聞いていたかもしれないHの場合

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 インドの南、今はタミルナドゥと呼ばれている土地にカマルムールという名前の男がいた。カマルムールはゴーダマ・シッダルタから直接教えを受けるほどに優れた男であったが、十大弟子のように仏陀に使えることはせず、故郷に仏陀の教えを広めるために帰郷した男である。カマルムールの故郷は今で言うインド半島の最南端、カンニャークマリーの位置にあったが、この話はその少し手前、ティルネルヴェリで起きたという出来事である。


 カマルムールがとある村に寄ったときのことである。その村には一月ほど前からサドゥーと呼ばれるヨーガ行者が滞在しており、名をスヴェタミスティと言った。スヴェタミスティはかつてクシャトリヤと呼ばれる武士階級であったが、世の無常を儚み修業の道に入った男という。


 村人はスヴェタミスティをもてなし、粥や木の実を振る舞ったが、スヴェタミスティはそれにほとんど手を付けずボーディブゥクサ(菩提樹)の下で瞑想をしていた。それを聞いたカマルムールは師である仏陀を思い出し、懐かしさのあまりスヴェタミスティの顔を見ようと、一晩泊まった次の朝早くにボーディブゥクサの下へと赴いた。


 果たして、スヴェタミスティはボーディブゥクサの葉から漏れる光の下、深く瞑想の中にいた。それを見たカマルムールはサドゥーの修行を妨げてはならないと思い、ボーディブゥクサの影の外に座ると、自分も瞑想を始めた。しばらくその場には照りつける陽光と、時折吹き抜ける風、そしてその風邪にざわめくボーディブゥクサの他、あらゆるものは全く自然のものしかなかった。


 しかし、いくらかの時が過ぎ、陽光が中天よりさすようになると、カマルムールは暑さのあまり朦朧とし、ついには意識を失ってしまった。カマルムールが次に目をさますと、ボーディブゥクサの影におり、横ではスヴェタミスティが変わらず瞑想を続けている。カマルムールはスヴェタミスティの修行を邪魔してしまったことを悟り、五体投地して言った。


「サドゥー、スヴェタミスティ。あなたの瞑想の邪魔をしてしまいました。私はカマルムール、もしよろしければ、あなたの足を拭わせてください」


 しかし、スヴェタミスティは目すら開かずに返して問うた。


「あなたはサモン(修行のために努力する人)のように見受けられる。それがなぜ、この木の外に座り、気絶するまで動こうとしなかったのか」


 カマルムールはそれに答えて言った。


「お見抜きの通り、私は仏陀、ゴーダマのシッダルタに教えを受けた者です。我が師も若い頃にボーディブゥクサの下で悟りを得ました。あなたが瞑想しているのを見て、そのことを思い出したのです」


 それを聞くと、スヴェタミスティは哄笑した。カマルムールがあっけにとられていると、スヴェタミスティは目を開き、深い空のような瞳でカマルムールに問うた。


「なるほど。それでは、この私が悟りを得ようとする機会を、あなたがフイにしてしまったというわけだ」


 そして再び笑い声を上げた。その笑い声があまりにも大きかったので、それまでボーディブゥクサの葉を揺らしていた風がピタリと止まってしまうほどであったという。


 カマルムールは恥のあまり顔を赤くしたが、スヴェタミスティの笑い声のために何も言えずに下を向いたまま口をつぐんでいた。すると、笑い終えたスヴェタミスティが話しかける。


「サモン、カマルムール。私が真理に手をかけるほど深く瞑想しているように見えたかね」


「はい」


「私がその時に何を考えていたか教えて差し上げよう」


 その提案に、カマルムールは慌てて顔を上げて首を横に振った。


「サドゥー、スヴェタミスティ。そのようなことをなされては私の修行になりませぬ。邪魔をしたことは悪いと思いますが、そのような無体をなさいますな」


 カマルムールは懇願したが、スヴェタミスティは聞き入れようとせず、口を開いた。


「カマルムールどの、私はね。そろそろ魚でも獲ろうかと思っていたのだよ」


 その言葉に、カマルムールは唖然とした。その様子を満足気に見たスヴェタミスティは足を崩してカマルムールに向き直ると続ける。


「私は確かにサドゥーではあるが、元はクシャトリヤ。例え修業を重ねても、獣を食べることはやめられぬ程度の者だ。だから、あなたのなさったことはとんだ見当違いだったということになる」


 カマルムールはこれを聞いて拍子抜けをしたが、次の一言に衝撃を受けた。


「だから、あなたに限らずどんな者であっても、ボーディブゥクサの下に入って目を閉じることを咎める法はないのだ」


「それは、我が師もおっしゃっていたことでした」


 ボーディブゥクサを聖なるものに見ていたカマルムールはその言葉に仏陀の教えを重ねたのである。


「あなたは自分をサドゥと言ったが、私にはあなたが悟りを得ているように見える」


 カマルムールがそう言うと、スヴェタミスティはまた笑い、言った。


「もしあなたが私をそう見るのならば、あなたは悟りから遠いところにいる証拠だ。狼が兎を食べ、鳥が魚を食べるのが自然であるように、このボーディブゥクサもまたここに生えているだけの木だ」


 そのことに深く考え込まされたカマルムールが再び顔を上げると、すでにスヴェタミスティの姿はなくボーディブゥクサの葉の隙間から漏れる光が地面にシミを作っているばかりであった。


 このことに深い悲哀を得たカマルムールはワンワンと泣いたが、その悲しみも過ぎ去ると一晩の間ボーディブゥクサの下で瞑想をしてから、旅の続きに戻った。


 この一連の光景を見ていた小さな子供がおり、成長して男になってからもこのことを人に話した。それを聞いて育った男の子供は楽説無礙弁の青年へと成長し、周囲の村をまとめて大きな村へとまとめ上げた。その深い見識と弁舌は子々孫々へと受け継がれ、 5代後の子供がパーンディヤと言う国を建てたが、この国は戦を好んだためにやがて滅んだ。


 カマルムールはその後故郷に戻る前に流浪し、故郷に帰ってからはまたその楽説をふるったというが、自らの中の迷いのために、仏陀の教えが広まることは遅れたようだ。人々は仏陀の教えも三人挟めば意味を失うものだと嘆いたそうである。そのような話が、パーンディヤの踊り子たちの歌に残っているそうだ。


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 一言:この話はまったく史料に基づかずに作られました。

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