センチメンタルなIさんの場合

 >【チェーン】

 >【由比ガ浜】

 >【ワキン】

【パトライ】

【オーガナイザー】

【奴隷海岸】


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 ワキンを飼っていた水槽が嫌いだった。意地悪なワキンが他の金魚を追いかけていくのが嫌いだったからだ。だから、僕はそのワキンを赤カブトと名付けて、餌をやるのにえこひいきしていた。すると、赤カブトは他の金魚のところへ落とした餌を横取りするから、僕はますます赤カブトが嫌いになっていったんだ。


 同じように、みかじめ料を集めて回るこの時間が嫌いだ。応接室の中はちゃちなレプリカばかりで、壁に掛かっているモネの睡蓮も、高麗の焼き物だという青磁も、眼の前のでっぷりとしたハゲ頭が浮かべる愛想笑いも全部が偽物だ。調度品に何が飾ってあっても対して興味はないが、この店の女どもはハゲ頭を見ると怯えたような目をする。


 商品を大事にしない奴はクズだ。慈善事業を気取るではないが、シノギをわざわざ食いつぶすまねをする奴は獅子身中の虫でしかない。顔を合わせるたびに何度も遠回しに伝えてきたはずだが、ハゲ頭はどうも察しが悪い。そのクセ口はよく回るから、口を開けるたびに覗く赤い舌が生っ白い顔から浮き上がって見えて、どんどん不愉快になる。


「それで、うちの娘も一生懸命働いてくれましてね」


「店長さん」


 ペラペラと話していたハゲ頭の口上に水を注す。


 へぇと言ってもみ手をするハゲ頭のテッペンに、机の上に乗っていたクリスタルの灰皿を乗せた。


「座ってくれないかな」


 そう言ってもハゲ頭は目を丸くしたままこちらを見ている。


「そのままさ、ちょっと座ってよ」


 辛抱強く促すと、困惑した顔のまま腰をかがめようとするハゲ頭。


「それ、落とさないようにね」


 頭上の灰皿に注意するように忠告すると、少しずつ顔の色を青くしながらハゲ頭は恐る恐る正座をした。


「あの、これは一体?」


 おどおどとした様子で聞いてくるハゲ頭を無視してタバコを取り出すと、一本取り出してたっぷり時間をかけて吸う。じりじりと火が口元に近づき、挟んだ指の間に熱を感じたあたりで、小刻みに震えるクリスタルの灰皿で火を消しながら、ハゲ頭と目を合わせる。


「店長さん、ずいぶんいっぱい稼いでくれたね」


「は、はい。店の者一丸となって」


「どうやったの?」


 間抜け顔でこちらを見るハゲ頭に笑顔を向ける。


「ねえ、どうやったの?」


「だから、それは店の者一丸となって売上を」


「一丸となって、女の子からピンハネしたの?」


 そう尋ねると、ハゲ頭はビクリと肩を震わせたと思えば慌てて釈明を始めた。


「違うんです。あれは、あれは、そう。うちの娘たちがもらいすぎたと自分から」


「ナメられてるのかなあ」


 肩をはねさせて黙ったハゲ頭から落ちそうになる灰皿を手で強く抑える。ハゲ頭の喉から呻くような声が聞こえるが、無視してその肩に手を置いた。


「だめじゃない、店長。せっかく乗せてあげたんだからさ。落としちゃまずいよね。バラバラになっちゃうよ」


 再び笑いかけてやると、ハゲ頭は両手で灰皿を掴み、ガタガタと震えだした。


「どうしたのかな。もっといっぱいお話しようよ。さっきみたいにいろんな話を聞かせてほしいんだけどな」


 続きを促しても歯の根の合わないうめき声しか出さないハゲ頭。焦れた気持ちを抑えるために、タバコをもう一本咥え火を付けると、ロクに吸わずに灰皿の端で火を消す。肉の焦げる匂いとハゲ頭のうめき声に、思わず顔をしかめてしまうが、すぐに取り繕う。


「わかってる?この店さ、うちのチェーン店なのよ。変なことされると困るんだよね」


「変な、変なことなど決してやってませんって」


 尚もシラを切るハゲ頭の肥えた腹につま先を叩き込む。うめき声とともにハゲ頭から灰皿が転がり落ち、中の灰が安物の絨毯に散乱した。


「そういうのを舐めてるっていうんだよ」


 うめきながらうずくまるハゲ頭の背中に足を置いて、にじる。


「調べてから来てるんだよね、こっちも。解るかな、解らないかな?」


 潰れた声でごめんなさい、ごめんなさいと絞り出すハゲ頭の背中へ一層体重をかけると、破れたアコーディオンの様に空気の抜ける音がして、声が黙る。


「これは雑談なんだけどさ、この店の近くに由比ヶ浜ってあるじゃない」


 聞いても答えないアコーディオンの横腹に蹴りをいれるとカエルの断末魔のような声が聞こえ、喋りだす。


「あります、はい、あります」


「あそこってさ、昔は処刑場って話でさ。墓場にもなってたから骨とか今でも出るらしいね」


 いよいよ真っ青になったハゲ頭。もうしませんと許してくださいを繰り返すだけのオルゴールになってしまったが、気にせず肩に手をおいて微笑む。


「大丈夫、雑談だよ。雑談。今はね」


 そう言って、ハゲ頭にタバコを咥えさせてやる。震えるタバコの先端から刻んだ葉がこぼれるのを見ながら、机の上においてあったみかじめ料を鞄の中にしまい、振り返らずに応接室を出た。


 店を出るまでの間何人かの女とすれ違ったが、どの女もこちらを目にいれるとさっと個室に隠れるか、隠れ場がないとなると視線をうつむかせて足早にすれ違う。その事については何も感じることはなかったが、女たちが唇に引いた紅が昔飼っていた金魚たちを思い起こさせた。あの金魚たちも、赤カブトが近づくとさっと岩陰に隠れたものだ。


 昔のことを思い返しながら赤カブトについてふと考える。あの傍若無人な赤カブトも、最期はあっけないもので近所の親父が飼っていた猫にくわれて死んだ。他の金魚ではなく、赤カブトだけが死んだことをあの頃の僕は喜んだものだった。


 外に出ればすっかり夜中だったが、ネオンで星も見えはしなかった。なんとなくあたりを見回すと、色とりどりのネオンの光が乱反射する水槽の中にいるように錯覚させる。しかし、赤カブトを食い殺した猫はまだ来ない。いつか猫は来るだろうか、赤カブトと、その赤カブトをいじめる赤カブトを腹に収めるために。


 その日が近いことを願いながら、私は事務所への帰路についた。


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 一言:その日が来るといいですね。

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