして糊口をしのいでいたが、たまにフラッと鷹を連れて出かけては、上等の酒や砂糖などを手に戻って来ていた。後で聞いた話によると、ヨヘイはしばしば城の御殿様に呼ばれ、鷹狩のお供をしていたとのことである。何故金子ではなく物をもらっていたかは今持って謎なのだが、とにかくそういう鷹匠がいた。
ムラの者は皆、子供時分にはヨヘイの鷹に憧れ、ヨヘイが訓練をするのを影から覗いてみたり、あるいはヨヘイの小屋まで遊びに行ってはお土産に砂糖で作った飴をもらったりしていた。しかし、ヨヘイと遊んでいたことが親にバレるとこっぴどく叱られたものである。鷹匠と言えばお武家様のやることなのに、どうして親が叱るのかはさっぱりわからなかったが、そうやって叱られるうちに理由もわからぬまま、年長のものからヨヘイの家へと足を運ばなくなっていくのであった。
さて、明治維新の頃の私といえば親が茶屋をやっていて、浮世絵を刷ったものを見るうちに自分も絵を書きたいと思うようになっていた。さらには、ムラを通る商人が見せてくれた西洋画の色鮮やかさに衝撃を受け、どうにかして異人の書くような絵を書いてみたくなる。
その願望が強くなりすぎて、異人の作だという睡蓮の絵の中に入り込む絵を見るようになった頃、一度だけ父親に絵描きになりたいと言ったことがあった。父親は最初冗談だと思って相手にしなかったが、私が本気であることを訴えると、血相を変えて拳骨を食らわせた。父親いわく、芸を売るのは身を切り売りするのと同じことであって、まともな人間がやる仕事ではないとのことである。後ろで聞いていた母親も泣き崩れて、芸を人に見せてお代をせびるような親不孝者に育てた覚えはないと涙ながらに諭すものだから、いよいよいけないことを言ったのだなと思ってそれきり口に出したことはなかった。
ただし、上の兄と下の姉は私の思いを汲んでくれて、大きな町に出かけるたびに流行りの版画や安い顔料を手に入れてくれて、それを両親の見ていないところでこっそりと渡してくれた。それが嬉しくて、親に隠れてちり紙の裏に絵を書いては、兄姉へ得意げに見せていたのを覚えている。それを見た姉などは上手だねえ、将来は絵師の先生だねえなどと言うものだから、更に絵に熱中した。兄は寡黙であまり褒めてくれることはなかったのだが、自分で少しごまかしたような絵を見せれば、この絵は気に入らない、この線で目が滑るなどとしっかりと言ってくれるので、なにくそと思って描く内にますます絵にのめり込んだのである。
そんな兄姉が与えてくれた品物のなかで、一等嬉しかったのは海外のテレピン絵の具である。日本の顔料とはまた違う鮮やかな発色に、冬の絵でも真夏の色彩でかけるような気がして飛び上がって喜んだものだった。そんな画材で何を書いてやろうと思ったときに、その頃の私は動物画にハマっていたから、この一等の宝物で一等美しい獣を描こうと決めた。
それで思い浮かんだのがヨヘイの飼っていた鷹であったので、私はヨヘイが鷹を訓練している野原の隅に潜んで、その様子をカンパス代わりの小さな木組みに布を張ったものを抱えてじっと見ていた。ヨヘイが鷹を離すたびに、その縞模様の翼が大きく羽ばたき旋回して戻って来るのをじっと見つめていると、不意にヨヘイが話しかけてきた。
「坊主、そろそろ帰れ。邪魔じゃ」
ヨヘイが訓練を見に来る子どもたちに気がついているというのは飴をもらった者の話で知っていたが、話しかけられるとは聞いていなかったので、その時の私はそれはもう驚いたものだ。なにかの間違いかと思って、茂みの中で身を縮めていると、ヨヘイはタカのような鋭い目でこちらを見てもう一度邪魔だから帰れと言う。それで観念して、茂みから出ると、ヨヘイが言った。
「そんなに気を向けられては、タカが集中できん。じゃから、帰れ」
「いやじゃ。オレは鷹が描きたいんじゃ。鷹が綺麗だから、描きたいんじゃ」
言い分は最もなのだが、頭ごなしに言われるのが父親に絵を叱られたことを思い出させて、つい反抗して言ってしまった。言ってからしまったと思ったのだが、ヨヘイは少し考える素振りをすると、坊主、絵を描くのか、と聞いてきた。それにハイと素直に言えばよかったのだが、どうにでもなれと破れかぶれだった私は、胸をそらして
「そうじゃ。オレは絵が好きなんじゃ。悪いかえ。どうせヨヘイさも馬鹿なことをやっちゅうちおもうんじゃがや」
と言ってしまった。今にして思えば極めて生意気なクソボウズであるのだが、ヨヘイはそれを怒ることもなく、ほうか、ほうかと頷くと、坊主、こっちに来いと手招きをした。私が訝しんで立ちっぱなしでいるとヨヘイは苦笑して、腕にとまらせたタカに帽子をかぶせ、足輪を繋いでやるとこちらに歩いてきた。殴られるのかと思って後ずさった私をヨヘイはタカのような目をへにょりと曲げて見たが、特に駆けてくるでもなかったので私も逃げ出さずに待っていた。
ヨヘイは私のそばまで来ると、しゃがみこんで言った。
「触ってみるか」
「ええのか?」
優しくそっとだぞと言うヨヘイに、うんとうなずきながら怖怖と触ったタカはひどく熱く、羽毛の軽さがあまりにも頼りなかったのを覚えている。ヨヘイはタカを私から引き離すと、少し離れたところに歩いていく。そして
「坊主、おめが見てれば訓練にならん。じゃが、絵を描くちいうんなら、近くでじっくり見て、他所で描け」
と言って、タカのとまった腕を私の2メートルほど手前のところ置いてみせた。一方の私はというと、戸惑いはあったがタカを間近に見られる機会への喜びが強く、夢中でタカを凝視していた。そんな私をヨヘイは笑うでも厭うでもなく見つめては、時折鷹の向きを変えて、他の角度からの鷹を私に見せてくれた。
そんなことを半刻はやっていただろうか。ヨヘイが急に立ち上がると、もう終いじゃと言って元いた場所へと引き返した。とっさに私は礼を言おうと思ったのだが、口から出たのは別の言葉である。
「なんで、オレに付き合ってくれたんじゃ」
それから慌てて、礼を言ったのだが、ヨヘイはそのタカのような目を空の向こうで動くなにかを探すように細めながら考え込むと、ボソリと言った。
「もうすぐ、オレ達もいなくなる。西洋文化とやらがタカなら、オレ達は野ネズミじゃ。だけんども、それだけでねえというのも、坊主に見せてやりたかったんかな」
そう言うと、それ以上は何も言わずに野原の中央へと歩いていった。その背中に何か言おうとしたとは思うのだが、何を言ったかは覚えていない。もしかしたら、何も言わなかったのかもしれないし、言えなかったのかもしれない。ただ覚えているのは、記憶を頼りにタカの素描をし、それから少し考えてヨヘイを描き足したことである。
その後、テレピン絵の具を使うか悩んだのだが、結局は欲望に負け、テレピン絵の具で色を塗った。ニスもなにも塗らなかったから、その色は今ではところどころ変色し当時の姿ではなくなってしまったが、その絵を見ると今でも、手のひらの中にタカの早鐘を打つ鼓動を感じ、それからヨヘイが空を見ていたときの目が何となく思い出されるのである。
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一言:彼は結局絵描きになりました。
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