夢見がちなDくんの場合
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INFO: 一部辞書ファイルのエンコードに関する不具合を修正
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横浜ノースドックを横に見る防波堤で、一匹のイワガニが波に飲まれ、海の彼方へと運ばれていった。それをなんの気なしに目で追うと、波間から青白い浮袋が顔を出している。よく見てみれば、それは人の水死体だった。
これで、水死体を見たのは七回目である。あまりにも何度も見たものだから、最初の出来事と最近の出来事以外はおぼろげにしか覚えていないのであるが、最初の出来事はたしか小学四年生の夏休みだった。
その日は前の晩に台風が通ったものだから、インドネシアの熱気がそのまま連れてこられたような蒸し暑い目覚めだった。外に出てみれば憎らしいほどの青空に太陽が憎らしいほど照っていて、アブラゼミの鳴き声と相まってげんなりする暑さである。
住んでいた田舎では農業をやっている家が多かったものだから、台風の次の朝は決まって大人たちは忙しそうで、子どもたちも力仕事に駆り出されていた。僕はそれが嫌で、朝飯を食べるとなにか言われる前に宿題をやるからと嘘を付くか、外に遊びに行くのが常であった。だから、その日も親父が出ている間に湯漬けをカキこみ、そうやって外に飛び出たのだ。
田舎の夏といえばアユ釣りのような今で言うレジャーもあるし、子ども同士で作った秘密基地でやるムシ相撲のようなレクリエーションもあったから、遊びに事欠くことはなかった。台風の後は魚がよく動くから、今日はアユ釣りかなと思い、近くを流れる川に足を向けたのだ。自慢ではないが、僕は釣りがうまい方だったから昼飯の算段をしながら小走りで山道を進む。ところがその日、僕は鮎の一匹も釣らなかった。なぜかというと、普段釣りをしている瀬に先客がいたからだ。
もっとも、先客と言っても僕はその人を見知っていたが、結局話すことはなかった。その人は近所で評判の美人なお姉さんだった。ただし、すでに息絶えた姿ではあったが。
そのお姉さんには僕も良くしてもらっていて、親に隠れて飴やきなこ棒のような駄菓子をもらっていた。他にも逸話に困らないほどおちゃめな人だったから、僕は彼女のことが好きだったし、おそらく淡い恋心も抱いていた。そんな太陽のような印象もあって、遠目にお姉さんが横になっているのを見ても日向ぼっこをしているのかと思ったのである。しかし、挨拶をしても返事がない。日を浴びているうちに寝てしまったのかと思い、足音を少し抑え気味に近づき後ろに回る。すると、お姉さんと目があった。
お姉さんは目をカッと見開き、口は半開きの青白い顔でいた。ただ事でない形相に思わず足を止めると、口の中からサワガニが一匹這い出てくる。それを見て、お姉さんがもう生きていないのだなと実感し、這々の体で家への道を駆け戻った。その途中で何人かの大人たちに行き会うと、そのなかにいたお姉さんの親父さんが僕を呼び止めた。
「おい、ボク。大風の後は危ねぇから、沢に近づくんじゃねぇぞ」
「え、あの、ボク」
「うちの娘も朝早くから姿が見えねぇで。山歩きばっかりで女らしくもねぇもんだから、またぞろ沢に入るんでねぇかと心配でな。ボクもうちの娘を見たら沢に行かねぇように言っといてくれな」
親父さんの予想はあたっていたが、僕は何を言って良いかわからずに、小さく頷くと、家に帰って親父が用を頼むのも聞かずに部屋に入り、布団をかぶって夜までじっとしていた。
その日の夕飯の雑談で、お姉さんの死体が見つかったことを聞いた。数日後に出たお姉さんのお葬式で聞いた話では、都会からきた青年と逢引をする途中で川に落ちたのだろうということだった。良い人がいるということは知らなかったが、そんなことよりもお姉さんの口から這い出てきたサワガニの姿が寝床の中で幾晩も蘇り、そのたびに飛び起きていたことが思い出に残っている。
その後も定期的になぜか水死体を見る機会があったのだが、一等心に残っているのはお姉さんの死体だった。だからかはわからないが、今の私が過去の水死体を思い返しても、たとえそれが男の死体であってもその顔はお姉さんの顔に見えるのである。そして、それをじっと見つめていると小さなカニが口元から這い出てくるのだ。
どうせこの死体も明日に思い返せば、お姉さんの顔になるのだろうなと思いながら警察へ通報をする。そして、警察が到着するまでの間やることもないので浮かぶ死体を見ていると、死体が仰向けに裏返り、死体の顔らしきものがこちらへ向いた。らしきものと言ったのは、小エビや小魚に食べられたか、顔がグズグズにくずれていてどこが目なのかもパッとはわからなかったからである。
しかし、おそらく女の死体であるということはわかった。というのも、鼻筋の部分が明らかに不自然にきれいに残っていたからだ。おそらく整形でもしていて、中にブリッジでも入ってるのだろう。きっと、最近流行りのヒアルロン酸注射というやつもしているに違いない。
それをじっと見ていると、女の顔の向こうから覗くものがあった。小さなカニである。先程流されたものと同じイワガニだろうか、小さなカニが死体の顔をえっちらと歩いていた。女の顔とカニという組み合わせがなんとも不愉快に思えて、つい眉間にシワが寄るのが解る。
不機嫌なまま死体を眺めていると、イワガニが死体をつつき始めた。なんとなく自分の思い出が小さなハサミでちぎられていくようで我慢できなくなり、手元にあった小石をひろうと投げつける。
もちろんカニに当たりはしなかったが、死体の顔には命中し、その振動に驚いたのかイワガニの動きが止まった。そのままイワガニの無機質な目と見つめ合っていると、後ろに車が停まる音。振り返ると、警察官が二人、パトカーから降りてくる。挨拶をしながらチラと後ろを振り返ると、イワガニの姿はもうなかった。
もう慣れっこになったいくつかの手続きの後、夕食を済ませて布団に入る。目を瞑るとやはり水死体が脳裏に浮かぶが、その顔はお姉さんの顔ではなく、先ほどの整形疑惑がある女の崩れた顔だった。それから、私が水死体のことを思い出してもお姉さんの顔が出てくることはなくなった。しかし、代わりにあの崩れた女の顔が出てくるようになったのである。
あとから聞いた話では、水死体の女は水商売をしていたが、米兵の客とのトラブルになり、暴行の末、海に捨てられたらしいとのことだった。そんな部分もお姉さんとの思い出が汚されるようで、ますます僕を不機嫌にさせたが、私にはそれ以上のことはどうしようもないのだった。
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一言:ラブストーリーは難しいですね。
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