夏の日のEさんの場合

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「卵の幽霊を探しに行こう」


 残暑厳しい8月半ばの昼下がりのことである。久々に帰ってきていた兄が寝っ転がりながら、そんな事を言いだした。


「幽霊の卵でなく?」


 そう返してからしまったと思う。聞こえなかったふりをしていれば良かったものを、これも照りつける日差しのせいだろうか。唯一の冷房であった扇風機がつい昨日お亡くなりになり、村で唯一の電気屋が調達してくるまでは打ち水で凌ぐことになっている。


「そう、卵の幽霊だ。幽霊の卵なんてものは柳の下を見ればすぐに見つかるから、面白くもなんともない。しかし、卵というのはそもそも幽霊になるのだろうか。気にならないか」


「そんなドジョウみたいな扱いをしていいのかしら。まあドジョウなら卵生だけどね」


 そういえば、このところ柳川鍋を食べた記憶がない。祖父に連れられてよく食べたものだが、 3年前に祖父が鬼籍に入ってからはとんとご無沙汰である。今夜は適当に卵とじでも作るかと考えている横で、兄は得意げな顔で胸を張っていた。


「そりゃ幽霊は卵生だからな。殻から出ないと目に見えない」


「あんたの場合はきっと水棲でしょうね。地に足がついていないというか」


「そこは想像の翼を広げていると言ってほしいかな」


「そう、鳥頭なのね」


 なんとか話をそらそうとするが、どうにもどこかで言葉選びを間違えたようである。兄は目を輝かせながら跳ね起きると、身を乗り出してきた。


「それだよ、卵というのは基本的に親から見捨てられる生き物だ。忘れ去られる生き物と言っても良い。つまり、恨みを抱いて幽霊になるには十分というわけさ」


「鳥も?」


「鳥は、まあ特別だ。支配者の末裔だからな」


 縁側の向こうを鶏が首を振りながら歩いていった。


「トカゲも?」


「トカゲはまあ、ほぼ鳥みたいなものだからな」


 庭の岩の下をトカゲが這っていくのを横目に見る。


「オオサンショウウオ」


「魯山人じゃないんだから、そこまでは知らないさ」


 サンショウウオの黒焼にマヨネーズを付けてかじりながら兄に聞いてみると、なんともきまり悪そうである。


「ほら、概ね親に愛されてるんだから、卵の幽霊なんて見つかるものですか」


「魚、魚は育児放棄するだろう」


「クマノミなんかはそうでもないらしいけどね」


「そいつは名前に哺乳類が入ってるから無効だ」


「昆虫も入ってるからおあいこね」


 言葉に詰まって黙り込む兄。勝利の高揚感が湧き上がるが、すぐに自分を客観的に見ると何をやっているのかという気分になる。


 とはいえ、こんな馬鹿らしいことをやるのも久々だったので、少し楽しんでいたことは否定しない。


「だいたいね、化けると言えば猫、狸、狐に狼。ある程度のアタマがないと化けることもできない世の中なのよ」


「それなら蝦蟇だって化けるじゃないか。あれは卵生だぞ」


「胡蝶を飲み込める動物がバカなわけ無いでしょ」


「胡蝶だってアタマがあるとは決まったわけじゃないだろう」


「だからめったに化けて出ないのよ」


 レア物で悪ぅござんしたねとふてくされて、そっぽを向き寝転がる兄。その仕草が幼い頃のままで、つい吹き出してしまう。


 しばらくそのまま。セミの声だけを聞いていると、兄がまたなにか思いついたようで体を起こす。


「卵の幽霊は白身なんじゃないか?」


 無言で先を促すと、兄は指を立てて説明を始めた。


「卵は動物が生まれるための前段階だ。なら、卵の本体は体になる黄身ということになる」


「殻は?」


「あれは服だな」


「まあ世間体はともかく、服がなくても最低限生きていけるけれどねえ」


「そう、生きていくためには黄身と白身があれば良い。ところが、最終的に卵が死んで動物に生まれ変わる頃には、白身に用はなくなる。つまり、白身は死んでも来世にいかず、現世にとどまり続けている要素というわけだ」


「だから幽霊だと?」


「白身は親の愛だからな。他人の情念が形作るという意味では、対して変わらないだろう」


 また強引な言い分である。


 しかし、たまごたまごというものだから、なんとなく腹が減ってきた。一度意識してしまうと気になり始めるもので、いよいよ我慢できなくなり、私は腰を上げた。


「幽霊探しに行くのかい?」


 ニヤケ顔の兄に鼻息で答えてから、背を向ける。


「除霊に行くのよ」


「こんな昼間からかい?」


「そ。卵の除霊をしようと思ってね。悪いモノになっても困るから」


「僕は卵の剥製がいいと思うな」


「残念、ゆで卵の気分じゃないの。今日の除霊法は酒で清めた生霊の煮込みよ」


 それは楽しみだ。と呟く声を背に、台所への暖簾をくぐる。


 暖簾の玉越しに振り返ると、仏壇に収めた兄の遺灰と目があった。


 今年は兄の七回忌があった。 7年も経てば、流石に見た目の年齢も逆転するが、中身に関してはどうだろうか。兄の笑い声を思い出しながら、卵とじを少し多めに作ろうと心に決めた。


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 一言:たまにはコメディもやりたいですね。

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